今日の“おやつ”は「いしおかサンド」…食後に歩いて見つけた街の歴史3つの早わかりポイント | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

今日の“おやつ”は「いしおかサンド」…食後に歩いて見つけた街の歴史3つの早わかりポイント

 

皆さんは「いしおかサンド」という食べ物をご存知でしょうか?・・・石岡市観光協会の公式HP(□外部リンク参照)によると、茨城県石岡市でとれた農産物を使ってつくる地元オリジナルスイーツで、平成24年度より「石岡市産品を使用」「サンドしている」「各店のオリジナリティが加えられている」という3つのルールに則り、市内の13店のお菓子屋さんがそれぞれ個性のあるサンドを創作することで、地域の魅力を高める目的の事業を展開しているのだそうです。

 

JR常磐線「石岡」駅西口から真っ直ぐ大通りを歩き、旧水戸街道にT字路交差する交差点角(茨城県石岡市国府3-1-16)には、NPO法人まちづくり市民会議が石岡市の指定管理者として運営している「まちかど情報センター」がありますが、祝祭日以外の毎週木曜を除き午前11時~午後8時までの間、1週間ごとにローテーション方式で市内4店舗が創作した「いしおかサンド」をイートインで味わうことができます。

 

茨城県石岡市は人口7万3千人(人口密度340人/km2*2019.6.1推計人口)の茨城県南部にある都市で、かつては常陸国の国府が置かれ、長らく常陸府中(ひたちふちゅう)や常府(じょうふ)などと呼ばれた地でもありますが、1869年(明治2年)の版籍奉還の際に「石岡」と改名されました。。。今回は、常磐線の石岡駅で途中下車し、旧市街地をお散歩してまとめた街の歴史が「早わかり」できる3つのポイントをご紹介します。

 

 

常陸國總社宮

 

かつて常陸国の国府が置かれた石岡市ですが、国司として中央から派遣された官吏が自らが治める国の幾多の神々に祈りを捧げる為の場所が「総社」であり、それぞれの律令国に鎮まる八百万(やおよろず)の神を国衙近くの1箇所に合祀したもので、この場所(常陸国)意外にも日本全国に55社の存在が確認されているのだそうです。

 

境内の広さは2,513.26坪(8.3ha)・・・本殿は流造銅葺292m2(3間四方)で、石岡市指定有形文化財に指定されており、また拝殿脇には日本武尊腰掛石があるほか、向かって右側には境内社が複数社あり1列に並んでいます。

 

総社周辺は「お屋敷街」になっていて、旧地名は“元真地”・・・古くはこの地に常陸国府が置かれた後に府中石岡城が築かれ、徳川時代には府中松平藩2万石の陣屋が置かれた場所であり「元々その地の抑えてあった場所」という意味で古城とともに使われた地名が町名になり、昭和53年の住居表示施行に伴い「総社1丁目」に変更され現在に至るのだそうです。

 

 

府中陣屋の陣屋門

 

旧「府中藩」の藩庁があった場所で、道路拡幅に伴い現在地に移築して現存する陣屋門は文政11(1828)年火災で焼失した江戸小石川藩邸再建の余材を使い建てられたものだそうです。。。元禄13(1700)年徳川頼房の5男の頼隆が入り、この地に陣屋を置き立藩したのが始まりで、以降水戸徳川家の蓮枝(支藩・分家)として明治維新を迎えています・・・陣屋の規模は東西およそ500m以上、南北およそ400m以上、面積(約)3haで本丸、二の丸、三の丸、箱の内出丸、磯部出丸、宮部出丸からなり、南西を流れる川沿いに広がる低湿地に突き出た台地上にある堀、土塁を巡らせた陣屋だったとの事です。

 

陣屋跡は現在石岡小学校の敷地となっていますが、周囲の堀もほとんど埋められてしまい、僅かに校内東側に土塁の一部が残されています・・・実はこの場所こそが、常陸国の国衙(国府)だった場所で、そのまま戦国時代の「府中石岡城」になり、徳川時代になり府中陣屋として継続して同じ場所で再利用され続けたのです。

 

常陸国司としての任期を終え転勤になり、藤原 宇合(ふじわら の うまかい)が養老4(720)年に京へ戻り去る際に、宇合の下で働いていた若い女性(人名のような刻印はあるが、詠み人知れず不明…)が詠んだ「お別れの歌」が石に刻まれてありました・・・現地「ふるさと歴史館」係員女性の話によると、赤い布を振って名残惜しきお別れする姿を(実際には振っていないが)想像して詠ったものなのだそうです。

 

 

看板建築と街並み

 

昭和3(1928)年に建てられた平松理容店店舗兼住宅(茨城県石岡市府中2-7-20)は、市街中心地の中町通りから西に入った通りに北面して建つ木造2階建、鋼板葺、建築面積84㎡の昭和4年大火の罹災を免れた建造物・・・正面2間半奥行2間半の理容室の奥に和室3室などを1列に配し、正面を擬石で洋風に仕上げた看板建築で、改造はあるが内外とも往時の様子をよく留めるという理由で2004(平成16)年に登録有形文化財(建造物)指定されています。

 

平松理容店前の通りは、同店ほど歴史的価値は高くなくとも古い町家が他にも建ち並んでいますが、この通りにはかつて水路に架かる土橋があったので「土橋町(つちばしちょう)」と呼ばれていたのだそうです。

 

JR石岡駅(西口)と国道355号現道(旧水戸街道)を東西に結ぶ延長461mの一般県道277号「石岡停車場線は、通称「八間道路」または「御幸(みゆき)通り」と呼ばれていますが、本記事冒頭の「まちかど情報センター」があるT字路交差点に突き当たりすぐ左の筑波銀行前には石岡町道路元標が現存していました。

 

 

いかがでしたか?

今回は、常磐線の石岡駅で途中下車し、旧市街地をお散歩してまとめた街の歴史が「早わかり」できる3つのポイントをご紹介いたしました。

 

他の地方中小都市のご多分に漏れず、石岡市の中心市街地・中心駅前も、かつて駅前一等地に存在した大きな商業施設はすべて撤退し、道行く人もまばらで商業の中心は既に郊外ロードサイド店舗(■本ブログ内関連記事参照)ですが、地元産具材にこだわりオリジナルスイーツを創作したりして何とか活性化しようとする努力と意気込みは買いたいと思います。

 

冒頭の「いしおかサンド(いちごのブッセ)」の価格は210円で、冷凍状態で出てきますが夏場は5分、冬場では10~15分くらい常温で置くと「アイスもなか」っぽい食感になって美味しくいただけました♪・・・皆さんも是非とも常磐線に乗って土浦や水戸方面まで来たら、特性スイーツとプチ歴史散歩コースがある石岡市の存在も思い出してくださいね。

元々の府中城は東西600m×南北700mの規模だったそうです。

(茨城県石岡市「ふるさと歴史館」資料より)