●トップ●別府「現代芸術祭」に学生も参加

 11日から始まった「別府現代芸術フェスティバル2009」には、地元の立命館アジ
ア太平洋大学(APU)などの学生が、ボランティアとして多数参加している。
「混浴温泉世界」と銘打ったユニークなアートの祭典。市街地や鉄輪温泉、国際観
光港など街のいたるところが会場だ。国内外から著名なアーティストを招いた。湯
煙と現代アートが融合し、新しい風を吹き込んでいる。(芸短大・加藤美香、写真
は「べっぷプロジェクト」提供)


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 別府国際観光港の関西汽船のりば2階。ブルーを基調とした背景に、大輪の赤く
美しい花。大きな壁画が目に飛び込んできた。縦4・5\x{334d}、横20\x{334d}。
 鈴木友梨さん(APU3年)は、この壁画の制作にボランティアとして取り組ん
だ。デザインを手がけたのは、大型絵画で知られるマイケル・リン氏(45)。東京
で生まれ、上海などに住んできた世界的なアーティストだ。壁画の制作は彼のアシ
スタントの男性フランソワさんと鈴木さんらのボランティア・スタッフが行った。
「3月19日から4月7日まで、毎日、絵の制作に取り組んだんです。制作の指示を
するフランソワさんとの会話は、すべて英語でした。「絵が出来上がったとき『言
葉ではなく、アートでコミュニケーションができたね』と言われて、とてもうれし
かった」
 こう話す鈴木さんの表情は、達成感に輝いていた。「自分の本当にやりたいこと
をやっている人たちが、これだけ集まった今回の芸術祭には、ホントに感動します
ね」と語る。 今回の現代芸術フェスティバルの舞台となった別府市は、かつて温
泉観光地として大変な賑わいをみせた。日本有数の湯の街であり、九州と西日本各
地を結ぶ港街でもある。歴史ある街と現代アートが一体化すると、どう変容するの
か。
 「アーティストの方々が、別府の街をとても気に入ってくれるのが、うれしいで
すね。街を一緒に見て回りながら、ふと思いついたアイデアが作品として実現した
のには感動しました」。別府の街案内を担当したAPU3年(休学中)の家入健生
さんは語る。
 
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韓国生まれでカナダ在住のジンミ・ユーンさんなど通訳ボランティアとして参加
した西牧直祐さん(APU2年)は、「海外のアーティストが、この芸術祭を通し
て『別府』を表現する。地元の人にどう感じてもらえるか楽しみです。地域を見直
す良いきっかけになれば」と言う。
 学生ボランティアとして参加しているのは、日本人学生だけではない。西法寺通
りの一角にある会場で、受付を担当していたのは、バングラディシュからの留学生
ホセイン・イマモさん(APU2年)だ。キャンパスに貼ってあったポスターを見
て、参加を決めたのだという。「国籍の差別がない、男女の差別がない、差別のな
い世界を目指す。ポスターに書かれてあった文章の内容にとても感激しました」。
 この現代芸術フェスティバルには、多くの人々の多様な思いが込められている。
学生ボランティアの統括担当である平嶋彩香さん(APU4年)は、「たくさんの
価値観が混在する中で、一つの価値観に縛られず、色々な見方や考え方を認め尊重
したうえで、ともにに手を取り合おうという平和への願いが込められています。ぜ
ひ多くの皆さんに鑑賞してほしい」と語った。
 世界各地からの芸術家が”日本一の温泉街”に集合した「別府現代芸術フェステ
ィバル2009」は、若者たちの意欲と感動に支えられていることを実感した。みなさ
んも、ぜひ会場に足を運んでほしい。6月14日まで。
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●会いたい人
●TVキャスター、唐橋ユミさん


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 OBSテレビ「サンデー・モーニング」のキャスター唐橋ユミさん(34)に会っ
た。時事問題を視聴者に分かりやすいように、自ら作成した“手作りフリップ”で
人気の女性である。日本文理大・真栄里和也)
Q、なぜキャスターになろうと?
唐橋 高校時代、櫻井よしこさんの講演会を聞きに行き、とても分かりやすく、や
さしい言葉で説明されていたんです。「週刊こどもニュース」みたいな感じで、ス
テキだなあってて思いました。
Q、”手作りフリップ”も、そこからきているんですか?
唐橋 絵があると、内容が入りやすいですよね。説明もなるべく難しい言葉は使わ
ないようにしています。まとめるが結構、大変なんですよ(笑)。2、3分って決
まっているんです。伝えたいことはたくさんあるんですが、どの情報に絞って紹介
していくか。苦労しますね。
Q、報道の偏りについてどう考えますか?
唐橋 報道って公正中立って言われますが、本当にそれは難しいと思います。プロ
デューサーの意見によって、何をトップニュースにするかも微妙に違ったり、どの
ニュースを取り上げるか番組によって違う。見ている側がどう受け止めるかが、大
事になってくると思います。
Q、具体的には何が求められますか?
唐橋 ワイドショーみたいなニュース番組って、多いじゃないですか。テレビを作
る側にとっては、視聴率も取らないといけない。だからそういうのもなきゃ、番組
が成り立たないってこともあるんです。自分でニュースをよく噛んで味わうという
か。自分で見極めないと、流されてしまうような気がします。
Q、今後の目標は?
唐橋 もっと日本文化を分かってもらえるような番組をリポートしたいです。で
も、そういうのは視聴率が取れないって、話していたんですけどね(笑)
 <唐橋ユミ> 実践女子大文学部英文学科卒。「テレビユー福島」報道部勤務
後、現在の「株式会社三桂」にフリーアナウンサーとして所属。TBSテレビ「サ
ンデーモーニング」ほか、文化放送などの番組に出演中。


