100年前はどうだったかな? | 否定しない子育て。森と自然と親子の暮らし。

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ずっと強い自己否定をして生きてきた私。母親になって子供たちの生きる姿に自分の生き方を見直し「否定しない」ことが幸せへの道だと知った。保育士となった私が大好きな自然の中での暮らしとともに綴るママと子どもたちへのメッセージ。

私ね、よく、「100年前はどうしてたかな?」って考えるクセがあって
いつの頃からか分からないけど
例えば電化製品なんかを断捨離するときに
100年前はどうしてたかなって思うの。

100年前といえば生きていればひいおじいちゃんが産まれた年。
身近に知っている人が産まれた時代だから、そんなに遠い昔とも思えない。
その頃の暮らしを想像してみる。

100年前は私の産まれ育った東京も
田んぼと畑がたくさんあって
みんな井戸を汲んで生活していて
きっと日常的に火もたいていたのだろう。

冷蔵庫もないから、保存食を作り
毎日毎日を暮らすための労働に費やされていたのだろう。

夜は暗く、星もきっともっと身近。
朝と夜がはっきりしていて、みんな大体同じように太陽のリズムで暮らしていた。
24時間営業なんて言葉も発想もなかったんじゃないか。

そんなことをつらつらと考えながら
今の暮らしを見直してみる。
本当に必要なもの、本当はいらないもの
100年前に生まれていたとしたら持っていたもの持っていないもの。
あったら便利だけど、その便利のおかげで失ってしまったもの。

昨日はみんなで田うえ。横1列になって手植えしました。


増やしてみたり減らしてみたりして
自分のしっくりくるライフスタイルを探ってる。
電子レンジをやめ、テレビをやめ、冷蔵庫をやめ、使う電気はぐっと減った。
ガスも辞めて火を炊く生活。
山から水を引く生活。
朝日が上れば起きて、夜は照明をなるべく落として九時前には就寝。
目覚ましをかけなくなってもう十年以上。
地球のリズムと生きている実感がある。


100年前はどうしてたかな?
時々、視点をぐーっと引き伸ばして
人類の歴史の視点まで引いたところで
今を見てみる。

今の人類、ホモサピエンスが産まれてきてから約二十万年。
西暦の示す人類文明の歴史も二千年。

その中の最近100年なんて
もの差しにしたら、ほんの少し。
でもそのちょっとの時間の間に
人々の生活は急激に変化してしまって
身体が今のスピードに追いついてないんじやないかなと思う。
ちょっとの時間だけど、少しペースを巻き戻して
100年前の人々の営みを想像しながら
私は今の世の中のスピードでも疲れないように調整しているところ。

なんだかずっと息切れするように
今の時代に追いていかれないように
走って走ってきたようだけど
今、立ち止まって暮らしを作り直しながら
自分のペースを取り戻しているところなんだ。

美味しい空気と緑と水に囲まれて
今、人生の深呼吸をしている。