
恋はまことに影法師、いくら追っても逃げていく。
こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げていく。
・・・(シェイクスピア)
スマホを使っている子供たちは学力が低下し続ける
この恐ろしい事実をご存じでしょうか。
これは脳科学で知られる東北大学教授・川島隆太さんの
研究で明らかになったものです。
LINEやフェィスブックなどのSNSは、いまや現代人に
とって欠かせないツールであり、それは子供たちも
同じです。
しかし、その世界に浸りきっていると、脳は大変な
ダメージを受けるというのです。
SNSは人間の脳の働きにどのような影響を
与えるのでしょうか?
SNSで記憶が消える?
SNSをやっていると脳に抑制が掛かることが
分かっています。
見た目には手を動かしたり、頭を使ったりして
脳を刺激しているように思えても、測定すると
抑制、つまり眠った状態になります。
そのことはLINEの文面を見ていただければ
理解できると思いますが、極めてプアな
コンテンツしか出てきません。
「お昼何にする?」「カレー」「どこ行く?」
といったように、まるで幼稚園児レベルの会話しか
続かないんですね。
物を考える人としての脳は積極的に寝て
しまっている。
ある意味、とても怖いツールでもあるんです。
僕たちは7年間、仙台市の7万人の子供たちの脳を
追いかけて調べていますが、スマホやSNSの
利用と学力との関係が明らかになってきました。
そこで分かったのは、これらを使えば使うほど
学力は下がります。
それは睡眠時間や勉強時間とは関係ありません。
例えば、家で全く勉強していない子供たちの
グループがあります。
スマホをいじらない子はある程度の点が
取れるのですが、その先、使い始めると
睡眠時間は一緒でも、そこから点が下がって
いくんです。
要はスマホを使ったことによって、脳の中の
学習した記憶が消えたということです。
仙台市の子供たちのデータですから、一般則では
ないかもしれませんが、例えばSNSを1時間やると、
100点満点の5教科のテストで30点、
1教科当たり5点分くらい点数が下がります。
1時間で5点ですから4時間使えば20点下がる
わけですね。・・・
そこから分かるのは、本来なら総合点が高いはずの
子供たちが、SNSをやっているばかりに勉強した
大切な脳の記憶が消えているという現実です。
SNSはよくコミュニケーションのツールという
言い方をされますが、SNSでやりとりをする相手が
人間ではなく人工知能を備えた機械であっても、
そうとは気づかない、人だと思ってやりとりをして
しまうという具体的なデータもあります。
つまり、人と人とのコミュニケーションが
担保されていないわけです。
人間の脳を活性化させるもの
いま、子供の脳についてお話しさせていただきましたが、
素読によって脳が活性化するのは、お年寄りも同じです。
僕たちはこれを学習療法と呼んで今日まで
続けてきましたが、高齢になって脳機能や
生活の質が低下する一番の要因は、記憶の容量が
小さくなることにあります。
記憶の容量とは、作業をする時の机に例えると
若い時は大きな机を持っているのでパソコンや
ノートを置いたり、資料を並べたりして自由自在に
作業ができます。
ところが、年をとると机が小さくなっていって
最後にはノート一冊すら広げられなくなってしまう。
若者でも、SNSばかりやる人はこのような
状態になります。
この狭くなった机を何とか広げられないかというので、
認知症のお年寄りに、美しい日本語の文章を
声に出して読ませるトレーニングを取り入れました。
認知症は薬を飲んでもよくはならないんです。
悪くなるスピードを遅らせるだけです。
ところが、素読を続けると劇的な変化が見られます。
認知症の進行が止まるだけではなく、
改善していくんです。
記憶の容量が大きくなり、先ほど申し上げたような
脳そのものが可塑的な変化を遂げる。
だから僕たちの中で素読はまさに劇薬扱いなんですね。
お年寄りの中には素読よりも数を扱うことを
好む人もいますので、単純計算によるトレーニングも
組み合わせていますが、こういうシンプルな方法でも
続けることで確実に改善に結びついています。
事業で成功を収めたある六十五歳の男性は、
がんを二年前に発症され、治療を続けてきました。
しかし、積極的治療がもうできないと
宣告されました。
それからは、お金に糸目をつけず代替医療を
何でも試しました。
残念ながら、どれも効果がなく、とうとう体力も
落ちて車いす生活になってしまいました。
私の往診が始まりました。
豪華な家から眺める絶景も、奥さんの心の
こもった料理も、子どもたちの優しい声掛けも、
ナースの助けも、この男性の救いにはならず、
無反応になり、人生を呪う言葉さえ
吐くようになりました。
夏でした。
この土地では時に四十度近くの猛暑になります。
私や看護師は吹き出る汗をぬぐいながら
往診しました。
クーラーのきいた病室に入ると、その男性は突然
「先生、僕はもう死にそうだよ」と真顔で、
大声で私に言いました。
それは何か私への試験のようでした。
その男性は本当にもう余命短く、死にそうなのです。
そこに居た家族も看護師も、全員凍りつきました。
私はすぐに答えました
「そうですか?私たちもですよ。この暑さで
死にそうです」
その男性は「確かにそうだ」と言うと、ワハハと
大声で笑いました。
久しぶりの笑いでした。
その日から、心のうちを少しずつ話してくれる
ようになったのです。
自分がどんなに一生懸命働いて成功したのか、
どんなに家族や従業員を愛しているのか、
どんなにもっと生きて働きたいのか・・・・。
「少し前まで、世の中は灰色だった。
でも昨日の夕焼けが美しかった。
富士山も星空もきれいだった。
僕は死んでしまうのに、世の中はこんなに
美しいんだ。
心が少し戻ってきて、色々とこれまでのことを
振り返ることもできましたよ。
僕の人生合格点だったかなぁ」
そして、好きな音楽を聴くようになりました。
ある日、妻に危篤になったら耳元で、
「さだまさし」をずっとかけてくれと頼んだそうです。
実際に危篤になった時、妻は約束通り
歌声を聴かせ続けました。
唇に笑みが浮かび、口ずさんだように思えた
最期のひと時でした。・・・
(中略)
私は在宅で看取りの仕事をやり遂げると、
万感の思いで死亡診断書を書きます。
それは今世での宿題をやり遂げた方への
卒業証書なのだと自分では思えるからです。
誇らしい思いとともに、困難に立ち向かい合う姿から、
私たちに多くのことを教えて下さったことに
感謝の思いでいっぱいになるのです。・・・
※:「心が折れない生き方」より
