母と妹との2泊3日TOKIOお上り旅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京急

羽田第1・第2ターミナル駅から京急鶴見まで19分

 

大荷物やから座れてよかったにっこり

 

 

鶴見駅着いたとき

ホーム見えへんかって、アラフィフも妹も電車停まったけど、ホームの手前で信号待ちで一旦停止してるんかと思ってた無気力

 

ほな、実はホーム着いててドア開いた驚き

 

 

「え、着いてる!!!

あかん、荷物、荷物ー!」 

全部、網棚に載せてんのにー

 

「降りて、降りて、お母さん、先降りて」

 

たぶん、大声になってたと思う驚き

 

 

ママちゃんのボストンだけ網棚から急いで下ろして

 

アラフィフのカバンは妹が持ってくれてると信じてノールック

 

妹とは別のドアからママちゃんとホームに飛び降りた

 

一瞬、持ってくれてなかったらどないしようと思ったけど、ちゃんと持って出てくれてた!

 

でかした、妹!

 

 

ホッとしたら、めっちゃ可笑しなって

ホームで大笑い爆笑

 

 

 

帰りは従兄家族とJRになるから目の前のJR鶴見駅まで移動してから、荷物預ける

 

 

おかーちゃんは外反母趾でどんなに楽な靴でも長く歩いてたら、足が痛くなるネガティブ

 

スニーカーに履き替えたらば?!と妹に諭され、座るとこ見つけて履き替える

 

おニューのスニーカー

5/19に妹と実家に帰ったとき目の前で注文してた、見た目はかわいいにっこり

 

ママちゃんのスニーカー

届いたときにママちゃんが送ってきた写真

 

家の中で数日慣らしてたらしい

 

 

歩いても疲れない構造になってるらしいけど、何か底がこっぽりみたいになってる

 

足元がおぼつかないお年寄りには逆に危ないかも驚き

 

このスニーカーとて、長く歩いたら痛くなると言うから、ママちゃん可哀想ネガティブ

 

 

 

駅のコインロッカーを探す

 

大きいのが全部使用中で、普通サイズのに必死でボストン3つ押し込んだ

 

 

いざ、お寺へ

おかーちゃんの足が心配

かと言ってタクシーを使うほどのことでもない

 

 

ママちゃんと妹は伯母(母方)の三回忌のときに来たことがあるそう、言うても15年くらい前

 

 

JR沿いを歩いて行ったはずとおかーたまが言うてんのに地図アプリでこっちやでとちゃう方に誘導する妹真顔

 

 

途中、「こんなとこ前歩いた記憶あるん?!」

って訊いたら、ふたりとも憶えてへんと

 

 

何やかんや言いながらも、待ち合わせ時間より早めにお寺に着いた

 

 

 

曹洞宗大本山總持寺

 

とりあえず、写真撮影

 

總持寺 香積台① 

お母ちゃんの後ろ姿がかわいいにっこりプレゼントした帽子被ってくれてる)

 

總持寺 香積台② 

アラフィフです

 

 

 

妹と一緒に

 

 

写真撮りまくってっけど、待ち合わせの時間過ぎてる真顔

 

おかしいなぁ、、、

どっちかつうと早めに来そうやけどなぁ

 

ママちゃんが従兄に電話したら、もう待ち合わせの場所で待ってると言う驚き

 

 

げ、間違ったガーン

 

そっから、ウロウロしてたら、敷地が思った以上に馬鹿デカいことに気付いた

 

お母はんは従兄とずっと何処や、そこやと話してる

 

足が痛いから、無駄に歩かせず

 

 

妹と2匹で行ったり来たり煽り

 

 

お坊さん見つけたから、訊いてみたけど、でっかい寺は管轄がちゃうからなのかわからんみたい

受付で訊いてくれとな

 

 

結局、従兄と奥さんがこっちまで迎えに来てくれた驚き

 

 

遠くから従姉が「かなちゃん?!」とアラフィフに呼び掛ける

 

駆け寄って謝りまくるアラフィフ

ふたりと会うのは17,8年ぶりくらい

 

従姉が遠目にママちゃんを見て「叔母さん、小さなりはったね、、、」

 

か「うん、確かに。デブいけど、やっぱし嵩が小さなったと思う」と応える

 

従兄が「叔母ちゃん、三門って言うたら分かってるもんやと思ってたから、、、悪かったなぁ」だそう

 

 

やっぱし、おかーたまの記憶通り、JR沿いに歩いて行った方向に三門が、、、

 

あかん、妹よ、やっぱりママちゃんの言うこと無視したらあかんぜよ

 

 

しかし、従兄とは三門で待ち合わせやったて初めて聞きましたけどな、ママさんよ真顔

 

 

写真撮りまくってたとこ、全然、門ちゃうやん!!!

