今日は4月13日。

 

大韓民国の臨時政府発足から90周年です。

 

臨時政府とは、1919年3.1独立運動のあと、独立運動家達を中心に上海に仮政府をたてました。

 

1919年4月11日、ちょうど90年前です。




 

ウィキ百科で調べてみると↓

 

大韓民国臨時政府は、1919年に朝鮮の独立運動を進めていた人々によって中国の上海(シャンハイ)に設立された亡命政府。
李承晩(イ・スンマン)、呂運亨(ヨ・ウニョン)、金九(キム・グ)といった人々によって設立され、日中戦争勃発後、重慶に移った。当時の日本人は「上海仮政府」と呼んでいた。

 

創設
三・一独立運動後、独立運動の継続と拡大のため、内外各地で政府樹立の計画が進められていた。
当時、上海には多くの朝鮮人独立運動家が集結していたが、彼らは臨時議政院を設立し、李承晩を首班とする閣僚を選出、臨時憲章を制定し、1919年4月、大韓民国臨時政府の樹立を宣言した。
同じころ、京城(ソウル)とシベリアでも臨時政府が樹立されたが、やがて上海の臨時政府に統合されていく。

 

活動
1919年6月、内務総長に安昌浩が着任し、連通制(朝鮮内地との秘密連絡網)の組織化や機関紙『独立新聞』の発行、
各種の外交・宣伝活動が展開され、臨時政府は中国、フランス、ポーランドから承認を受けた。
しかし、臨時政府はシベリア派と上海派の対立、安昌浩等の「民力養成論」派と李東輝等の「即戦即決論」派の対立、さらに李承晩と安昌浩の対立など、指導者間の対立によって混乱し、1923年の国民代表会議の決裂以降は急速に勢力が弱まった。
1925年の李承晩臨時政府大統領の弾劾以降、金九が指導者の地位に就く。
金九は1932年、相次ぐ抗日武装闘争を実行し、1933年には蒋介石と対日戦線協力で合意した。
しかし、日本軍の中国侵攻に伴い、臨時政府は上海を脱出して、1940年に重慶に入った。
そこで光復軍総司令部を創設して、1941年12月9日、対日宣戦布告[1]をする。アメリカ戦略事務局(OSS)と協約を結んで光復軍の特務工作訓練を受ける。
しかし米軍潜水艦と飛行機での本国進撃準備途中、日本の降伏を迎えた。




 

下のサイトより抜粋しました。

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へ
にほんブログ村