●2番手
●芸短大、県文化スポーツ振興財団と交流協定

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 県立芸術文化短大の中山欽吾学長はこのほど、大分県庁で広瀬勝貞知事の立会い
のもと、県文化スポーツ振興財団の立花旦子理事長と「友好交流に関する協定書」
に調印した。協力増進の第1弾として「iichikoグランシアタ・ジュニアオーケスト
ラ」の音楽監督に同短大音楽科の川瀬麻由美准教授(バイオリン)が就任した。
 同財団はiichiko総合文化センターを拠点に、さまざまな文化事業を展開してき
た。立花理事長は「自ら文化を発信する”創造系”に打って出たい。そのために芸
短大の力を借りたい」と述べ、中山学長は「文化レベルの向上を本学がサポートす
る道筋が示された。学生の発表の場が得られた。この2点が協定の大きな成果だ」
とあいさつした。
 「iichikoグランシアタ・ジュニアオーケストラ」は昨年、同財団が10周年を迎え
たのを機に設立準備を進めてきた。芸術監督はNHK交響楽団コンサートマスター
の篠崎史紀さん(バイオリン)。4月初め、第1回オーディションを開いた。++
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●ミニニュース
●留学生とビジネス交流会
 県内の大学に通う5カ国の留学生たちと、大分県ベンチャー企業協議会の「ビジ
ネス交流会」が3月18日、大分市内で開かれた。大分コンソーシアムなどの主催。マ
レーシア、ベトナム、中国、韓国、インドの留学生11人のほかNBUの日本人学
生、大分コンソーシアムから2人、「大分県ベンチャー企業協会」の約20人が集ま
り、留学生活や将来の就職問題のほか、各国の特産品や日本との貿易に関しても意
見交換した。
 「日本の産品で母国で売れそうなものは?」という質問に、インドではインスタ
ントラーメン、中国では車とコタツ、韓国ではカレーライスと服などの答え。逆
に、日本で売れそうな物は、インドの本場カレー、韓国のホトック(もち)などが
あり、5月の試食会でインドカレーを作ることになった。(NBUパク・ソンファ
ン)
++++

●「日韓春休み交流」特集

 春休み中に海外旅行を体験する学生は、少なくない。円高のいまは、外国に出か
けるチャンスでもある。韓国・釜山市の大学での韓国語実習と、別府市で春季キャ
ンプを行った高麗大学野球部の取材記をお届けしたい。

●3週間の韓国語実習/文化を越え、積極的に動け


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 韓国・釜山の東西大学で行われた3週間の韓国語実習は、本当に充実したものだ
った。県立芸術文化短大から5人の女子学生が参加した。日本に最も近い国、最も
近い都市。事前に予想もしていなかった多くの出会いがあり、日本では味わえない
経験ができた。
 午前中に3時間の韓国語特訓。教職員食堂で昼食をとり、国際学生宿舎の個室に
宿泊。週末には近くの観光地に行き、ソウルにも2泊3日で出かけた。ソウルで
は、日本文理大(NBU)に留学中の韓国人学生Pさんが案内してくれた。彼もキ
ャンパスカフェの編集部員だ。
 同年代・多国籍の学生との交流が新鮮だった。東西大に留学中の日本人留学生と
知り会いになり、その紹介で東西大日本語学科の韓国人学生やロシア、ドイツから
の留学生とも出会った。
 日本語学科の学生とは、日本語や韓国語の勉強を始めたきっかけを語り、日本と
韓国の若者の違いを話したり、韓国語を教えてもらったりした。
 印象的だったのは、ひとりの韓国人女子学生の話だった。日本で勉強したいとい
う気持ちが中学時代からあり、高2の時に退学して、東京の語学専門学校に単身入
学したという。「あの時はただ日本で勉強したいだけで、何にも考えてなかったか
ら」。屈託なく笑う彼女には、見た目では分からない強さがあるのだと感じた。
 自分の夢の実現のために、言葉も通じず知り合いもいない外国で、1年半がんば
ってきた彼女の話は、私にはとても良い刺激になった。ドイツやロシアからの留学
生とは、片言の韓国語と英語で会話した。お互いに分かろうとし、伝えようという
意思があれば、気持ちは伝わるのだと実感した。
 韓国で3週間過ごしてみて、文化の違いに直面する時もあった。韓国人の人間同
士の距離感覚は非常に近い。とても長い時間をともに過ごそうとする。授業の中で
先生が話してくださったことだが、韓国人がひとりで食事をすることは、ほとんど
ないのだという。ともに時間を過ごすことが相手への礼儀だ、という意識があるよ
うに感じた。
 ひとりの時間や個を大切にする日本人にとっては、とまどうことも多かった。ど
んなに距離が近く容姿が似ていても、違う国なのだと感じた。隣国の文化を知る機
会になった。 今回の韓国語実習で一番の収穫は、積極的に動くことの大切を学ん
だことだ。自分で動かなければ、出会いも経験も近寄っては来ない。日本でもこの
姿勢は忘れずにいたい。今までなんとなく勉強していた韓国語だったが、勉強を続
けていきたいと改めて思える理由が生まれた。韓国語で韓国人の友達と話をしてみ
たい、という新たな目標を得ることができたのだ。(芸短大・加藤美香)