 

 

總持寺マップ 

 

 

②が三門、アラフィフたちは変な坂道をてくてく登って、細い矢印の方向から④の香積台(総受付)に着いて、もう着いた気になって写真撮ってた

 

 

ほんで、間違ってることに気づいて、妹と20番の門を潜って、12番の佛殿の前まで行って、また、引き返して19番から出てきた

 

 

この絵では近く見えるけど、なかなかどうしてかなりデカいのよ

 

その間、ママちゃんは20番付近で待機

 

 

今から思えば④は総受付なんやったら、そこで訊けばよかったのに、、、

 

その時はそこが受付とは知らんかった真顔

 

 

Anyway, お伯母ちゃんのお墓に辿り着いたにっこり

 

 

おばちゃんはママンと21も年が離れてる

おばちゃんとの間におじちゃんふたりでママちゃんが末っ子の4人兄弟

 

1920年生まれで、その時代に幼稚園に通ったことが何よりの自慢爆笑

 

小津安二郎監督のWikipediaにもそんなことが書いてあった

 

 

ふたりの従兄は関東で、その子どもたち(おばちゃんの孫)もみんな関東やし、おばちゃんが亡くなったときに先に亡くなってたおじちゃんと一緒に入るお墓を鶴見に従兄が建てた

 

 

 

お墓で従兄の息子くんが暑いのに長いこと待ってくれてた

 

アラフィフは本人たちのお葬式以来、めっちゃ久しぶりにおばちゃんとおじちゃんに挨拶ニコニコ

 

 

おばちゃんの晩年はアラフィフはよく大阪のおばちゃんの家に泊まりに行った

 

子どもの頃からほんまに可愛がってもらったし、お世話になった

 

おばちゃんとママンが親子の年の差やから、アラフィフも姪ちゅうより孫みたいな感じ

 

 

おじちゃんとおばちゃんにお参りして、お墓を後に

 

ママちゃんはもう来られへんかもしれへんけど、アラフィフらはまた来れる

 

 

折角やから従兄が

裕次郎のお墓の場所、教えたるわと

 

デカかった

手入れする人雇てるんか、墓花が新しかった

 

ファンのために途中、裕次郎の墓はこっちの立札がたくさん

 

もうそろそろ、裕次郎のこと知ってる人も居なくなってしまうんやろうな

 

 

JRへの道すがら、従甥とお互いの仕事について喋った

 

最後に会ったときはまだ幼稚園児くらいやったけど、すっかり好青年

 

両親ともバリバリの大阪人やから、関西弁もめっちゃ自然に喋れる

 

「え、◯◯ちゃんは普通に関西弁喋れるやん!家ではずっと関西弁なん?!」って訊いたら

 

普段は標準語やけど、今日は特に関西の圧が凄いから、つられて関西弁になってまうらしい

 

 

関西弁の英才教育を受けたんやなぁ、、、

 

ま、冗談は置いといて

従姉が言ってたけど、従甥の教育にはほんまに小ちゃいときからお金掛けまくったらしい

 

だから、英語も喋れるから、標準語、関西弁のトリリンガルやな

 

怖いもんなし!

 

 

大学では遺伝子のPCRの研究をしていたらしい

 

すごっ

 

仕事は全く関係ないわけではないけど、クライアントからの仕事をインドのオペレーターに指示する役目と言ってた

 

リエゾン的な?!

アラフィフも扱うものはちゃうけど、役割的におんなじようなことしてたから想像はつく

 

 

このあと、銀座で夜ごはんやけど、彼は友だちと会うから残念ながら途中でお別れ

 

 

従甥よ、またいつか会おう

 

 

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