がん治療の目的を患者さん、医療者は見失っていないか?






おつかれさまです。

小雨程度ならば

「iPhone 7は防水仕様だから〜」

と濡れながらサンダル短パンでレイドしている時間帯ですが、

流石に本日は大人しく自宅待機です。

(台風の二次災害に皆さん、くれぐれもご注意ください)




大人の諸事情で、勤務医ですが、日本医師会雑誌なるものが医局の机に定期的に届きます。

普段は、ふーんと、正直あまり読んでないのですが(すんません・・・)、本日は夕方これを見つけて、ガン読してきました。

特に、虎ノ門病院の腫瘍内科の先生の書かれた記事が、いつもこのブログで訴え続けているニャンコ節とほぼほぼ同じで感動したので、ニャンコなりのアレンジ加えながらご紹介させてもらいます。



「がんになったら、抗がん剤治療を行うことが当然」

こう考える患者さん、医療者が今でも多いことでしょう。
事実です。でも全ての人に正解ではない。



「例えどんなに辛くても、抗がん剤は使い続けるしかない。」

「抗がん剤を諦めるなんて、絶望だ。 見捨てられた。」

このようにおっしゃられる患者さんに、僕は質問したい。



「そこまでして、何のために、抗がん剤を使うのですか?」



この背景には、何かしていないと心が耐えられない患者心理があると思う。

がんという疾患に対する非常にネガティブなイメージ。

悪、死、不自然、闘うべき対象。

闘い続けないと、自分を失うような感覚。



ただ、この時点で、がん治療において、患者さんが自分を見失っていることに気づいて欲しい。



治療は何のために行うのか?


具体的には、個人差はあれど、

1日でも長く生きるため

残された時間を穏やかに過ごすため、

子供が成長するまで隣にいるため


このように、治療の目標は具体性があれば、頑張るべきだ


我々も、この治療目標に少しでも近づけるように、意義があるならば積極的に抗がん剤などの積極的がん治療を勧める。

逆に、これに逆行する、つまり、目標に貢献しない治療は、医療者として勧めるべきではない。



現在、多くの抗がん剤が開発され、一部の難しいがん種を除いて抗がん剤の選択肢はかなりの数がある。

30年前に開発された古き時代の抗がん剤を含めれば、ひとつのがんに使用で切る抗がん剤の種類はかなり多い。


患者さんの心理として


「使える薬は全部使いたい」と考えるのは妥当だろう。


ただ、抗がん剤の治療効果には、予測できる期待度というものがある。

例えば、抗がん剤にも様々なグループがあって、同じグループの抗がん剤に既に耐性化している場合は、同じグループ内の抗がん剤の効果はあまり期待できない(例外もあるが)



同じような薬理作用の抗がん剤を既に使っていて、それよりも古い時代の同様の薬がまだ未使用だからと、

「患者さん、まだこの抗がん剤が残ってますよ」

このように、効果が期待できない抗がん剤を勧めることで、その患者さんの本来自由に勝ち取ることが出来た貴重な時間を、副作用漬けの無意味なものにしてしまう。


このような医療者は、やはり、本質的に、がん治療というものをご理解ないのかな?と思えてしまう。


「患者さんのための、がん治療」


本来、こうあるべき。

我々は、患者さんを診て、話し、相手を理解し、お互い尊重しあい、話し合いの末、治療法を決めるべき。


それを、いつからか、本来の治療目標、患者さんのため、これを見失って、

何のためだか分からない


「治療のための治療」


これを正義と思ってやしないか?


これに歯止めがかからず、死の直前まで患者さんを苦しめる結果になってはいないか?



このようなことになってしまう背景もある。


そのひとつは、緩和ケアに対する誤解だ。


世の中に根付く、緩和ケアに対する誤解。

緩和ケアを、絶望の末の結果、やることがない患者さんへの最後のステージ、そう捉えている患者さんと医療者の多いこと、多いこと。


積極的がん治療と、緩和治療との間の、絶望的な壁。


本来、こんな壁は存在しないんです。


常々書いてますよね、緩和は別に最後のほうでする治療ではなく、積極的ながん治療と並行して検討すべきものであることを。


緩和ですよ、症状の緩和。
終末期治療などと、書かれていない。
結果的に緩和治療の主軸に終末期治療が含まれるのだが、元気に緩和目的に外来通院されているニャンコの患者さんもいます。



がんの患者さんは、少なからず、いろんなタイミングで、様々な症状で悩む。

がんそのものが原因の症状、転移による症状、がん以外に偶然かかった病気によるもの、精神的なもの、年齢によるもの、などなど。

これに対して、

「がんだから、しょうがない」

こんなことを医療者が言ったら、その人は最低ですね。


緩和を最後のステージと考える感覚は、捨て去ってください。

違いますから。


人は、これは何というか、自分ががん患者でもないのに書くことが失礼にあたるかもしれないが、



治療の有無が、希望と絶望の境界ではない。


治療は、普段の生活を支えるため。 そのために存在する。


人は、生活をするために生きているのであって、治療をするために生きているのではない。


起きて、話して、笑って、喰って、飲んで、寝て。


人としての当たり前の生活のために、それを維持するために治療をするべきだと思う。


患者さんがしみじみと、希望、安心、幸福を感じていただけるよう、

そのために、我々医療者は、がんに対して治療をしている。


その治療の中に、手術であれ、抗がん剤であれ、放射線であれ、緩和治療であれ。


そして、ニャンコがしている、がんカテ治療も。

意義があれば、するべきだ。
意義がなければ、するべきではない。


目指すべきゴールは、医療者が一方的に決めるのではない。


「ひとりひとりの、その人なりの幸せ」



虎ノ門の先生が書かれた上記の言葉が、まさにその通りだと思った。


このようなことを、文章として書かれる先生は、今の日本でもまだ数少なく、本当に素晴らしい先生なのだと感じた。




「患者さんのための、がん治療」 正解

「治療のための治療」 不正解









「吹田徳洲会病院 がんカテーテル治療センター」



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