不登校に対する認識を変えましょう
それでは不登校をどうとらえればいいのでしょうか?
まず初めに、不登校は「子どもにとって必要なこと」だと受けとめることです。
これから始まる子どもの長い人生を、自信を持って、また人を信頼して生きていくために、いま不登校を引きおこすことが必要だからなのだといえます。
そして、不登校にかかわった人、お母さんやお父さんや周囲の人びとに、子どもとともにより豊かな人生を切り開く大きなチャンスを、お子さんが与えてくれているんですね。もちろん、その渦中にいると、とてもそうは思えない。しかし、乗り越えた人の体験は皆、必ずそうなっています。
子どもの行動に意味のないことは、ひとつもない。子どもにとっても親にとっても深い意味があると信じてください。
1番心配なのは、本当は不登校したいのに、不登校も起こせないで頑張ってしまう子どもたちです。
その子たちの中には、大学生や大人になってから病理的な神経症などになる子もいるからです。そして引きこもってしまうのです。2024年時点で引きこもりは146万人と報告されています。
引きこもりは大人も含まれますので、不登校イコール引きこもりではありません。
しかし、義務教育の時代は、学年が毎年変わりクラスが変わることで、一歩を踏み出すきっかけになります。また教育相談機関など、受け皿もあります。ところが、不登校のまま大人を迎えてしまうと、1年ごとの学年学級の変化、小学校から中学校、中学校から高校へというような変化がなくなるばかりでなく、社会的な受け皿が、義務教育時代に比べると激変します。
子どもは、学年が変わるときなど、今年はがんばろうと変わるきっかけになります。ところが、大人になると、1年ごとに職場が変わるわけではありませんし、子どもの時に比べれば、1年ごとの変化は激減します。
ですから、小学校低学年時代というような早い時期に、不登校のサインを出してくれることは、親としても本当にありがたいことなんです。
どうして不登校を起こせたの?
ではなぜ子どもたちが不登校を「起こせたんだろう」と考えてみてください。
不登校になるというのは、学校に不安を感じているから、安心の場である家にいたい、と思うからです。
今自分が不登校を起こせば、お母さんは困るだろうな、悩むだろうな、悲しむだろうな、と子どもはけなげに苦しんでいます。でも、「お母さんは、たとえ苦しんでも、不登校を起こした私をも愛してくれる、どんなことがあっても見捨てない」という安心感と信頼の根本があるからこそ、学校に行きたくないという感情を表せたんですね。
裏返せば、それが出せなかった今までは、「不登校起こしたら、見捨てられちゃうかもしれない。だから我慢しなくては。」と、必死に耐えてきたんです。
でも「私のお母さんは、お母さんしかいない」「自分のことを無条件で受け入れてくれるのは私のお母さんだけなんだ」「お母さんなら助けてくれる」「世界中で私を守ってくれるのはお母さんだけなんだ」という信頼のメッセージを子どもがくれたんだ、そう思ったら、子どもの不登校を少しは前向きに受けとめられるのではないでしょうか。
子どもにとって母親は、かけがえのない、大切な大切な存在なんです。
怒りや悲しみをすべてお母さんにぶつけてくるのは、お母さんがだれよりも大切だからこそです。
子どもがぶつかってきたときは、たしかにつらいと思います。でも「私がこの子にとって大切な人だからこそ、私にぶつかってきてくれているんだ」と感じていければ、お母さんの不安感も少しは取り除くことが出来るのではないでしょうか。
人間は人間にぶつかれることが、いちばん幸せなことなんです。
また不登校児の中には押し入れや暗いところに引きこもったりする場合もあります。
これは、ある意味でお母さんの体内に戻るのと同じことです。お母さんは「もう一度子育てできる!」と、その楽しみをもう一度味わえると考えてはいかがでしょうか。
子どもは、親と一緒にいる時間は、それほど長くありません。
せいぜい小学校6年生までです。中学生ともなれば、親より友だちです。親と同じ家にいたとしても、その距離は遙かに遠いなどと言うことも珍しくありません。この子と一緒にいるのも実は後数年と思うと、不登校してくれたおかげで、他の親より子どもと大切な時間を過ごすことができると思えないでしょうか。
