“分をわきまえた?”旅の途中で、報徳二宮神社を散歩する♪
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「道の駅日光」近くの国道119号線沿い、、、
■本ブログ内関連記事(道の駅については、こちら)参照
栃木県日光市今市にて本ブログ管理者撮影↑
表参道を歩いて行く、、、
栃木県日光市今市にて本ブログ管理者撮影↑
「道の駅日光」の裏通りに大鳥居(正面入口)
■本ブログ内関連記事(道の駅については、こちら)参照
栃木県日光市今市にて本ブログ管理者撮影↑
表参道を振り返る
栃木県日光市今市にて本ブログ管理者撮影↑
「報徳二宮神社」拝殿に到着♪
明治二十六年起工、同三一年に鎮座祭を執行
同三三年に県社に列せられる。
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ご祭神・二宮尊徳は今市(現・栃木県日光市今市)の報徳役所にて逝去。
その後、尊徳の終焉の地である由緒を持つ今市に神社が創建され、 今日まで学問・経営の神様として人々に親しまれている。
本殿の裏には
栃木県指定史跡・尊徳翁のお墓と遺品を陳列した宝物館がある。
□外部リンク参照
(栃木県日光市今市743/本ブログ管理者撮影)↑
要するに、この人が祀られている神社
以前は全国津々浦々どこの小学校でも見られたのだが、、、
(報徳二宮神社にて本ブログ管理者撮影)↑
地元では完全に「神」扱い
栃木県日光市今市743/本ブログ管理者撮影↑
拝殿の正面向かって右手から裏に回った場所で二宮尊徳が眠る
墓の左には栃木県指定史跡・尊徳翁の遺品を陳列した宝物館
(宝物館の拝観料は300円)
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報徳二宮神社の本殿裏にて本ブログ管理者撮影↑
二宮 尊徳(にのみや たかのり)
江戸時代後期の農政家・思想家。
通称は金治郎(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記。
また、「尊徳」はの名前は正確には「たかのり」だが、
有職読みで「そんとく」として現代に受け継がれ、親しまれている。
「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した。
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「報徳仕法」の具体的な考え方は、それぞれが「分」に応じた生活を守り、余剰分を拡大再生産に充てることである。
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ちなみに、
像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという史実は確認できていない。
恐らくは、戦前の国体維持の目的で
国民統制のために使うという意味合いが強いポーズなのだろう。。。。。
(報徳二宮神社の本殿裏にて本ブログ管理者撮影)