●気配りある韓国人

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 1週間目はキム・デギュン監督が案内してくださった。昨年秋、別府で開かれた
日韓次世代交流映画祭で来日した30歳代の監督だ。「みんなで食事に行くときは、
3軒行くのがコリアンスタイルだ」と教わった。2、3週間目は多くの留学生や韓
国人学生と出会った。韓国人はすごく親切だった。さり気ない気配りがあって、感
動した。3週間はあっという間だった。(同・入来院美希)

●韓国男子は優しい
 韓国と日本は距離は近いのに、文化や制度が違うところが多い。韓国の男子には
兵役の義務がある。兵役を終え復学した学生から「睡眠時間がほとんどない」「精
神的に追い込まれる」という壮絶な話を聞いた。驚くことばかりだった。日韓の恋
愛の違いも分かった。日本の男子より、韓国の男子がはるかに優しい。それに比べ
ると、韓国の女子は気が強い。まるで映画「猟奇的な彼女」みたいだ。韓国の友達
たちと遊びながら、見えてくるものがあった。(同・清松紫帆)

●日韓、だいぶ違う
 日本人は他人に自分のことを知られたくない人が多い。韓国人は自分のことを他
人に知ってほしい人が多いような気がする。(同・秋田真実)▽韓国のハシは金属
製で重い。日本のハシに慣れている私にはきつかった。最初のうちは筋肉が痛かっ
た。(同・西川梓)



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●高麗大野球部、別府でキャンプ/「温泉と立派な施設に満
足」
 韓国の名門・高麗大硬式野球部が1月下旬から約1カ月間、別府市で春季キャン
プを行った。昨春に続き2度目。円高ウォン安で来日が危惧されたが、地元の受け
入れ態勢が整い、韓国プロ野球チームや別府大学との練習試合などで技術を磨い
た。来年もぜひ来てほしい。
 「朝起きて温泉、練習が終わって温泉、夜寝る前に温泉です」。野球部キャプテ
ンのホン***さん(3年)は、とにかく別府の温泉が気に入っている。別府市民
球場の設備もすばらしいという。「日本各地の施設を見たが、ここが一番だ」とヤ
ン・スンホ監督。かつて西武ライオンズで研修したこともあり、日本語もできる。
一昨年まで韓国・済州島で春季キャンプをしていたが、昨年から別府に切り替え
た。
 しかし、突然の円高。「一時は別府キャンプを断念しようと思った」という。別
府市側が野球場の使用料を割り引いてくれた上、宿舎(ホテル「ニューツルタ」)
側も特別料金で迎え入れてくれた。 野球部員は約40人。昨年は韓国大学リーグで
準優勝。今春の卒業生9人にうち6人がプロ入りする強豪だ。ヤン監督はプロ野球
の現役時代は2塁手。プロ野球「斗山」「ヘテ」の監督を務めたことがある。津久
見市でキャンプ中の韓国プロ野球「斗山」との練習試合を3回行った。
 ハン・ミョンジェ投手は10年間、日本で過ごしたため、日本語ができる。父親が
NECのラグビー選手だったのだ。ハン投手は現在3年生。将来の夢は野球を続け
ることだが、もし実現できない場合は、外交官になりたいという。ぜひ、日本と韓
国の懸け橋になってほっし。
 私は、今秋から高麗大学に留学する予定だ。1月に下見に行った。広大なキャン
パスに魅了された。このキャンパスでの留学生活を思い浮かべるだけで、胸が高鳴
った。今回の取材は、高麗大学への留学を控える私にとって、とても励ましになっ
た。「高麗大学と延世大学の定期戦には、おいでなさい」と監督に言ってもらっ
た。選手たちにも顔を覚えてもらい、、留学が一層楽しみになってきた。(大分
大・真崎野花)


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●ミニニュース/NBUチアリーディング部公演
 全国大会11連勝という連勝記録を更新している日本文理大学(NBU)チアリー
ディング部BRAVESが21、22日の両日、大分文化会館で「CHALLENGE
シーズン2」公演を開催する=写真は去年の公演。
 大会で披露する演技に加え、ミュージカル風にアレンジした舞台を企画。ハーモ
ニーランドの協力で「キティちゃん」も特別出演し、舞台を盛り上げる。「BRAVES
 Jr」「NBU吹奏楽部バンビーズ」も出演する。21日は18:00-20:00(17:00
開場)、22日は15:00-17:00(14:00開場)。チケットは一般前売1500円、当日
1800円、高校生以下前売1000円、同当日1300円。3歳以下は無料。

