「普通」
その言葉ほど私を悩ませるものはなかった。
小さな頃から入院生活ばかりで、学校の友達に「友達感」を覚えたことはない。
そんな私が、何の音も無い中で、どう人と「一列に交われ」というのか。
そんな調子だから勉学は疎かになり、いつしか
「5教科は、やりたいヤツがやれば良いもの」。
そんなトゲトゲしい解釈に変わっていった。
やがて私は高校生になる。
高校生と言っても、何の願いも叶わなかった進学先だった。
5教科は、やりたいヤツがやればいい。
この匙加減が仇となったのだ。
ただ、それは単なる強がりでしかなく、実際には中学生になっても私の体調が優れることはなく、毎日学校に登校することだけで精一杯。
通学は、命懸けに等しかったのだ。
静寂した体育館に教壇のマイク。
同級生はみな、ハンカチ片手に「蛍の光」を歌っていた。
けれど、私は歌わない。
一人。
心の中でそっと讃美歌を歌っていたからだ。
気がつかないようにしていたけれど、いつだって、私はそうやって。
ずっと一人ぼっちだったのだ。
そんな私に転機が訪れるのは、もう間もなくのこと。
何が転機か。
どう転機を迎えたのか。
それは、進学した高校の勉強が、ものすごく「楽勝」だったということだった。
この「楽勝」が意味するものは何かと言うと、
学生でありながら「自らの時間を自らの手で創り出せる」ということだった。
他の学校に進学していたなら、ついていくのに必死で無理な話だっただろう。
そうして私は、1つの道を選択する。
有数の進学校に進学しなければ、エリートになれないなんて誰が決めたのだろう。
考えたら、ほんの数年間かじった程度の5教科レベルで、将来が意とも簡単に左右される。
無情に線引きされる。
随分と可笑しな話だよ。
そんな人生あってたまるか!
そして私は、心を決める。
医者になろう。
私だからこそ出来ること。
ここを焦点にあてた答えが、医者だった。
音楽家という選択ではなかったことは意外かもしれないが、幼い頃から入院してきた私は、常に小さな子どもを目にしていた。
皆さんが知っているのはテレビから流れる映像世界だけかもしれないが、私には、映像ではなく常に、目の前の世界だった。
小さな子どもが泣き叫びながら治療を受ける。
その現場は、あまりにも壮絶だった。
だから私は、入院をするといつも、食堂の脇にあるエレクトーンを弾き、「ぞうさん」「ちょうちょ」「7人のインディアン」「聖者の行進」「メリーさんのひつじ」などの童謡を歌い、集まってきた子どもたちに絵本を読んであげていた。
かける言葉は
「大丈夫」
「泣かなくても大丈夫」
だった。
もし。
私が大人になった時。
その担い手の一人になれたら、私自身もどんなに救われることだろう。
医の道に向かう理由は、そんな思いからだった。