学校の校則と臨海学校 |       【兵庫・芦屋】アアシア通信

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校則でダウンコートが禁止なのはなぜ? 困り果てた高校生、寒がりながら登校(高校生新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

 

↑学校の校則ニュース

 

校則ってよくわかんないよな

 

私が高校生んとき

制服はブレザーであった

ちなみに高校は大阪の豊中高校

寒いときは上着よりジャケットの中にセーターを着てた

セーターに関する校則はなかったと思う

指定もなかった

我の愛用セーターは赤オレンジ色だった

まぁまぁめだつ

なんで紺色とかグレーとかにしなかったのか今ではもう覚えてない

赤オレンジ色のセーターを着てジャケットの前ボタンをしめず大開放で廊下を歩いてたら先生に呼び止められた

英語、コンポジションのツジモト先生(通称ツジポン)

ツジポンは英語教務室へ私を招いた

そしてその赤いセーターは制服にそぐわない、と言った

ツジポンはとくに生活指導でも担任でもなんでもなく、ただの英語教師だったのにそこまでわたしの服装指導をするとは熱心である、いや、成績がわるく呼び出されたついでに服装指導になったんだっけ・・・?もうそこらへんの事情の記憶はない

そして無言でツジポンの説教を聞いてる私へ最後にこういった

「君は美人なんだから、そのような派手なセーターを着る必要はないんだ!」

次の日からわたしが赤オレンジ色のセーターを着たかどうかはもう覚えていない

「美人」という単語だけ40年たった今も覚えてるビューティフルパーソン

生まれて初めて言われた「君は美人」

その日からツジポンの先生ポジションは私の中で「よい先生」に位置した

 

そんなツジポンはどうも芦屋市在住らしい

伊勢町に住んでるマリちゃん(同じ高校)情報によると

「朝、夫を阪神芦屋駅に送って行くとき、ツジポンが精道交差点をちゃりでわたってる姿みたで」

 

ツジポンは今でもお元気なようだ

恩師が今でも元気でいるってうれしいものだ

 

 

ところで

芦屋市の中学校の校則は意味不明なものが多かった

朝から30度超えの灼熱直射日光夏の暑い登校時に次女が日傘をさして学校へ行った(5~6年前)

先生から電話がかかってきた

先生「日傘は禁止です」

私「それ、晴雨兼用の傘なンすよ」

先生「・・・雨の時はさしてもいいですが、晴れの時は使用禁止です」

私「お天気雨のときはどうしたらいいですか?」

先生「・・・雨なのでさしてもいいです」

 

このように不毛の会話がPとTのAssociationで繰り広げられました

 

PTAはもっと生徒のためになる話し合いをするべきだ

先生の学校での役割は「生徒が楽しく学べる学校生活を工夫をすること」になってほしい

 

 

ところでところで

高校卒業アルバムの写真↓

共通一次や受験んときの願書にも使用したプロが撮った写真

いくらか修整されてると思う

卒業アルバムに載るっていったら一生ものだ

よい写真を載せて卒業生たちに大事に持っていてもらいたいじゃないか

 

アルバムついでにぱらぱらめくってたらみつけた

臨海学校んときの写真↓

高校で一番の思い出といっても過言ではない

いまでも夢にでてくる

昨日のことのように思い出すおもひで

京都府木津の浜詰海水浴場

現在は夕日ヶ浦海岸とも呼ばれる

高一の夏休みはいってすぐ希望者のみ参加の行事

男子のウエストに白さらしが巻かれてるのが確認できるであろうか

これは、万が一サメにであった場合、すばやくさらしをほどいて海中に漂わす

さらしは2メートル以上あり、サメは自分より長いものをおそわないらしい

つまりサメよけのさらしである

・・・ほんとかなぁ?当時は先生からそのように説明されて、みな白いさらしを腰に巻いて海へ入った

でも今、冷静に考えると溺れたときに救助でつかむためにまいてたのかも

わたしだけ白いさらしではなく、ロープをまいていた(父の登山用のふるびて汚れたロープ)

なぜなら臨海学校のしおりに「持ち物:命綱(白いさらし)」って書いてあったからだ

母に「いのちづな、ある?」って聞いたら母が物置からほこりのかぶったロープをだしてきた

わたしは(白いさらし)のところを読み飛ばした

というか「さらし」がわからなかったのでスルーしたのだ

これは、わたしの短所であり、大学受験の勉強も教科書のカッコの中の重要性をまったく理解してなかったので手当たり次第受験に失敗した

カッコの中というのはとても重要なのだ

わたしとしては、ここはこう書いてほしかった「持ち物・白いさらし(命綱)」

いざ海水浴場に整列すると全員白いさらしを腰にまいておりわたしだけほこりまみれのロープを巻いてた

さらしを巻いてる姿なぞとうていかっこいいものではないが、全員まいているとそれが大多数であり正統派となる

わたしはのどから手が出るくらい憧れた

「あぁ、わたしもさらしを白いさらしを巻きたい・・・!!」

わたしには薄汚れたロープしかない、しかたない

毎日毎日ロープを巻いて海で泳いだ

最終日には父の登山用ロープは真っ白になった

海で汚れが落ち、清められ、漂白され、新品同様になったのだった

 

えーと

ロープはどうでもいいのだ

わたしはこの写真をみてグーグルマップで現在の木津の浜詰にいってみた(ひまじん)↓

すると、43年前と同じ景色がひろがってますた

 

分析するとこんな感じ↓

臨海学校の宿は写真の一番右の山の中腹にあるベージュ色の建物だったと思う

 

そしてそして臨海学校のリクレーションで肝試しをやったんだけど

それが今回「志布比神社」だったと判明したのだった

あぁかんどー

本日もわたしの不確かなおもひでが正確に上書きされたのだった