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●”巣立ち”前に/「子ども劇場」に参加

 「キャンパス・カフェ」2月号は、今春卒業するスタッフで作った。全員が夢を
叶えて就職する。学生から社会人へ、責任も重くなる。この機会に「おおいた子ど
も劇場」の活動に参加した。在学中にメンバーだったスタッフもいる。学生と社会
人、子どもとお母さんも一緒に活動する団体。異世代交流の場でもある。中学生が
企画する「高学年自主活動」(2か所)と、小さな子どもからお年寄りまで参加し
た「ブロック活動」を報告したい。

●屋外で元気よく/公園でたこ揚げ
 1月25日、曇り、気温8度。寒空の大分市高尾山自然公園。
 大分に来てから、子供たちがお正月にたこ揚げをしている光景を、見たことがな
い。塾やテレビゲームで忙しいのだろうか。だが「おおいた子ども劇場」では、た
こあげや集団あそび、キャンプなど子ども主体の活動を、毎月のように続けている
という。「城東グループ」のたこ揚げ大会に参加した。
 僕自身も、たこを作るのは、小学生以来だ。あれこれ考えていると、まず中学生
がやってきた。サポーターの大学生と、今日作るたこについて打ち合わせた。話し
合いの結果、2グループに分けて作ることになった。
 30分もたつと、たこを作る道具をリュックに詰めた小学生が、勢いよく駆け寄っ
てきた。まだ始まる前なのに、あっけにとられるほど元気だ。スロープを駆け登
る。次は遊具の場所へ。木に登る。実に元気がいい。昔の自分を見ているような気
さえした。テレビゲームなんてなくても、自然の中でゲームを作り出す喜びを、思
い出させてくれた。
 たこ作りが始まる。中学生とサポーターの大学生が一緒になって調べてきた内容
を小学生に実演して見せた。あれっ? 2グループに分かれるはずが、いつの間に
か、バラバラ。時折、サポーターのお兄さんにちょっかいを出す子もいる。実に楽
しそうに、満面の笑みを浮かべている。こんな交流が、実社会での上下関係や他人
への接し方を覚える良い機会になっているのだと実感した。
 工作もそうだ。最近は、何でも既製品で済ませてしまう傾向が強い。僕たちの世
代ですら自分で遊ぶものを作っていた。今の子どもにできないはずがない。機会が
与えられていないだけなのだ。慣れない手つきではあるが、なかなかサマになって
いる。
 たこづくりが終わった。レジ袋がかわいい絵が描かれたたこに大変身した。みん
なで揚げる。うまく飛ぶのもあるし、なかなか揚がらないたこもある。子どもたち
は上手に飛ばそうと、広場を全速力で駆け回る。子どものころ、よく見た風景だ。
だが、今では珍しくなりつつある。
 たこあげが終わる。息つく暇なく、陣取り合戦が始まった。そんな元気がどこに
余っているのか、と驚かされる。時計を見ると4時間もたっていた。子供たちにと
っては、よい経験だ。週に2、3時間、屋外で遊ぶ時間を作りたい。心身の成長に
必ずプラスになるはずだ。


●楽しくカード遊び
 「はじめまして。M・Yです」「じゃあYちゃんということで」。私のあだ名が
決まるとさっそく、「おおいた子ども劇場・稙田(わさだ)グループ」の一員とし
て、カード遊びに加えてくれた。
 年齢は関係ない。小学4年生から大学生まで、カード遊びに必死になれる13人が
集まった。百人一首。歌を覚えていなければ、札が取れない。運良く取れると、驚
くほど心が弾んだ。でも、結果2枚だけ。完敗だ。
 かるた取り。こちらは暗記していなくても、札を取れる。しかしゲットすると、
一斉に「大人気ない!」と罵声が飛んでくる。気にせずに頑張ったが、今度も負け
た。
 途中、中学生がうまく仕切って、2つのグループに分かれ活動した。トランプや
ウノなどで盛り上がった。時間を忘れるほど熱中したのは久々だ。忘れかけていた
何かを思い出した気がした。


●”老若一緒”に、お餅つき
 2月1日。南大分公民館で、今年初めての南大分ブロックのブロック活動が行わ
れた。下は3歳から上は中1まで、お母さんたちや賛助会員のおばあさんたちを含
め、総勢26人で餅つきをした。
 餅は機械でつく。つきあがるまで、雑煮に入れる野菜を切るなど事前準備。人数
が多いうえ、大半が小学校の低学年生だ。テーブルの上の片栗粉で遊んだり、調理
室にあった玩具で騒ぐなど、終始、楽しそうだ。
 餅がつき上がると今度は、おばあさんたちがちぎった餅の争奪戦だ。丸い形だけ
でなく、平たい餅もある。くっついて1個分より大きくなったのもある。その一方
で、お母さんたちが、きな粉もちや、おろし大根とあわせた「す餅」、お雑煮を
着々と作って行く。
 「いただきま~す」。みんなで手を合わせて、和気あいあいと話しながら、お腹
いっぱいに餅をたいらげた。

●「子ども劇場」
 4歳の子どもから小学~高校生、大学生や社会人、子育てに励むお母さんや、そ
れを応援する人たち、さまざまな人で構成されている。人形劇や舞台劇・音楽な
ど、ナマの舞台を親子で見たり、遊びやキャンプなどの自主的な活動を通じて、子
どもたちの創造性と社会性を育むことを目的にしている団体だ。県内には5つの子
ども劇場があり、約1500人が会員として活動中。「大分県子ども劇場連絡会」の問
い合わせ先は、電話&FAX097-536-1038。