中学校へ入学して不登校になった子がいました。父親が相談に来たのですが、「どうせ休んでいるのですから、仕事の休みを取って、親子でキャンプしたり、テーマパークへ行ったりしてはどうですか。平日はすいていますよ。」と提案しました。
すると、「そういうことはいけないことだと思っていたので考えてもみませんでした。」と。
1年後、「九州の祖父のところまで一人旅に出かけるほどまでに回復しました」と報告がありました。
私は、多くの親は、小学校に入るころくらいになると、自分は子育てしていると勘違いしているのではいかと思うことがあります。
子どもは朝から昼間には、学校で生活し、夕方からは習い事に行き、家に帰ったら夕飯を食べ、宿題をやり、お風呂に入り、そして寝る。
この子どもの生活の中で、どこが子育てにあたるのだろうかと考えると、家から帰り習い事に行く中で、今日の学校の話を聞いたり、夕食は家族そろって楽しく団らんしながら食べたり、宿題を見て、「この字違っているよ」と教えながら、終わったときには、「よく頑張ったね」と、おやつを出してあげたり、時には一緒にお風呂にも入ったり、一緒に家族として過ごす中で大切な価値観を教えたり。
どうも、子どもが自分でできることは、ほかっておいても自分でやるからいいと思って、会話もなく、親は親として好きなことをやっているのではないかと思えてなりません。
それって子育てしていると言えるのだろうかと。
ところが、不登校になると、子育てしなくちゃいけなくなるんですね。
目に見えない 心の発するメッセージ
お母さんの不安が少しでも解消され、お母さんの心が前向きになったとき、初めて子どもの心に寄り添うことができます。
こうしてお子さんの心に寄り添ってみると、不登校は目に見えない心や生命の発する、一つのメッセージなんです。
いわば、その子の心に正面から向かいあういいチャンスです。
いざ、向かいあってみると、子どもの心の中は不安でいっぱいです。
そして、とても傷ついている。それが高じると恐怖心が渦巻きますし、自分や周囲に対する不信に満ちてもくる。生命がとても緊張しているんですね。こういう子どもの心の世界を是非、知っていただきたいのです。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求の発達を5段階に分けています。
5段階のいちばん上にあるのは、「自己実現したい」という欲求です。この自己実現が、学びたいとか高まりたいとか、よくなりたいという気持ちです。
この「自己実現」をいろいろな欲求が支えています。そのなかでも、「安心・安全が欲しい」という欲求があり、不登校の子たちは、ここの世界ができていないんです。
その状態でいくら勉強させようとか押し出そうとしても、無理なんですね。
では、この「安心・安全欲求」を満たすためには、何が大事か。不安を解消したり、恐怖心を取り除くためにはどうしたらいいのか。それには「受けとめてもらう体験」をいっぱい味わわせてあげることです。
赤ちゃんの時を思い出してみてください。0歳児の頃は、お母さんが視界から消えてしまうだけでも不安になって泣いていたことはありませんでしたか。
これが、子どもとお母さんの安心感の距離なんです。
眠っていて、お母さんがすぐ隣にいないと泣いてお母さんを呼ぶんです。
しかし、生活と共にその距離が広がっていきます。
同じ部屋なら大丈夫、家の中なら大丈夫、庭までなら大丈夫というように、お母さんの存在を認識できる範囲が広がっていくことで、安心できる距離が伸びていきます。
ところが、家庭の事情もありますが、今では0歳児保育などと、はやくからおかあさんから離れてしまうことも珍しくありません。
そうすると、本来なら幼児期にできるはずだった「安心・安全の欲求」が未発達なまま児童期を迎えることになります。
これは誰が悪いとか、方法が悪かったということではありません。いろいろな事情からそう育ってしまったのです。それなら、これからどう育てていけばいいのかということになります。
それがボタンの掛け違いであるなら、もう一度戻って掛け直せばいいだけのことなのです。
その1つが「受けとめてもらう体験」です。
続きは次号でお話ししたいと思います。