山口県在住、喜びの調律師、めぐちゃんです😊
まずは自分自身が喜びいっぱいにイキイキと輝いて生きて、その波動を波紋のように周囲に広げて生きていけたらすてきだな✨という願いをこめて、こう名乗ることにしました♬🌸🌟🌈✨✨東野圭吾原作『人魚の眠る家』見ました。
まだ見てない人は、これから先は読まないでね😉
それでは、私なりの感想へGO🏁
途中で何回も見るのを挫折しそうになりながら、最後まで見ました。
重苦しく、息苦しかった〜😭
でも、こうやってブログに書こうと思うくらいには、心に訴えかけてくるもの、考えさせられるものがあった。
私なら、どうするだろう…❓と。
篠原涼子演ずるお母さんと、プールで溺れて脳死状態になってしまった娘の物語。
最近の私のテーマだな、と思った。
絶対的な正解なんてない。
何を選ぶか。
その人にとっての正解を…正解だと思えるほうを選ぶしかない。
人の数と同じだけ、正解の数もある。
あなたにとっての正解は、何でしょう❓
そう、問われている気がした…
もう目が覚めません。
娘さんはずっとこのままです。
そう言われても、身体が温かく、心臓が動いていたら、きっと望みを捨てることは難しい…と思う。
いつか目を覚ましてくれるかもしれない❗️という希望にすがって、延命措置を望むと思う。
でも、本人の意思とは無関係に、脊髄に電気信号を送って筋肉を動かす、というシステムには、ゾッとするものを感じた。
電気刺激により、無理に作られた笑顔
なんだかうすら寒いような、不吉な感覚…
なんとも言えない、胸が嫌な感じにざわつく感覚を感じた。
その時思った。
映画内でも誰かが言っていた。
それは、人間が触れてもいい領域を超えた行為だ、と。
私も同じものを感じた。
身体の反応がそう告げていた。
何かがおかしい、ずれている‼️と、
心が、身体が、内側から大声で叫んで異を唱えていた。
なんだかちょっと怖くなるくらいに。
頭、心、身体…すべてそろってこそ、その人なのだ、と感じた。
人はやっぱり、本質は愛だし、すべてひとつなのだと思う。
そちらへ向かって、全体的な流れがあり、自分もその一部なのだと思う。
だから、自分だけが幸せで、周りの人が不幸、という状況は、不自然でアンバランスだから、それを正す方向へと力が働くのだと感じた。
自分の心の深いところが、魂が知っている。
自分だけが幸せ…というのはありえない。
すべてはひとつなのだから。
お母さんの、娘のみずほに生きていて欲しいと願う、強すぎる思いが、周りの人を不幸にしているように見えた。
みずほの姿を見るたび、自分の罪を思い出してそれを深く心に刻み付け続けているように見えるおばあちゃん。
娘を思いながらも、何が正解なのだろうか、家族の幸せなのだろうか、と悩み続けるお父さん。
学校でいじめられそうになっている弟のいくと。
物語は、お父さんとお母さんが、容態が悪化した娘の延命治療を拒否し、娘の死を受け入れるところで終わっていた。
いいも悪いもない。
こうすればよかった、ああすればよかった…
そんな風に言うことも、お母さんを責めることもできない
ただ、自分に向かってくる運命の荒波を、あっぷあっぷしながら泳ぎきる家族の姿を、スクリーン越しに私は見た…
そんな感じ。
圧倒的な迫力とインパクトで、私に問いが投げられる。
あなたならどうしますか❓
重苦しくてしんどいけど、ぜひ見て欲しいな❗️と思いました。