母の「戦没者の遺族に対する特別弔慰金」の手続きをする
弔慰金とはちょういきんと読み、遺族を慰めるために支給されるお金である
第十二回の特別弔慰金は一年間に5万5千円支給される
2025年12月2日 芦屋市役所こども福祉部福祉室地域福祉課へ申請書提出
2026年3月10日 裁定結果の通知
2026年5月27日 芦屋市役所から齋藤元彦知事発行の「裁定通知書」届く(「3月4日に裁定したので通知します」って文書)
申請してから半年くらいかかった
で
市役所に「裁定通知書」を持って行くと「第十二回特別弔慰金国庫債券」を渡された
令和7年9月1日発行って書いてある
この手続きはちょっと大変なので私は先延ばしにしてた
3ヶ月たってようやく重い腰を上げ芦屋市役所へ手続きしにいったのだった
が
今回は母の戸籍抄本が芦屋市役所でとれた
(今までは新宿区四谷支所に電話し手紙かいて返送してもらっており、これもめんどくさくて手続きが進まない理由のひとつ)
あっというまに印刷してくれた
すげーと思った
戦没者とは豊岡日高町出身のわたしのじいちゃんである
戦争で亡くなったから会ったことはない
じいちゃんは姫路護国神社にまつられている・・・1945年6月20日が命日だからもうすぐだ
わたしはこの特別弔慰金の手続きでじいちゃんの戸籍を調べるまで、じいちゃんが姫路護国神社に祀られてる事をしらなかった
孫である私は何もしらず生きてきてなにもしてこなかった
が
姫路護国神社は戦後80年間、毎年命日に法要をしてくれたのだ
国が戦争をはじめなければ、じいちゃんはフィリピンのルソン島で死ぬことはなかっただろう
国の戦争で死んでしまったとはいえ
孫のわたしは命日もしらず手をあわせることもせず過ごしてた
姫路護国神社がご祈祷をあげてくれてたことは大変ありがたかった
戦没者のじいちゃんの弔慰金は遺族であるじいちゃんの妻、高知のばあちゃん(母のお母さん)に最初支給されていたのだろう
ばあちゃんが亡くなったあとは長女である高槻の叔母(母のお姉さん)へ受け継がれた
叔母さんがなくなったあと、従姉妹のマコちゃんがその資格証みたいのを渡してくれた
で
母は要介護4で車椅子生活なので芦屋市役所へいけないから私が代理で行った
代理では母の身元確認として介護保険証と後期高齢者保険証とふたっついる
行く前に施設よって借りた
その時、母に会ったら「そのズボン、なに!?」って聞かれたので「うしーー!」て答えたら「やだ!」って言われた
↓芦屋市役所のおトイレで自撮り
ヤダ!って言われた牛
Tシャツはタイガース
阪神タイガーズ、今、9回裏、ロッテに勝つかなー
