「あなたメッセージ」がダメならどうすればいいのでしょうか。

 今回は、それをお伝えします。

 

〈第2話 「わたしメッセージ」がもつ力〉

 コミュニケーションという観点から、教師と生徒のやりとりをあらわすと。

 

 「生徒に対する思い」=「このままでは心配」→「行儀が悪いなあ」

 

のようになります。ところが、コミュニケーションにはメッセージの送り手と受手がいますが、この「行儀が悪いなあ」という表現が、受手にはどう受けとめられるかというと、必ずしも、相手が自分を心配しているということが、理解されるとは限りません。それどころか、自分が非難されたと感じることの方が普通です。

 

「生徒に対する思い」=「このままでは心配」→「(あなたは)行儀が悪いなあ」〈あなたメッセージ〉

→「先生は私が悪いと思っている」

 

 これでは教師の真意が生徒に伝わらないどころか、生徒は教師についての誤解のうえに基づいた敵意すら抱くことが起こってきます。不幸な関係のきっかけは、実はこんな些細なことの積み重ねではないでしょうか。

 こんなときに、「あなた」を主語に相手について語ることをやめ、「わたし」を主語に、自分の気持ちをそのまま表現しようというのがゴードン博士のいう「わたしメッセージ」です。「わたし」を主語に語ることで、誤解の余地は少なくなります。

 

「生徒に対する思い」=「このままでは心配」→「このまま授業を受けていると内容がよくわからなくなるのではと思い(わたしは)心配だ」〈わたしメッセージ〉→「先生は自分のことを心配してくれている」

 

 このような「わたしメッセージ」は、生徒に対する否定的評価を避けることができ、生徒と教師の関係が傷つきにくいのです。また、生徒が自分なりに考える余地を残すことから、生徒の自立を促すことができやすくなります。

(「教師学」心の絆をつくる教育より)

 

 「わたしメッセージ」を送るためには、担任が自分の気持ちを具体的に語らなくてはなりません。すると、なぜそれを求めているのか、子どもも納得できる場合が多くなるはずです。納得すればおのずと、行動の方向は定まり、教師が強く指示しなくとも、子どもが自分で正しい行動を決定していくのではないでしょうか。

 

 これは「教師学」という考えの話ですが、教師を「親」に置き換えれば、親子の関係にも当てはまります。

 この「教師学」の本の、おわりに、目指すものとして次のようなことがかかれていました。

 

 「教師から生徒が学ぶものは、たんに教科の内容だけではなく、実は、教科を媒体として、ひとりの人間としての教師のあり方     ~価値観・人生観~       でもあります。授業の内容そのものと同時に、たとえば世界史の先生のエジプトを語る口調の熱さから、生徒は大切なものを吸収していくのです。つまり、教師であるという役割だけでなく、ひとりの人間の存在がまるごと子どもにふれて刺激するような教育体験が子どもに起こるような学校であってほしいと願うのです。」と。

 

 これまでの、日本の教育において、すっぽりと抜け落ちてしまっていることが、「価値観・人生観」なのではないでしょうか。

 学力の高低は、能力の違いです。決して優劣ではありません。

 昨今多くの人々を苦しめている犯罪、特殊詐欺などは、高い学力を持つ者の仕業であるとしか思えません。

 高度な知力を持ち、それを悪に使う。ここに抜け落ちた「価値観・人生観」を見るのは私だけではないと思います。

 こんなに文明が発達し、月に暮らし、火星にも移住を目指すこの時代が、なぜ平和で安心できる世界にならないのでしょうか。