高麗&高麗川駅周辺をポタリング♪
西武池袋線「高麗」駅と、JR八高・川越線「高麗川駅」との間を
県道15号(川越日高線)に沿って自転車を漕いでいたら、
両駅から1km以上離れているのにもかかわらず、
何故か、鉄道関連の設備が置かれていたので、ちょっとビックリ!
(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)
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↓地図中⑤の位置/埼玉県日高市栗坪にて本ブログ管理者撮影
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グーグルマップに本ブログ管理者加筆
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駅舎風物置
こおばんち
和田ポンプ店 TEL042-989-1953 埼玉県日高市栗坪463-1
こおばんち駅の駅舎および構内には最近ではあまり見かけなくなった光景が再現されています。実物や手製の物を使い、架空の駅でありながらなるべく本物っぽく見せかけるような演出を心がけ、「前はこんなのがあったよね。」と思い起こしてもらえたら幸い・・・・・なんだそうです。。。
(↑地図中⑤の位置/埼玉県日高市栗坪にて本ブログ管理者撮影)
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□外部リンク参照
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内部は、一昔前の国鉄ローカル線駅舎のようになっています・・・
(↑地図中⑤の位置/埼玉県日高市栗坪にて本ブログ管理者撮影)
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昭和50年頃の、国鉄八高線・川越線をイメージしているのでしょうか?
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現在では、軽量ステンレスボディ&VVVFインバーターという
新しい技術が取り入れられた通勤型電車が走り、
昔馴染みの姿が消えつつあるJR八高・川越線(地図中⑧)…
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現在のJR八高・川越線にて使用されている車両の1つ・・・
(JR東日本大宮支社川越車両センター所属209系3000番台電車)
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「こおばんち」の近く(県道15号沿い)には、
旧「高麗村道路元標」が残存していました。。。
(↑地図中⑥の位置/埼玉県日高市梅原にて本ブログ管理者撮影)
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高麗村(こまむら)
埼玉県入間郡に存在した村。当初は高麗郡に属した。
高麗郡高麗郷の在った所であり、現在の高麗本郷がその名を留めている。
1950(昭和25)年の人口4907人。
現在の日高市の西部に位置し、ほぼ村の西から北東にかけて高麗川が貫流。
(巾着田、高麗神社が在る所として知られている)
現在の横手、高麗本郷、久保、台、武蔵台、梅原、栗坪、楡木、清流、高岡、新堀がほぼ旧村域にあたる。
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1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、横手村、高麗本郷、久保村、台村、梅原村、栗坪村、楡木村、清流村、高岡村、新堀村の10か村が合併、高麗郡高麗村が成立。
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1896年(明治29年)3月29日 - 高麗郡が入間郡に編入、入間郡高麗村となる。
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1929年(昭和4年)9月10日 - 西武鉄道池袋線が開通し、高麗駅、武蔵横手駅が開業。
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1955年(昭和30年)2月11日 - 高麗川村と合併し日高町が成立。
新町名(現市名)の由来は諸説あるが、市の編纂委員会などの話によると、高麗村と高麗川村が合併する際に、各村名に使われている「高」の文字の上に、「日和田山」の「日」の文字を冠したとする説が、有力であるとの事。
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■本ブログ内関連記事「高麗神社~ポタリング編」参照
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巾着田(地図中⑦/埼玉県日高市高麗本郷にて本ブログ管理者撮影)
(きんちゃくだ)は埼玉県日高市の西部、高麗本郷の高麗川に囲まれた所にある巾着のような形をした平地。
(直径約500メートル、面積約22ヘクタールの川に囲まれた平地)
(地元では川原田と呼ばれている)
8世紀にこの付近に移り住んだ高句麗からの渡来人が、大きく湾曲した高麗川を利用してこの地を開墾して田を作り、稲作を伝えたと言われている。
9月~10月にかけて曼珠沙華(彼岸花)が見頃を迎えてたくさんの観光客が訪れる(「100万本の曼珠沙華」を標榜する)。
さらに、春には桜や菜の花が見頃を迎える。
夏になるとアジサイや蓮が、秋には、コスモスも見ることができる。
また、カワセミやムササビなど、さまざまな種類の野鳥や小動物を観察することもできる。
昔は文字通り水田が広がり、その面積は約17ヘクタール(17万平方メートル)に及んでいたそうだ。
(現在はグラウンドなどが設備され、憩いの場となっている)
「巾着田曼珠沙華公園」として、2005(平成17)年から曼珠沙華の開花期間中は入場料を徴収するようになっている。
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□外部リンク(埼玉県日高市巾着田管理事務所公式HP)参照
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巾着田付近(高麗川右岸/地図中⑩)の地点標・・・本ブログ管理者撮影
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埼玉県道15号川越日高線(さいたまけんどう15ごう かわごえひだかせん)
埼玉県川越市小仙波の国道16号から、日高市久保の国道299号を結ぶ県道。