大学学校の先生をしているわりには、愛読しているマンガマンガのタイトルが2つある。「イタリアバンビーノ」と「オペ医龍」である。
若い頃、はるか昔の小学生ランドセル 黒の頃は、「少年ジャンプ」に夢中だった。
埼玉県の田舎(いまはベッドタウンと城小江戸と呼ばれる観光地)に東京から引っ越してきた僕は、

本本屋やコンビニスーパーや駅駅前からバスバスのない環境に死ぬほど驚いた。しかも、当時の道は駅前道路でさえ舗装すらされていなかった。駅前に一面に広がっていたのは狭山茶で有名な畑茶畑であった。


雑木林霧のなかを、二両編成の西武101系電車(いまや十両編成であるが)が、縫って進むと、F-14トムキャット航空自衛隊の基地(当時電車車内からホークミサイルが見えたのは驚きだった)や当時国内初の本格的工業団地(ここにはホンダのアコード自動車工場やコマツ(小松)の重機ブルドーザーの工場があった(これは今でもある)を通りぬけた一駅に、東京東京タワーの大都会、しかも当時皇室も見学に来られたという住宅公団の団地から、引っ越してきたのである。


あたかも、大航海時代ヨットに、新世界という何もない場所に連れてこられたポルトガルヨーロッパ人そのものであった。


そこで、僕は、東京タワー東京語でもなく標準語でもない、方言というのを生まれて初めて聞いた。これは恐ろしい体験であった。何しろ、家でしゃべっている言葉とまったく違う言葉をしゃべる人間がいるわけであるから、もう驚きと恐怖の世界であった。


あえて言うと、僕たちの入居した官舎は当時の石産炭政策のあおりをうけて、北海道北海道の炭鉱町から優先的に雇用した人たちが新入居するために新設した官舎に何を間違ったか、亡き父が申し込んだのであった。したがって、官舎前の広場で交わされる方言は、当然埼玉県の方言ではなく、日本中でもっともキツイと定評のある北海道石産炭地(北海道)の方言であった。


オンドリャードンッとかは当たり前であった。ちなみに、僕はその掛け声を三年間以上「にわとり雄鶏」と叫んでいると思っていた。いまでは「お前は」がなまって「おんどれは」「オンドリャー」となったとわかる。


そんなだったから、いまは去ること四半世紀前の埼玉県埼玉県は、いま住んでいる椰子の木南の島どころではなく、スーパード田舎であった。たった一晩から、今でいう六本木六本木ヒルズの生活に匹敵する公団団地生活から父母も戦争疎開でしか味わったことのないド田舎に一晩で宇宙戦艦ヤマトタイムワープしたのは冗談としか思えなかった。


やっとの展開になるのだが、だから駅駅前の本屋にも、少年ジャンプは引っ越し当初は置いていなかった。だから、毎週予約して少年ジャンプを購読していたのであった。トイレット博士を知っているだろうか?こちら亀有公園派出所前も第一回掲載時から知っている。さらに筋肉マンにいたっては本掲載前の何かの賞の受賞作品でのテスト掲載から読んでいる。


それほどのマンガファンであった。がぁ長音記号1、長じて、アラフォー歳を取り、ついには、コミック週刊誌も読まなくなり、ついに人生に残った愛読のマンガのシリーズは、たった2タイトルになってしまった。「イタリアバンビーノ」と「オペ医龍」である。


今日紹介するのは、「バンビ~ノ!」


イタリア料理人イタリアを目指す若者、伴省吾が、大学を中退して、六本木の名店「バッカナーレ」で修業を始める。最初に立ちはだかるのは、先輩「香取望」。ボコボコパンチ!にされながら、鍛えられ、ようやく認められるようになる。しかし、香取はオヤジの中小企業を後継者として受け継ぐことになり料理人の世界から去る。ほどなく、伴も、自由の女神NYへイタリア修業に出かけ、NYでの名店での修業、立ちはだかるメキシコ料理人、そしてマフィア同士の料理対決と、艱難難事を乗り越え、見事、玉宝石ブルーとなって帰国する。


そして、六本木のイタリア料理店の名店「バッカナーレ」の二号店新規開業に携わる。持ち場はパスタ場チーフ。横浜横浜に二号店「レガーレ」で、新たな戦いが始まる。部下で味音痴で意地悪な土屋との闘いメラメラ、いくらがんばっても成果がでない新天地横浜横浜での営業を続ける困難さガクリ、永坂という料理人ブログパソコンでの「レガーレ」の酷評。


すべてが、悪い方向にまわりだす。実際に、場所を横浜「レガーレ」の移した「バンビーノ セコンド」は、第1巻と第2巻とスピード感がなく、作者も、シーズン1完結からの疲れから本調子が取り戻せないのかなぁと思わせる展開であった。


しっかーし、ついに、今月でた「バンビーノ セコンド」第3巻では、シーズン1のスピード感を取り戻し、怒涛波の伴省吾のイタリアイタリア料理人人生が再スタートする感がでてきた。


主人公の伴省吾は、セリフで九州博多弁をしゃべる。だから、きっと福岡県福岡市出身の大学生だったことがうかがわれる。そして、マンガの風景や大学生時代の友人とのセリフをみると、どうやら福岡市にある私立大学学校福岡大学をモデルにしているような感じである。実際に、学会で何度か行ったことがあるが、「バンビーノ」の風景と周辺の風景は酷似している。


作者も九州福岡で働いていた旨を書いているのを、どこかで読んだことがあるし、ちょうど10年前の学校福岡大学の学生の気質というのは、ああいうものだったんだろうかはてなマーク

ハイビスカス南の島の大学に勤める僕にとっては、あの疾風怒濤の動きがたまらなくうらやましい。10年前の椰子の木南の島大学の学生も、あんな学生は一人や二人はいたが、いまや一見すると真面目なんだけど、妙に従順かつ利己的で、目が狐キツネ憑きになっていたりする。伴くんのような学生だったら、教えるのも楽しいだろうなと思ってしまう。

第3巻では、いったんイタリアイタリア料理の世界から足を洗った香取望が中小企業の経営者となり、お客として「レガーレ」に現れる。苦労に苦労に苦労でへこんでいた伴省吾はかつてブロック壁のごとく立ちふさがった香取の登場に涙ぐむ。しかし、先輩は厳しい。ちょっと裏に来い、といって、一発、パンチと蹴りをくらわせる。


香取は伴に言う。


「本当に全力尽くしてる奴は目ェ見りゃ分かるんだよ。」


「ヒデーことヤラれちまってもうだめだ、立ち上がれねーと思ったら・・・・ゲンコツ握ってみろよ。」


「堅いゲンコツつくれるならそれは自分を出しきっちゃいない。オメーはまだ戦えるってことなんだよ。」


引用:せきやてつじ[2010]『バンビーノ セコンド』小学館,pp.118-19


いいこというね。マンガも市民権を得たということかな。クールクール日本ジャパン。


疾風怒濤の第三巻、超おススメです。左下矢印


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