リンド先生は、何を遺したのか?・・・川の中に浮かぶ軍艦みたいな妙見島で、何を手折るか? | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

リンド先生は、何を遺したのか?・・・川の中に浮かぶ軍艦みたいな妙見島で、何を手折るか?

清瀧神社(せいりゅうじんじゃ)

鳥居正面から見て左奥に、

「土木学会選奨土木遺産」があるとの事。

目的物を探す前に、

泥流までリアルに模された富士塚が気になった(笑)

確かに本物の富士山っぽく再現されている。

しかし埼玉県志木市には、

「御胎内(風穴)」まで再現されたミニ富士があるので

俺は“この程度”では満足しないが、、、

(千葉県浦安市堀江4-1-5/本ブログ管理者2019.1.26撮影)

堀江水準標石

浦安市堀江の清瀧神社の境内にある。

明治政府は、国内の河川管理・治水管理のため、オランダから高い土木技術をもつ技師団を招き入れたが、その目的は河川を改修するにあたり、川の水位を測るための基準点を定めることだった。
明治5年(1872)、オランダ人技師のひとり、I・A・リンドは、江戸川筋と利根川筋に水位標を設置し、水位観測を行うと同時に、江戸川河口の浦安堀江から利根川河口の銚子の飯沼までの水準測量を実施した。

これにより、千葉県銚子市の飯沼観音(圓福寺)内に飯沼水準原標石を設置し、利根川河口の飯沼に設置した水位尺(量水標)の零位を日本水位尺(J.P.,Japan Pei1)と名付け、水準測量の原点と定めた。
堀江水準標石は、江戸川・利根川でリンドが行った水準測量において設置されたものであり、「日本の河川測量の原点」とされる飯沼水準原標石とともに設置された日本最古の水準標石なのだそうだ。。。
(千葉県浦安市堀江4-1-5/本ブログ管理者2019.1.26撮影)

清瀧神社は御祭神に大綿積神(海の神)を祀る神社で、創建については定かではないが、建久4(1196)年の創建と伝えられている。

境内末社は

龍神社、浅間神社、道祖神社、八坂神社。

本殿は上総国のケヤキの大木を使用し1855年(安政2年)9月に造られたもので、浦安市の指定文化財となっている。

また、建築様式は木造三間社流造りで、

神紋は右三つ巴である。

□外部リンク参照

(千葉県浦安市堀江4-1-5/本ブログ管理者2019.1.26撮影)

リンド技師記念碑

日蘭通商400年の記念としてオランダより寄贈され、

2009年に設置されたオランダ人技師の記念碑が、

境川西水門の南詰にあった。

水門(高潮対策堤防)自体は千葉県が設置し、水門とリンド技師記念碑を含めたポケットパーク部分の管理を浦安市に委託している形なのだそうだ。。。

□外部リンク参照

リンド技師は堀江水準標石を設置し、江戸川堀江水位尺(量水標)の零位を江戸川水位尺(Y.P., Yedokawa Peil)と名付けた

リンドの残したY.P.は、現在でも河川の水位表記として使われており、利根川水系の河川工事・管理の基準のもとになっている。

ちなみに、河川ごとにそれぞれの河口に設けた量水標を基準にして基準面が違っており、例えば淀川はO.P(Osaka Peil)、吉野川はA.P(Awa Peil)、北上川はK.P(Kitakami Peil)等というもので高さが決められている。

各港湾の海の基準面についても同様に、

それぞれ地域ごとに設定されているのだそうだ。。。

(千葉県浦安市堀江4丁目にて本ブログ管理者2019.1.26撮影)

妙見島(旧江戸川の中洲)南端が見える

まるで軍艦が浮いているみたいな感じ?

(蒸気河岸跡~浦安の渡し跡にて本ブログ管理者2019.1.26撮影)

■本ブログ内関連記事参照

そうだっ!

妙見島に渡ってみよう♪

浦安橋で都県境を越えて行く、、、

(千葉県浦安市猫実・当代島~市川市島尻にて本ブログ管理者2019.1.26撮影)

妙見島(みょうけんじま)

旧江戸川の島(中州)。

南北の幅は約700m、東西の幅は約200m。

東京都江戸川区東葛西3丁目の一部であり、東京23区唯一の自然島で、島の周囲はすべて壁のようにコンクリート護岸で囲まれている

護岸工事が行われるまでは「流れる島」と呼ばれ、徐々に移動していた。

島にある建物のほとんどは工場で、4車線道路である浦安橋(主要地方道「10東京浦安線」)の中央車線から分岐する道(歩行者・自転車は階段または側道スロープ)を使って島に降りることができる。

江戸時代は千葉県側

すなわち、下総国欠真間村の飛び地で、

1895年(明治28年)に

千葉県から東京都に編入された。

(東京都江戸川区東葛西3丁目にて本ブログ管理者2019.1.26撮影)

島の北部は、

かつて行徳船の航路になっていた

島の北端部に位置する長島町地区には

かつて長島湊が存在し、

国府の外港の1つとして栄えたそうだ。

また

長島町には1372年(文中元年/応安5年)に、

香取神宮の河関(灯油料所)があったらしい。

明治時代後半より工場が建ち始め、

第一次世界大戦後の昭和初期には工業地帯化した。

1940年(昭和15年)、浦安橋が開通した。

旧版地形図は、

1/10000「小松川」「浦安」昭和33年。

ニューポート江戸川

都内でも最大の会員制マリンクラブ。

駐車場には高級車が多く停まっていた。

金持ちセレブ御用達っといった感じか?

□外部リンク参照

(東京都江戸川区東葛西3-17-16/本ブログ管理者2019.1.26撮影)

現在の北端は「月島食品工業」

製パンや菓子、ケーキの製造工程に使う

業務用マーガリンを製造する会社。

一般消費者が

食パンに塗るマーガリンとは別物のようだ。。。

□外部リンク参照

(東京都江戸川区東葛西3-17-9/本ブログ管理者2019.1.26撮影)

妙見神社

島の名前の由来となった神社。

妙見とは千葉氏の守護神である妙見菩薩のこと。

妙見信仰は千葉氏が信仰していた日蓮宗とも密接に関わる。

ご祭神である“妙見様”は、北極星と北斗七星の御神霊であり、人間の星(=人間の運命)や全ての方位を守護・掌握する神様と古来より伝えられている

天之御中主大神と同一の神様と考えられていて、道教・陰陽道、易学・九星気学・風水学などの根幹となる特殊神で、あらゆる守護能力を発揮する神様とされている。

社員寮らしきものが隣接して建てられており、この島に実際に住み生活している人が現実に存在することは確かだが、

この場所は河川法上の「中洲」であり、現存建築物はすべて「既存不適格」となる為、住民登録や土地の売買が規制されているという話も聴く。

(東京都江戸川区東葛西3丁目17にて本ブログ管理者2019.1.26撮影)

月島食品工業を思い出しながら、、、

今日も

美味しいパンが食べられることに、感謝。

(イオン南行徳店にて本ブログ管理者2019.1.27撮影)