東京・小平に湧く“泉”で得た「糧」とは何か?
↑
久しぶりに赤いDAHONに乗る♪
青梅街道を西へ向かって
走っていたら、寺の門前で綺麗な紅葉を見つけた!
(東京都小平市小川町1-733/本ブログ管理者2017.11.28撮影)
↑
小川寺(しょうせんじ)
東京都小平市小川町一丁目にある、臨済宗円覚寺派の寺院。
承応3年(1654年)頃の小平地域は、玉川上水が開削されるまで、茅芒の生い茂る無人の原野で、「逃げ水の里」とも呼ばれていた。
武州多摩郡岸村(現・武蔵村山市)生まれの小川九郎兵衛は、水利に乏しく生活に過酷な不住の土地であった当地の開拓を志した。
玉川上水の開拓に続き、野火止用水の開削を進め水の確保に努めた。
:
明暦2年(1656年)、新田開発と馬継場の新設を願い出て、小川分水の開削を許可されたたが、当初は地味で痩せた原野開拓を希望する人は少なかったため、小川九郎兵衛は自費を使って農民を住み着かせて開発を進めた。
開拓に着手する一方で、江戸市ヶ谷の月桂寺住職・雪山碩林大禅師を勧請、薬師瑠璃光如来を本尊として開山したのが、この醫王山小川寺なのだそうだ。
:
現在の地図と重ねても、
新田集落時代における短冊型地割の名残が読み取れる。
(本ブログ管理者2017.11.28撮影+Googleマップより引用)
↑
青梅街道を挟み小川寺の向かい側にある小平神明宮
地域開拓から350年。
神輿や
5尺の巨大な太鼓の出る祭などで地域の人達に支えられている。
(東京都小平市小川町1-2573/本ブログ管理者2017.11.28撮影)
↑
小平神明宮 (こだいらしんめいぐう)
地域の開拓願いから、村の名手・入村農民によって開拓され、
社殿を造営し村の総氏神としたのが起源の神社。
明暦2年(1656年)、村の名主である小川九郎兵衛が、水利に乏しく生活に過酷な不住の土地であった当地の開拓を志した。
小川村の開拓願いと同時に、村に移り住む人々の守護神をとの願いから、五千坪の土地を社地として、神明宮勧請の願いが出された。
5年後の寛文元年(1661年)に、西多摩郡の殿ヶ谷村(現・瑞穂町)鎮座の延喜内社(平安時代以前からの古社)、阿豆佐味天神社(あずさみのあまつかみのやしろ)の摂社、神明ヶ谷の神明社から分祠遷座されたのだそうだ。
(東京都小平市小川町1-2573/本ブログ管理者2017.11.28撮影)
↑
小平神明宮では、「お水取り」も可能(境内に泉が湧く)
走行前の事前リサーチで発見できなかったので、
何も準備をしておらず、
慌てて近くのローソンへ行ってマチカフェのコーヒー買って
すぐに飲み干し容器を入手した。
:
なので、微かに残るコーヒーの味しかせず、
本当の水の味はわからなかったwww
それでも、
吉方位先ご当地に湧き出る新鮮な清水を飲むことに意義がある。
(東京都小平市小川町1-2573/本ブログ管理者2017.11.28撮影)
↑
昔、開拓地を潤した用水路は、日帰り温泉へに続く、、、
東京都小平市小川町1丁目にて本ブログ管理者2017.11.28撮影
↑
テルメ小川
泉質は埼玉~東京に多い紅茶色したモール泉
:
この温浴施設は、
100%天然温泉使用(加水無し/場所により加温のみ)
:
露天の源泉かけ流し(加温も無し=そのままの湯を使用)区画は、
湯温が湧出時そのままの34℃前後しかないので、
逆上せることなく長い時間お湯に浸かることができるが、
その“適温”が災いして
客の回転が悪く(ずっとその場所に居座る客が多く)、
平日でもそんな状態で入る隙間を見つけるのに苦労するので、
休日繁忙時には場所とり合戦の勃発が目に見えている人気の場所。
早い時間からの利用をおすすめする。
(東京都小平市小川町1-2494/浴槽写真は公式HPより引用)
↑
小平名物 糧(かて)うどん(648円)
テルメ小川の軽食コーナーにおける代表メニューの1つ。
麺を噛むと、しっかり地粉の風味が漂う♪
(東京都小平市小川町1-2494/本ブログ管理者2017.11.28撮影)
↑
要するに「武蔵野うどん」の仲間
多摩地域で昔から愛されてきた郷土料理。
地元の小麦からつくるコシの強いうどんに糧(茹で野菜)を添え、
濃い目のつゆで頂く。
(東京都小平市小川町1-2494/本ブログ管理者2017.11.28撮影)