子どものための教育学

 

実践編(☆:著者 T:教師 C:子ども P:親)

 

10 正解は100点、間違えたら200点・2

 

☆少しややこしい展開になってしまいました。実際に筆算で計算してみるとわかりや 

 すいと思います。

 

 いずれにしても、もし初めに『Cさん』が『145です』と答えを出していたとしたら、C2からC6までの意見が出されることはなく、足し算の筆算がよく理解できていないかもしれない他の子どもたちは、よくわからずに進んでしまったかもしれません。

 

 ところが、Cさんが、間違いを恐れずに、間違った意見を言った勇気のおかげで、みんなが一生懸命考えることができたのです。

 

 どうしたら正しい答えになるでしょうではなく、どうしたらこの間違えた答えになるのでしょうと考えるため、「間違えたらどうしよう」という不安な気持ちはなくなります。また間違えた子も、自分のおかげで、みんながたくさん意見を言えたということになり、自分の意見が役立ったということから、間違える不安は消えることになります。

 

 もちろんだからといって、わざと間違えることは、いけないということはルールにしておかなくてはいけません。

 

 そのうえで、間違った意見が出たときには、どう考えたら間違えた意見にたどり着くのかを、みんなで考え合うとき、発表する子どもも増えていくのです。(実話を元に書きました)

 

「教室はまちがうところだ」という蒔田晋治さんの有名な詩があります。

 

 この詩の一部を子どもたちに訴えて、手を挙げさせようとしている先生も多いようです。

 

 それは、授業では手を挙げて意見を言わなくてはいけないという、幻想から来ているのではないかと思われます。

 

 蒔田晋治さんが、訴えたいことは、「意見を言わなくてはいけない」ということではなく

 

「まちがうことをおそれちゃいけない まちがったものをワラッちゃいけない まちがった意見を、まちがった答えを ああじゃあないか こうじゃあないかと みんなで出しあい 言い合うなかでだ ほんとのものを見つけていくのだ そうしてみんなで伸びていくのだ」

 

ということです。

 

「ほんとうのものを見つける」「みんなで伸びていく」ここに目的があるのですが、どうも教育現場の先生方は、自分の授業をきれいに見せたいようで、そのためには、たくさんの子どもに手を挙げさせようと血眼になっているようです。手を挙げさせることが目的になってしまっているのです。

 

 別に、手を挙げなくてもいいのです。友だちの意見を1つも漏らさずすっかり聞いて、その上に自分の考えを持っていけばいいのです。そして、ちょっと言ってみようかなと思ったら、言ってみればいいのです。

 

 そして、先生が失敗から本気で学べることを意識して、人の失敗を馬鹿にしたりしないクラスが作られていけば、自然に発表する子は増えます。

 

 だって失敗した方が得点がいいのですから、どんどん言わなければ損です。

 

 人は、生まれたときには、歩くことすらできませんでした。ところが、何度も転んでは歩く練習をして、やっと歩けるようになるのです。転ぶということは失敗するということです。

 

 何度も片言でおかしな声を発しながらやっと話せるようになっていきます。おかしな言葉は、間違った言葉を言っていることになります。

 

 失敗をしながら成長してきているのです。

 

 ですから、正解は100点かもしれませんが、失敗はそれよりもっと得点が高いのです。

 

 有名なエジソンの話でも、エジソンは電球を作るまでに何千回も失敗しているのです。

 

 私は、先生方に、失敗させる授業を作りましょうと訴えたいと思います。