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●ひと(大学人)
●県立芸術文化短大音楽科2年、村松大介さん(21)
●芸短ミュージカルに連続主演
 甘い歌声に、多くの聴衆が魅了される。日本人離れした整った顔立ちだ。県立芸
短大が毎秋行うミュージカルに2年連続で主演。「嵐が丘」「ロミオとジュリエッ
ト」にチャレンジした。
 昨年末には、大分T.O.P.S.でのアコースティックライブで、自作の曲を披露
し、存在感を発揮した。「夢は音楽プロデューサー」と語る眼差しは熱い。「部屋
に閉じこもって作業をする方が好きなんです」と、恥ずかしそうに語る一面もあ
る。華やかな舞台に立つ姿の裏側には、音楽経験を積むための努力を感じる。
 恩師に美術コースを勧められるほど、絵を描く能力も高い。「音楽を作り上げる
ことと絵を描くことは、かなり共通する部分があると思うんです」。人間としての
レベルを上げるために、音楽以外にも積極的に取り組んでいる。
 芸短大は女子学生が多い。幼いころから、女の子と過ごすことが多かったとい
う。「おかげで普通の男の子よりも、女の子の気持ちが分かるんですよ」。それが
作詞に役立っている。「好きな動物はウサギです」。
 現在はソロ活動中だが、バンドの結成を計画。今夏には東京での音楽活動を目指
す。「保険がある生活は好きじゃない」。強い言葉に、夢を切り開くエネルギーを
感じた。


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●ミニニュース/NBU学生がラーメンを共同開発
 日本文理大の基礎教養科目「社会参画実習2」で、株式会社・温(ラーメンく~
た)と同大生が取り組んでいたラーメンの共同開発プロジェクトが完成。6日から
28日まで「ラーメンく~た大在本店」で、新商品を限定販売中だ。
 新商品はとんこつ味と塩味の2種類。9日に東京で行われた「社会人基礎
力育成グランプリ2009」(経済産業省主催)で報告し、優秀賞を獲得。3月5日の
決勝大会に挑むことになった。

 「キャンパス・カフェ」は、毎日新聞大分版の毎月第3木曜日に掲載されています。学生たちの企画・取材・執筆によるページです。大分県立芸短大、大分大、日本文理大(NBU)、立命館アジア太平洋大学(APU)の学生たちが参加しています。毎月各号の内容を、ご紹介します。

●円高・・に苦しむ留学生たち
 金融危機に伴う円高のいま、日本で勉強中の外国人留学生は、ハードな日々を送っている。アルバイトは勉学を続けるための自助手段だ。キャンパスカフェ編集部員の留学生ら2人によるバイト体験記をお届けする。
◆韓国人留学生のバイト体験記
<私を成長させてくれた/一生忘れない>
 日本に来て約2年。アルバイトを始めたのは来日後10カ月。6、7歳の子供程度の会話しかできなかった。「勇気があれば大丈夫。どこでも働ける」。そう思い電話をかけたが、「外国人はお断りしています」という返事。仕事は簡単に見つからなかった。
 やっと見つけたのが、ホテル宴会場でのウェイトレスの仕事だった。私にとっては辛いことの連続だった。仕事が始まり、がくぜんとした。日本語のスピードが会話練習用テープとは、まるで違うのだ。何を話しているのか聞き取れない。みんな忙しく働いているの、私は指示を受けても何をすればいいのか分からなかった。
 私だけ邪魔になってるみたいで、逃げたくなった。そして、私だけが一人で洗い場の仕事を手伝うようになった。悔しかった。「日本人は冷たい」と涙が出そうになった。今にして思えば冷たいわけではない。でも世界のどこでもある”文化の違い”が辛かった。
 「お疲れさまです」。だれかれと、あいさつするのに慣れない。会うたびに、そんな声をかけるのが、恥ずかしい。韓国と違い、男女の仕事差があまりない。重たいものを運んだりするのも、女がする。不思議だった。
 辞めようかと思った。でも、ここで辞めたら、日本の文化が学びたくて留学した目標がなくなる。がまんして、毎晩、日本語の勉強をがんばった。
 ある日。トレイの持ち方に慣れてなかった私は、お客さんの背中にウーロン茶をこぼしてしまった。マネージャーは他の日本人バイトに処理を頼み、私は会場の裏に追い出された。パーティーが終わるまで、グラスや皿をを拭くしかなかった。今でも悲しい思い出だ。
 4カ月ぐらいになったころ、日本人の会話が少し聞き取れるようななった。少し自信ができた。韓国から来た女子学生2人を職場に紹介した。でも2人はすぐに辞めた。私は他のバイト先に行っても、自分が変わらないと一緒のことだと思い、辞めなかった。
 だんだん仕事が身についてきた。ミスも減った。マネージャーに仕事を任されるようになった。自然なサービスができるようになった。「韓国人ですか」「留学生?」と聞かれても、今では楽しみながら答えられる。
 最近、私は「今月のベストスタッフ」に選ばれた。最初のころ感じたお客さんのあさ笑い。それは自分で作り出した被害意識だったのかもしれない。
 日本人の多くは、外国人を無視はしないが、先入観はあるようだ。私も韓国にいるときは、そうだった。アルバイトの仕事は、私を成長させてくれた。韓国に帰っても、一生忘れない。

