ブームは冷めても、パワーは熱い?・・・清正井ⅠN明治神宮 | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

ブームは冷めても、パワーは熱い?・・・清正井ⅠN明治神宮

おれ野“お散歩日記”・・・警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-明治神宮130810111

今更ながら・・・ですが、

清正井(きよまさのいど/本ブログ管理者撮影)」です♪

明治神宮の御苑の中に都会では珍しい湧水の井戸がある。

東京都の調査では水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量があり、昔から「清正井」といわれ加藤清正が自ら掘ったとされている(真相は不明)。

加藤 清正(かとう きよまさ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名

肥後国熊本藩初代藩主

清正が肥後国を治めていたのは、天正15年(1587年)から慶長16年(1611年)の期間だが、朝鮮出兵等もあって実際に熊本に腰を据えていた期間は、実質延べ15年程である。

清正は得意とする治水等の土木技術による農業生産量の増強を推進した(「熊本4大河川改修」=白川坪井川の付替、緑川の鵜の瀬堰、球磨川の遥拝堰、菊池川に於ける各種改修等。これにより広大な穀倉地帯が生まれた)。

これらは主に農閑期に進められ、男女を問わず徴用されたが、これは一種の公共工事であり、給金も支払われた為みな喜んで協力したという。

慶長16年(1611年)3月には二条城における家康と豊臣秀頼との会見を取り持つなど和解を斡旋したが、帰国途中の船内で発病し、6月24日に熊本で死去した。享年50(満49歳没)。

加藤清正・浅野幸長の両名は豊臣氏恩顧の有力大名として家康から警戒されていたのは事実であり、その両名が同じ病気(内分泌系や免疫機能など全般の機能低下によりおこる症状)で、しかも急死したため、家康による毒殺ではないかとの憶測も流れた。

三男・忠広が跡を継いだが、寛永9年(1632年)、加藤家は改易となり、忠広は堪忍分1万石を与えられて庄内藩にお預けとなった(理由は諸説あるらしい)。

忠広は慶長16年(1611年)、父の清正が死去したため跡を継いだが、まだ11歳の若年であったため、重臣による合議制となり、藤堂高虎が後見人となる。

家臣団を完全に掌握することができず、重臣の対立が発生し、政治は混乱

加藤家の家系は、山形県酒田市大字新堀などで続いている。
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清正井を見学する為には、

この第2の鳥居(表参道を背に2番目の大鳥居)と、、、


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3番目の大鳥居の間(原宿駅を背に左側)から、

「明治神宮御苑」に入り、さらに右手の奥に進みます。

明治神宮御苑

入園料500円(年中無休)

開放時間9:00~16:30(11~2月16:00、6月平日17:00、6月休日18:00)
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上/御苑内の「南池」

下/“代々木”地名由来

明治神宮が出来る前は

この辺り一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)といって、現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたらしい。

「永遠の森」を目指した壮大な計画のもと、大正4年から造営工事が始まったが、全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、北は樺太(サハリン)から南は台湾まで、日本だけではなく満州(中国東北部)朝鮮からも届き、全部で約10万本の木が奉献され11万人に及ぶ青年団の勤労奉仕により植林することによって、代々木の杜が誕生。
今や、東京ドーム15個分の境内に17万本もの木々が豊かに生い茂る貴重な自然林の姿をなしている。

明治神宮境内の樹木には椎や樫、楠が多く、伊勢の神宮や日光東照宮のような杉や檜が少ない

これは、創建当初明治神宮に何を植えたら立派に育つか、また100年後自然の状態になっていくのか、当時の学者たちが考え抜いた末に、椎・樫などの照葉樹を植える決断をしたものなのだそうだ。

理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていくのを見て、百年先を見越して神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけた為らしい。

谷間の水気が多いところでこそ杉は育つが、関東ローム層の代々木では不向き、杉は都会に適さないのだそうだ、、、

出典/ □外部リンク参照「明治神宮」公式HP おれ野“お散歩日記”・・・警「美」報 告 書 ☆彡   ▼CAMMIYA-明治神宮130810127


夫婦楠

社殿脇(正面左)に 1920年(大正9)のご鎮座当時に献木された楠がある。
大樹に育ったご神木は、「夫婦楠」と呼ばれ、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴として親しまれているようだ。。。。。

(“めおとくす”/本ブログ管理者撮影)
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酒樽が並んでいる「第2大鳥居」付近にある売店で軽く“直会”♪

明治神宮文化館売店

東京都渋谷区代々木神園町1-1 ℡03-3379-9222

(牛丼500円、缶ビール350円)
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上/表参道から見て最初の「第1大鳥居」

下/神橋

本ブログ管理者撮影