行徳のレンガ工場と、コカコーラ倉庫は同じ場所か?…千葉県市川市下新宿~河原あたりを散歩する♪ | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

行徳のレンガ工場と、コカコーラ倉庫は同じ場所か?…千葉県市川市下新宿~河原あたりを散歩する♪

 

お寺の前に貼ってある、講和のようなポスターに思わず目を留めてしまうことって、よくありませんか?・・・今回は千葉県浦安市(東京メトロ東西線「浦安駅前」)と、市川市の本八幡を結ぶ行徳街道(旧道)沿いにある古い由緒ありげなお寺の前からお散歩スタートです♪

 

正源寺(千葉県市川市河原3-6)は、正源上人が文安元年(1444)創建、慶長年間に源長上人が一寺となしたといわれ、行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所の7番札所になってる浄土宗の寺院です。

 

この寺の並び(江戸川を越える行徳橋を背にして浦安・行徳方面へ150m先)には、コカコーラの倉庫(配送センター)があるのですが、とあるサイト(□外部リンク参照)によると、このコーラ倉庫は昔(明治後期~昭和中期頃)は、煉瓦工場だったと思われるというではありませんか。

 

確かにあるゾ!煉瓦製造所マーク

(1:20000地形図「船橋」明治36年)

(※旧地図記号は□外部リンク参照

 

そもそも、今回「元煉瓦工場」の疑惑(?)が立てられているコーラ倉庫は、上記地図中の印と印の間にある建物です。

 

千葉県市川市下新宿3-7にある「コカ・コーラ ボトラーズジャパン(市川セールスセンター)」が現在ある場所は、かつてはキッコーマンの醤油工場だったみたいで、裏を流れる江戸川(現在の旧江戸川)に専用の船着場が存在し、そこまでレールを敷いてトロッコを走らせ、川船に積み替えて東京まで運んだそうですよ。

 

元々は、江戸時代の寛保年間(1741-43)から個人経営の酒造所で、何度か経営者が代わった後、1892(明治25)年「沢の鶴」が引き継ぐも、すぐ4年後に後のキッコーマンに合流する「ミナカミ印醤油工場(野田醤油)」になりますが、1948(昭和23)年に工場は閉鎖されました。

 

翌年から一時期パン酵母工場になりますが、13年後の昭和37(1962)年に小網株式会社という企業に賃借され、コカコーラの倉庫(当初は工場併設)になり現在に至るのだそうです。

※旧「利根コカ・コーラボトリング株式会社」はキッコーマンの子会社

■本ブログ内関連記事参照

 

 

正源寺の隣に「小宮瓦店」

 

昭和5年の商工地図(大日本職業別明細図・第203弾「千葉縣」)を見ると、確かに正源寺の左に少し間隔を空けて隣接した位置に「小宮瓦店」という表記が有るのがわかります・・・とあるサイト(□外部リンク参照)で紹介されている煉瓦工場というのは、コレのことでしょうか?

 

但し、よくよく地図を見ると(そもそも、所詮は「商工地図」=よくバス停前に貼ってあるような看板に描かれている、広告料金を払った商店主のみを掲載した地域の略図なので、精密性にはイマイチ欠けるのだが)、位置関係は現在のコーラ倉庫(旧キッコーマン工場)の場所ではない地点を示しているように思われます。

 

少し行徳橋・本八幡寄りの小林石材(本記事内後述)先を、行徳橋を背にして右に入った奥(ちょうど、本記事中の上下欄に掲載地形図印地点)が該当地点のようです・・・以下の地図で、位置関係を整理します。

凡例:

=現在も「小宮」姓の文字が郵便受けに存在する家

1.=現コカコーラ市川セールスセンターの場所

=現コカコーラ駐車場/新築戸建て分譲住宅街

2.=現「三井食品」

 

とあるサイト(□外部リンク参照)で紹介されている旧版地形図は、当方と同年代の1/5万版と思われますが、「煉瓦製造所」の地図記号が表示されているのは、1.2.という大きな建物表記が有るちょうど中間点(印)の場所であるのが明らかです。

 

しかしながら、昭和5年の商工地図に存在した「小宮瓦店(印)」とも異なる位置にあります・・・この事実が何を意味するのでしょうか?、、、

 

 

「小宮家」は現存!

 

そんな訳で昭和5年の商工地図に示された場所へ行って見ると・・・小林石材店が現存していたので容易に検索が可能でしたよ。

 

ちょうど下新宿稲荷神社がある場所の細い路地奥へ入って行きますと、最奥部にある突き当りの家・・・郵便受けの文字を見たら「小宮」の姓でした(2020.1.5時点)。

 

ただし、既に一般家屋のような状態で、現在では何か事業を継続して行っていたような形跡は、パッと見では無さそうなのですが、、、

 

市川市の中央図書館に配架されていた郷土資料で確認したのですが、千葉県市川市下新宿にある稲荷神社の裏に、瓦を焼いていた職人が住む長屋が存在したのは事実であるようです。

 

裏(旧江戸川堤防沿い)に回って見ても、車庫または作業場っぽい感じの別棟が存在しましたが、シャッターが閉まっていて中の様子までは分かりませんでした。

 

 

現時点で明らかになったこと

(仮のまとめ)

 

・煉瓦工場は「小宮瓦店」の可能性

・コーラ倉庫(キッコーマン醤油工場)と「小宮瓦店」とは別の場所

・「小宮家」は昭和5年と同じ場所に現存(現在は生産していない)

・但し、「小宮瓦店」と煉瓦製造所(地図記号)の場所も相違

・煉瓦製造所(地図記号)の場所は、コーラ倉庫と三井食品の中間点の可能性あり(現在、コーラ会社が使用している駐車場と、新築戸建て分譲住宅街になっている一画)

 

今回は、完全な答えが明らかになったわけではありませんが、少なくとも次の2点だけは言えますね。

1.

とあるサイト(□外部リンク参照)で(あくまでも仮設として)結論付けられている「もしかしたら…土地所有はキッコーマンだけれども、遊休地だった時代(旧野田醤油行徳工場廃止~昭和中期)は煉瓦工場に貸し出ししてた場合であっても、両者は隣接地で並存の形をとっていたのではないか?、、、

2.

もし、仮に上記の通りだったとしても、それが昭和5年の商工地図に記載が有り、現在も同じ場所に家が残る「小宮家」のもの(工場拡張部分)とは限らない…この点については更に別途資料を用意して追加検討する必要がある。

 

以上の点を、今回は本ブログ管理者の「仮設」として打ち出し、一旦は今回のレポートを終わらせていただきたいと存じます。

 

もし、何か今回の件でお分かりいただけた方がいらっしゃいましたら、どんな小さなことでも結構ですので、お気軽にコメントを頂ければ幸いと存じます。

1972年(昭和47年)に開通した県道6号線バイパスに架かる新行徳橋は、20年間は千葉県道路公社が管理する有料道路でしたが、1993年(平成5年)に無料化されました。

橋の浦安方面側に料金所跡の面影が残っています。

橋の中央には、江戸川放水路を境に千葉県市川市の北部(市川・八幡地区)を管轄する市川警察署と、南部(行徳地区)を管轄する葛南警察署の所轄管理境界を示す標識がありました。

ちなみに葛南警察署とは現在の浦安警察署のことで、平成7年に行徳警察署を新設のうえ分割したため、現在は行徳警察署との管理境界ということになります。