◆真摯さと努力に学ぶ
 私のアルバイト先の結婚式場には、留学生が多い。韓国やモンゴルなど出身国はさまざまだ。結婚披露宴では、質の高い接客が要求される。たどたどしい日本語は、目立ってしまう。「どうして留学生を雇っているの?」。そう思っていた。
 ところが、お客様の声はあたたかい。「私のテーブルについてくれたモンゴル人の子は、とても丁寧な接客をしてくれたよ。日本語とモンゴル語で名前を書いてれた。勉強熱心で感心した。楽しい時間を過ごさせてもらった」。そう言って満足げ笑みを浮かべた。 世界的に不況が深刻になる中、派遣切りや内定取り消しなど、社会的問題が起きている。私たち学生にとっても他人事ではなくなった。厳しい状況であればあるほど人格が問われる。「必要とされる人」であるためには、真摯な気持ちと努力が大切なのだ、と留学生たちから学んだ。
◆円高が留学生を直撃
 「学費を減免できませんか。このままでは韓国に帰らざるをえません」。大分・別府地区には多くの外国人留学生がいる。うち韓国人留学生は1000人近くいる。金融危機後、韓国通貨ウォンの価値が半減し、大きな打撃を受けている。
 日本文理大(NBU)の学生ジョ・ガンレさん(19)は、元ユースサッカーの選手。スポーツマネジメントを学ぶために留学中だが、「前期には両親からの仕送りとして1カ月に約7万ウォン(現在のレートでは約5万円)を送ってもらっていた。後期に入って、円高のために2倍に増額。現在は約1万4千ウォン(約10万円)を送ってもらわないと生活ができない」。
 立命館アジア太平洋大学(APU)のチェ・ギホさん(20)は「生活が苦しい。食事を減らす反面、アルバイトの時間を延長した」という。
 一部の大学では学費の納入日を、昨年12月や今年2月まで延期した。年2回の学費支払い期限を年8回(前後期各4回)に分納する制度でも対応中だ。留学生のために約20万円の入学金免除や、授業料50%免除もある。NBU経営学部の場合、授業料は年間約90万円だが、留学生は半額の約50万円。減免制度によって、勉学に問題が起きないように対策を講じているわけだ。
 しかし、各大学の対策にもかかわらず、留学生たちからは苦しい声が続いている。別府大学の留学生ホ・ユルさん(21)は「この状態が続けば、大学を中退して帰国せざるをえない。何か抜本的な対策を考えてほしい」と語っている。

◆大分県内の留学生は約4000人
 大分県国際交流室が昨年11月1日現在でまとめたところによると、県内の大学・短大には、93の国・地域から、3980人の留学生が在籍している。同年5月1日現在に比べ194人が増加した。これは人口比でいえば、東京都に次いで2番目に多い数字である。
 このうち私費留学生が3785人で大半を占めている。国費留学生は123人、外国政府派遣は72人だ。
 国・地域別にみると、もっとも多いのが中国の1479人。留学生全体の37%を占めている。次が韓国の937人(24%)。タイ256人、ベトナム229人、インドネシア192人、台湾150人、モンゴル113人と続く。APU(学部と大学院)には、計2748人(県全体の69%)が在籍している。他の大学では別府大639人、NBU381人、大分大172人だ。

●ひと(大学人)/別大毎日マラソンに挑戦/大分大学工学部4年
◆堀田憲さん(22)「恩返しのつもりです」
 大分トリニータのGK西川周作選手に似ている。「よく言われるんですよね」。
福岡県立北筑高校(北九州市八幡西区)出身。陸上は小学校3年の時に始めた。
 「ロードレース大会で2位だった。1位の人に勝ちたくて、同じクラブに入ったんです」。2月1日に行われる第58回別府大分毎日マラソンに出場する、県内では唯一の大学生選手だ。
 高校3年の時、日本海マラソンに挑戦した。「走り納めのつもりで出たんですけど、結局、今も陸上を続けているんです」。走るのが何より好きだ。それが、ひしひしと伝わってくる。
 「専門は800メートル、1500メートルの中距離。長距離の大会への参加は、挑戦!ですかね。他人と違うことがしたいんです。目立つことが好きというか」
 昨年も別大マラソンに出場し、2時間45分35秒で走り切った。「昨年は30キロ過ぎたところから、足が動かなくなった。今年は2時間30分台で走りたい」。毎日、グラウンドを20キロ。週に1度は公道に出て30キロ走っている。
 「今日も朝、走ってきたんですよ」。さわやかに答える姿に、疲れなど少しも感じない。今大会には福岡から両親が応援に駆けつけるそうだ。
 「今春から社会人になるので、今度が本当に走り納めです。陸上は一人ではできない。小学生のころから陸上を続けさせてくれた両親や、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを持ちながら、恩返しするつもりで走りたいですね」。


