見えている?? | 超ダメ人間の大学4年生が夢を叶える物語

超ダメ人間の大学4年生が夢を叶える物語

親孝行と自己実現をするために。

営業を通して、日々人として成長

【日本の教育を変える変革者となる】

筆者:キャンドルちん
理念:「誰をしあわせにしたいのか」を常に考えて。




みなさん、失う怖さはありますよね??


もちろん、僕にもあります。



しかし、

普段から僕たちは何かを失っています。


ただ、感じていないだけで。


それはなぜでしょうか。


極めて単純な答えです。


僕たちは、


人生を取捨選択して生きているからです。


時間は一定のスピードで流れ、

早送りも巻き戻しもできないからでもあります。



今、

このブログを見てくださっている人、

テレビを見ている人、ゲームをしている人、

遊んでいる人、不幸にあっている人、寝ている人。


人それぞれ違う人生を生きていますが、


今という時間は共通です。


その共通している今をどう過ごすか


これはあなた自身が決定しています。



明日は土曜日です。

多くの人は休日でしょう。

その土曜日になにをするのか。


これもまた人それぞれ取捨選択しています。



寝て終わる人、年末のセールに行く人、

家でゴロゴロしている人、なにか趣味をしている人

貪欲に活動している人。




同じ土曜日という時間の使い方を


僕たちは自分の意思で決定しています。




そう

僕たちは、


何かを選択している時、何かを捨てています。


捨てているとは、


要するに、失っているということ。



よって

人生は取捨選択の連続ということは、


得て失って得て失って繰り返し


ってことになります。



だから、



失うのは当然なんです。

何かを選んでいる時点で、何かを捨てているからです。



これが失う理由です。



得ているからこそ、失っている。


当然ですよね。




必ずしも、


得ているモノ、失っているモノは


目に見えているモノとは限りません。


ここがキモなんです。


先ほどから挙げている時間だって、

目には見えないモノです。



相手からの信頼だったり、


前回言った、

長期的な視点で物事を捉えることだったり。


これらは、目には見えにくいモノです。


逆に、


目の前のカネだったり、

短期的な視点で物事を捉えること


これは目に見えます




しかし、

それは本質的なモノでしょうか。


僕は違うと思います。


本当に大切なモノは目には見えません。



ということは、

目に見えないモノも得ていることになります。



失っているばかりではないはずです。

なにかを得ているはずです。



一度、


自分の中にあるモノを

振り返ってもいいのではないかと思いました。