日韓古代史 ⑤ は、日本に逃げて行った百済人の話です。
 
ここからは、史実を元に研究した人の主観がかなり入ってきますので、
   「そういう解釈の仕方もあるんだな~~」くらいに思っていただければ・・・・・・
     私もこの話には責任持ちかねます。
 
                           
 
百済の滅亡(660)とともに、日本に亡命した百済人はたくさんいました。
白村江の戦い(663)当時だけでなく、以降数十年間に渡って、波をつたって、何度も何度も、かなりの数です。
 
彼らは百済の高官だった人達が多く、日本に来ると、日本でも重要な位置を与えられました。
百済で学者だった者は日本でも学者に
百済で建築家だった者は日本でも建築家に
そのほか重要高官だった者は日本でも高位につきました。
                                                                  
 
 百済避難民が日本に移民して、最初に任せられた任務が「日本書紀 」の編成です。
     「日本書紀」は別名「百済書紀」とも言われるくらい、百済の話が多いのですが、
     その中でも、白村江の戦いに負けた後、「先祖の墓に参る道を塞がれた~~!と嘆いています。
     つまり、「日本書紀」の著者は百済人ということになります。
     この頃に書かれた、「古事記」「日本書紀」は、新羅に対する敵愾心に満ちています。
 
 7世紀までの書物には「半島には金銀宝が山ほどあったのに~~~!と、懐かしさが書かれています 
     が、
     8世紀に入ると、「息子の国である新羅にはいいものなど何もない!!と、
     まさに、{愛しさあまって憎さ100倍!!
     未練を断ち切ろうとする思いを伺うことができます。
 
 この頃、「日本神話」が編成されました。
    「神は朝鮮半島に降り立ったが、地が乾いててよくないので、日本列島に来て国を作られた」
    という筋書きになってます。
    直接日本に降りたのではなく、半島経由で日本に来たという筋書き、
    それに、半島に対する未練を断ち切ろうとする意図を伺える内容は、百済系帰化人が書いたと思われます。
 
 
 日本国内のあちこちに残ってた、半島との関係を意味する名前を消したのは百済人です。
      新羅神社           →   白木神社
      韓国(からくに)神社     →  辛国(からくに)神社
      高麗(こま)神社       →   駒神社
      高麗(こま)          →   駒、狛
      韓泊(からどまり)      →   福泊(ふくどまり)
      韓津(からつ)         →  唐津(からつ)
      百済来(くだらぎ)       →  久多良木(くだらぎ)     →  多良木
     苦い思い出の残った故郷の面影を消してしまいたかったのでしょう・・・・・ 

 

帰りたくても帰れない、
すでに敵の領土になってしまった祖国への未練は断ち切り、新しい土地;日本で、国造りに励もうとします。
 
と同時に恩讐;新羅に対する怨みは、
日本の国を大きくして、いつか新羅に復讐してやる!」となり、
彼らは、日本の国造りの為に一生懸命貢献し、新羅よりも強くて優秀な国にする為にがんばりました。
 
この、日本人になった百済人の血が子孫へと受け継がれ、
その後、韓半島に対する敵対感情となっていきます。
 
ことあるごとに韓国に対して嫌韓感情を発する一部の日本人は、この百済難民の怨みを引き継いだのでしょう。
 
 
 
                  参考・・・・・・・・  이🌠교   「재미있는 일본🍦의 뿌리」    넥🍏스 books
                                                        김용🐚   「한일간의 얽힌 실타래」   🎊학사상사

 

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へ
にほんブログ村