●「楽園」で戦争に出会った
 ちょっとした空き地に車を停め、そこから林の中の道とは呼べないような道を進む。やがて明るい光があたり一面を照らした。まず目に飛び込んでくるのは、まるで南国リゾートのような景色。言葉では言い表すことができないような、青く澄んだ海、透き通る空の色。沖縄の民謡はこのような場所で作られたものである、と妙に確信めいて思えた。
 三線(さんしん)の何ともいえない心地の良いメロディーが聞こえてきそうだ。左右に目をやると、緑が果てしなく広がり、まさに楽園という言葉を思わせる。ここで多くの命が失われたことを忘れてさえいればの話ではあるが。
 歩きにくい岩場を進んでいく。うっそうと木が生い茂った中に、注意していなければ通り過ぎてしまいそうな小さい空間がぽっかりと空いていた。中に入ると非常に深く、外とは別世界のジャングルのような風景がある。そこを進むと、すぐ人骨があった。
 頭蓋骨ひとつ。割れもせず、汚れもせず真っ白いまま。戦後63年という歳月をまったく感じさせなかった。「たくさん写真を撮っておきなさい」と言われたことを思い出し、カメラを構えたが、シャッターが切れない。ふだん何気なく押しているのに、とんでもなく重いもののように感じた。自分の頭の中に留めておくだけでなく、多くの人に伝えねばと思い直しシャッターを切った。
 今なお沖縄では未回収の遺骨や、その場所すら判明していない遺骨が数多く存在している。この現状を一人でも多くの人、特に将来を担う若い世代に伝えていくことが、私たちに与えられた使命だと感じた。
●韓国人学生と沖縄
 日本に留学して2年目になる。韓国でも「韓国戦争記念館」などに、戦争当時の遺品や写真が展示されている。しかし沖縄に出かける前は、うかつなことに「戦争」との関連がよく分からなかった。 私たち取材班は、沖縄南海岸にある場所に着いた。戦争当時の遺骨がそのまま放置されている。私の目に人間の遺骨が飛び込んで来た。大腿骨、頭がい骨などだ。どれほど辛かっただろうか。目が涙でうるんだ。
 韓国の戦争博物館で私が見た遺骨も、こういう場所で収集されたのだろう。しかし私自身が現場に行って見た「戦争の現場」は、博物館で見る印象とはまるで異なるものだった。「私はなぜ今まで、このような遺骨を展示品と考えてきたのだろうか」。戦争経験のない私にも、戦時の状況がありありと目に浮かんできた。
 韓国人を含む多くの犠牲者を出した沖縄の戦争ーー。いったい誰のための、何のための戦いだったのか。

●遊び場が戦跡だった
 22年前に沖縄で生まれ沖縄で育った。戦闘機が爆音をたてて飛ぶ光景は、小さいころと変わらない。63年前、沖縄は悲惨な戦場となった。今もなお当時使用された壕(ガマ)が多数存在する。
 取材班が訪れた壕は「那覇新都心」と呼ばれる場所の端にあった。そこには、かつて米軍住宅があった。今は開発が進み、大型ショッピングセンターなどが林立する。沖縄戦の激戦地だったのは知っていた。よく遊びに行っていたショッピングセンターの近くに、今も壕が存在する。そのこと自体に私は驚いた。
●壕の違いに驚く
 沖縄で起きた事件が他県に県に伝わりにくい。日本なのに日本にいる気がしない。車を走らせ、どのくらいたったのだろう。車が行き交い、ショッピングセンターが立ち並ぶ。ほんの数十分前、遺骨を見たことさえ忘れてしまった私が、そこにはいた。
 沖縄滞在の最後の日、旧海軍壕資料館の壕へ向かった。周囲を見渡せる小高い丘の上にある。壕を見て、あ然とした。広さ、天井の高さ、部屋の広さ。私たちが遺骨の収集作業をした壕とは、比べものにならなかった。
 線香の匂いが漂う部屋には、自決の痕跡がある。壁の傷、つるはしの跡を触るうち、当時の人々の気持ちが読み取れるような気がしてきた。
 数十年前、命がけで走り抜けた人たちいた。「お国のため」「家族のために」と戦った人がいた。その人たちが、まだどこかに眠っている。
 「キャンパスカフェ」編集部は9月中旬、3泊4日の日程で沖縄取材チームを派遣した。目的は、日本国内で唯一の市街戦が戦われた「沖縄戦」取材のためだ。戦争終結から63年。男子3人、女子4人からなる取材班は、沖縄の地に放置されたままの戦争犠牲者の遺骨に遭遇し、強い衝撃を受けた。

