週刊新潮による実名報道 | キャンドル屋の1日

週刊新潮による実名報道

『木曽川リンチ殺人事件の加害者、実名報道を考える』


1994年にわずか11日間のに4人の若者の命が壮絶なリンチの末、奪われた木曽川事件。

今月14日、事件の主犯格の3人に対し、名古屋高裁は『全員に死刑判決』を下ったのは記憶に新しい。


その判決を受け、20日発売の週刊新潮は容疑者の3人(当時19歳)の実名を記載した記事を掲載した

のだ。そこで、投げかけられているのは『史上最も凶悪』とも言えるこの犯罪者たちの素顔がなぜ今も匿名化され、報道されないのか(新潮の記事を引用)。という問いである。


あれほど凶悪な犯罪者をなぜ保護する必要があるのか。加害者の人権とは何なのか。一方で、志半ばで殺された被害者の人権はどうなのかを考えさせられる記事だった。


まず結論から言うと、個人的には新潮の記事に全く同感であり、彼らを匿名にする必要があるか甚だ疑問である。ただ当時少年だったというだけの理由で、ここまで彼らを保護する必要があるのだろうかと思うのである。


そう思う理由は犯行の残虐性である。

記事の中では4人を次々と殺害していく残忍な犯行が明らかになっている。

『拳やビンで殴打・・・、頭部の傷口にフォークで突き刺し、シンナーや醤油をたらして反応を見る』

『アルミ製鉄パイプでメッタ打ちし、命乞いされても構わず殴り続け、逃げられないように足の大腿部を折って被害者を逃げられないようにする・・・』同様に残忍な手口で4人を次々と殺したというもの。

そして、驚くのが殺害動機。ただ被害者と目があったから・・殺した。

胆略的で、自己中心的というほか言い様がない。


正直、これが人間のすることだろうか。そして、この人間を生かしておく必要があるのだろうか。


当時の被害者の精神的、肉体的苦痛は筆舌し難いのは言うまでもなく、残された親族のことを考えるとなんとも言えない気持ちになる。


これだけ残忍な手口であり、なおかつ高裁で死刑判決が出ているのにもかかわらず、当時少年で

あっただけの理由で、匿名扱いにし、事件の詳細が報道されることはない。確かに、精神的に未熟な少年へ反省の機会を与え、更生の道を開くという意味で『少年法』というものが存在することは理解できるけれど、それはあくまで窃盗や万引きでの話。記事にあるように、そもそも殺人と万引きを同列に扱うこと自体が間違っている。


少年法について、憲法学者の小室直樹さんが著書の中で、『人権とはすべての人間に同等に与えられて権利であり、一定の個人や集団に与えられたものは特権という』と述べている。つまりは特定の人に与えられた特権と万人に与えられるべき人権とは区別せよということである。


そこで、今回のような少年による凶悪犯罪が起きた時に、度々議論される『少年法の改正』について。

『少年の人権を守りましょう!!』、『犯罪を犯しても彼らには更生の道が与えられるべきた』と言って少年の人権を守るべきだと言っている政治家やテレビのコメンテーター。彼らが訴えているは正確には『少年の人権』を守ろうと言っているのではなく、『少年の特権』を守ろうと言っているに過ぎない。


今回の事件のように加害者の人権が匿名で守られる中で、被害者は肉体的、精神的苦痛の中で、命を奪われた上、実名でしかも写真入りで報道されることを考えると、日本には本当の意味での人権が存在するのかと思ってしまう。『少年法』についても、まずは更生の道を考える前に、罪を公にさらして、それを償うのが先ではないだろうか。


そういった意味でも今回の3人に対する『死刑判決』と週刊新潮による実名報道は個人的には極めて妥当だと言える。