被災地は自衛隊の人達が沢山いて復興に向け作業を行っているのかと思ったら、作業を行っている自衛隊員は見受けられなかった。 何箇所かで重機が作業を行っている程度である


夕方までに少し時間があったので仙台空港まで足をのばしたが、やはりここも想像を絶する被害だった。空港周辺にも住宅街があったであろうが壊滅的であった。


でんでんむしの車中泊旅-空港周辺
やはり作業をおこなっているような自衛隊員の姿は殆ど見なかった。


夕飯、朝食の材料と翌日の弁当を買いセンターに戻り受付を行った。

センターに入るとスタッフが明るく接してくれた。

センター内の張り紙を見ると全国からボランティアが来ている。

沖縄、九州、四国とかなり遠方から来ているようであった。 本当に頭が下がる。


この日は、当方の隣町の団体が近くの小学校に炊き出しに来ているので連絡をとり出向いた。

申し訳ないと思いつつ二人で炊き出しを御馳走になった。

その後、二人で炊き出しの手伝いをさせてもらったが、被災者の人達が思ってた以上に明るかった事に少しホッとした。 炊き出しに来てくれているのだからと気を使ってくれていたのだろうかとも思った。

明日からの二日間作業を頑張らなければと思いながらセンターに帰ってきた。


でんでんむしの車中泊旅-センター P

夜は隣のテントのアブちゃん(兵庫県)と自衛隊の用意してくれたお風呂に行ってみた

被災地に来てお風呂に入れるとは思っていなかったので本当に助かった。

「自衛隊の方々、ありがとうございました。」

そしてアブちゃん、一人で兵庫からのボランティア お疲れ様でした。



出発してから9時間、のんびりと安全運転で走り福島の道の駅に着き車中泊をすることに。

車の中で二人で話をしていると、中年の男性が声をかけてきた。

しばらく話をすると東京から親戚の家の田植えの手伝いに来たのだと言う。

車中泊がしてみたくて親戚の家には泊まらないで近くの道の駅で泊まることにしたらしい。

福島で田植えをしても原発の影響で米が売れるのだろうかと尋ねると、売れないだろうと言う

でも、米を作らないと原発の補償がもらえない。

売れない米を作らなければならない農家の方もとても辛いだろう。

翌朝起きると、道の駅は地元ナンバーの車中泊の車が多いことに気がついた。

多分、被災者であろう。 中には親子らしき車中泊の姿もあった。

まさかこんな場所で被災者らしき人達の姿を見るとは思わなかった。 

道の駅を出発して約2時間程で亘理町に着いた。

センターの場所はすぐに分かったが、先に被災現場を見させてもらうことにした。

車を走らせるごとに、悲惨な状況が目に飛び込んできた。

この場所に本当に住宅が立ち並んでいたのだろうか
でんでんむしの車中泊旅

写真を撮るのもためらう光景であった。 

テレビとか写真では、とても伝えることが出来ない被災現場。

二人とも声が出なかった。




震災後、毎日昼夜問わずテレビで流れる映像を見てはなんとも言いようのない気持ちになっていた。

そんななか石巻ボランティアセンターで活動を行っている人達のテントが沢山立ち並んでる映像を見た。

3月はまだ寒くテントには白く雪が積もっていた。

若者はテントの中でインスタントラーメンを食べボランティアに参加していた。

そんな映像を何度となく見るたびに、自分も東北被災地のボランティアセンターのブログを見るようになった。

学生かと思われる若者がなけなしの小遣いを握りしめ、寒い中遠い被災地でボランティア活動を行っている姿に感動した。

日を追うごとに自分でも何か出来ることがあるのではという気持ちが強くなり、自分の中で月末頃には計画を温め始めた。

4月に入り具体的な計画を立て、バイク仲間の後輩に話をすると彼も同じような事を考えてたらしく感触のよい返事だった。

5月の連休をピークにボランティアが減少するだろうと思い中旬以降で計画を進めた。

場所の選定は当時県外受け入れを行っているセンターの中で一番ボランティアの人数が少なかった「亘理町」

初めて聞く名前の町だったが、少しでも被災者の力になることが出来ればと二人で出掛けた。