●「早く遺骨を明るい場所に」
 遺骨収集の当日、朝早く那覇市内のホテルを出発した。取材班は全員、作業服にヘルメット姿。ホテル従業員が奇妙なものを見るような視線を向けた。
 まず現地で長年にわたって、遺骨収集を続けている国吉勇さん(69)にお会いした。遺品展示館を兼ねている事務所で説明を聞いた。
 さびついた機関銃。男子学生が持ち上げようとして、よろめいてしまうほど重い。火炎放射器で焼かれた革のベルトや、手榴弾、銃撃で穴のあいた水筒、当時の水が残ったままの水筒もあった。
 もっとも衝撃を受けたのは、人間が火炎放射器で焼かれ、人骨がこびりついたままの茶わんを見たときだ。骨の原型は留めていない。一目では何なのか分からない。国吉さんの説明を聞き、初めて人間の骨だと理解できた。国吉さんは鋭利に切断された骨も見せてくれた。おそらく負傷した兵隊を麻酔なしで手術し、切り落とした人骨の一部だという。
 那覇市内から車で1時間半ほどで、海岸に到着した。ゴツゴツとした硬い岩が続き、とても歩きづらい。底の厚い長靴をはいていても、足の裏が痛くなる。砂浜に出た。遠浅の海が続く。さらに少し行くと、多くの千羽鶴が供えられた場所があった。さらに、そこを過ぎてゆく。
 岩のくぼみがあった。人間1人がやっと入れるくらいの広さだ。くぼみを見下ろす。そこに遺骨があった。おそらく3名。その横に手榴弾が2個。上陸した敵におびえながら隠れていた時、どんな気持ちだっただろう。眼前に手榴弾が投げ込まれ・・・、想像し、思わず目を閉じた。
 遺骨収集の現場は思わぬ場所にあった。「えっ? ここですか」。壕(ガマ)の前に立ち、声を上げた。周囲を見渡すと広い道路が走り、大きなショッピングモールや高層マンションが見える。民家に隣接した場所だ。
 壕の入り口は狭い。しゃがんで入っても、何度も頭をぶつけてしまう。光もほとんど届かない。作業用のライトを灯した。壕の中に入った男子学生がスコップで土をかき出す。それをバケツに入れる。何人かでバケツリレーをして土を外に出す。その繰り返しだ。しゃがんだままの作業である。
 壕の中は蒸し暑さが充満し、汗がボトボト滴り落ちる。やっかいだったのは、乾燥した赤土だ。さらさらした砂状で、バケツが弾んだ拍子にパッと舞い上がる。それが目に入り、痛い。
 慣れない作業を1時間も続けると、次第に腕が上がらなくなる。バケツが持てない。バケツを引きずって、次の人へ渡す。体力のなさが情けない。
 「小瓶がある!」。壕の外でバケツを受け取る作業をしていた男子学生が声を上げた。国吉さんに見てもらう。戦争当時に使われていたものに間違いがなさそうだ。
 作業開始から約3時間。その後、作業を続けても、遺骨や遺品は発見できなかった。広くなった壕の中に、ツルハシの跡がくっきりと確認できた。30人ほどの人が隠れていたようだという。
 沖縄戦の傷跡は癒されていないと実感した。蜂の巣のように穴の開いた壕は、開発によって取り壊されていく。戦争の記憶は、傷口を絆創膏で隠すように薄れていく。「早く遺骨を明るい場所に出してあげたい」。作業をしながら、私はひたすら思い続けていた。
●沖縄育ちにも初体験
 僕は沖縄県豊見城市で育った。幼いころから、さまざまな場面で沖縄戦や米軍基地にまつわる大人たちの体験談を聞いてきた。
 高校時代は甲信越地方で過ごした。「道徳」の時間に日本神話が登場し、修学旅行のコースには靖国神社があった。日本神話は非科学的だと言おうものなら、どんなに一生懸命授業を受けても、赤点ぎりぎりにされるような高校だった。級友たちは沖縄戦に関する知識が皆無に等しい。沖縄に米軍基地が集中しているのも仕方がない、といった意見が支配的だった。
 大学では、このような話を真剣に議論する雰囲気はないばかりか、他国に対する過激な発言さえ飛び出る。危機感を感じ、どう打開しようかと考えている時、佐賀県のNPO「戦没者を慰霊し平和を守る会」の存在を知り、さらに今回の取材でお世話になった那覇市在住の国吉勇さんと連絡を取った。
 「キャンパスカフェ」の編集会議で、遺骨収集の提案をした時、僕1人だけでも取材に行くつもりだった。しかし取材班は7人に増えた。沖縄戦に関する勉強会をした上で、現地に出かけた。
 今回の取材は、沖縄出身の僕にとっても初体験の連続だった。取材中に出会った頭蓋骨は、忘れ去られた沖縄戦の記憶を語りかけているように感じた。顎の形状から見て、若年者の遺骨だろう。その遺骨はいまだ苦しみから抜け出せずにいる沖縄、苦しみを押し付ける国を憂えているように思えた。
 日本の最南方で起きた悲劇。彼(彼女)らが守りたかったものは何だったのか。国家という体制か、それとも愛する家族や郷土か。戦争の記憶を風化させないために、より良い未来を創造するために、次代を担う若者の使命として「沖縄戦」を語り継ぐ活動は不可欠である、と再認識する取材になった。

●ことば・沖縄戦 
 1944年10月10日、那覇市に大空襲があり旧市街の90%が焼失した。一般的に「沖縄戦」は、米軍が慶良間諸島に上陸した翌1945年3月26日から、降伏文書に調印した同9月7日までと定義される。死者数は日本24万4136人(うち民間人9万4754人)、米国軍1万2520人。米軍が使用した砲弾は271万6691発にのぼり、「鉄の暴風」と呼ばれた。米軍による艦砲射撃は、沖縄の地形を変えるほどだった。