最近、こういう日韓の古代史に関心を持ってたら、
テレビの歴史スペシャルでおもしろいのをやってたので、ちょいとアップします^^
日本列島にはたくさんの渡来人が渡って来た上に、
百済の滅亡で更に多くの百済人が亡命してきたことは前にも書きました。
半島では、660年の百済の滅亡に次いで、668年には高句麗も滅亡します。

高句麗の若光王は、1799人(?)の側近と一緒に、日本列島に非難してきます。
日本の天皇は、彼らに、関東地方に住むように言い渡します。
写真は埼玉県日高市の高麗神社
その、高句麗系亡命人達が手がけたのが、「そば」の栽培。
その地は、有名な、そばの産地になります。
高句麗人は高麗人(こまびと)と呼ばれ、後には、狛、駒と、字を変えていきます。
高句麗に由来したと思われる地名; 高麗(こま)、狛(こま)、駒(こま)・・・・
高来、高座、高倉 (たかくら)
高麗川、狛川、駒川 (こまがわ)
狛江(こまのえ)、駒木野(こまきの)・・・・・
その他、志木(しき)、新座(にいざ)、新倉(にいくら)、白子(しらこ)・・
関東地方一帯の、武蔵、相模、駿河、常陸、上総、下総・・・・・にある地名から、
高句麗人達は関東地方に住み着いたと思われます。
これで、日本語の中に高句麗語が混ざってる理由がわかる・・・・ 



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(ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、とお。
古代高句麗語;;;ハツ、トツ、ミツ、ヨツ、イツ、??ナン、??、??、トク)


