登校班の集合場所まで

子供を送って行ったときに

見守り当番の方と目が合って、

挨拶をしたら、
 

さっきまで笑っていた顔が、

少しだけこわばった気がした。

 

 

え?なんかしたかな。

 

 

当番の日じゃないのに来てるって思われた?
 

 

月曜日来れるなら、

なんで希望出さなかったのって思われた?

 

 

 

頭の中で、

勝手にいろんな想像が広がって

モヤモヤした。

 

 

真意はわからないし、

気になるけど、
娘の希望もあって、

そのまま学校の近くまで送っていった。

 

その日は、

少し引っかかりながらも、そのまま終わった。

 

 

けれど、

翌日になっても、

昨日のことがどこかに残っていた。

 

そんな中、

通勤で駅に向かう人混みの流れと

逆方向に1人歩いていたときに思った。

 

 

あぁ私、
「人にどう思われてるんだろう」って、

怖いんだな

 

 

昔からずっと、
嫌われないように、

好かれるようにって思ってきた。

だから昨日も、

相手の反応が気になったんだと思う。

 

 

嫌われたくない。
好かれたい。

 

 

嫌われないようにしてきたから、

苦しかったんだな。

 

 

いい気分じゃないけど、
これからも、誰かに嫌われることはある。

 

 

そうだ。

私は、「嫌われたかもしれない」と思ったときに感じる
あの感情を、避けたかったんだ。

 

 

悲しさとか、

ショックとか、

孤独感とか、

恥ずかしさとか。

 

 

「嫌われる勇気」って、
嫌われてもいいと思うこととか、
スルーできる強さのことだと思ってた。

 

 

でももしかしたら、

 

 

嫌われたかもしれないと感じたときの

 

怖さや、

痛みや、

モヤモヤを

 

そのまま感じる勇気なのかもしれない。

 

 

 

 

正直、感じたくはない。

 

でも、感じたくないって思うことさえも、
そのままでいいのかもしれないと思えたら、

少しだけ、ほっとした。

 

 

登校班での出来事が気にならなくなったわけじゃない。

 

 

でも、

 

「相手に嫌な思いをさせたかも」
「なんとかしなきゃ」

 

ってすぐに動こうとしていた自分に、気づいた。

 

 

それって一見いいことのようで、
本当はただ、相手の機嫌が悪くなるのが怖くて、
避けたかっただけなのかもしれない。

 

 

もし相手の機嫌を取れても、
その場は安心するけど、あとで自分が苦しくなる。

 

 

だから、

嫌われたかも、

嫌な思いさせたかもって思ったときは、

まずはその怖さやモヤモヤを
そのまま感じて、置いておくだけで

いいのかもしれない。

 

 

怖いままでもいい。

 

 

そう思えたら、
嫌われることへの抵抗が、少しゆるんだのか

 

もしまた、同じような場面があっても、
きっとなんとかなる気がした。

 

そしたら、

 

嫌われないように、
好かれるようにって、

力まなくてもいいのかもしれないと

思えた。