先日、家族が他界した。

どんな人も別れの日がいつか来ることは、

充分に知っていたつもりだったけど

それはあまりにも突然で、あまりにも身近過ぎて

それ以来、我が家の食卓は、ぽっかり穴があいたようで

とてもさみしい。

 

それでも家族の食卓は、

まるであの日の事をなかったように

逝ったことさえ無かったように

今日も家族はそろって食卓に揃う。

そこには変わりなく今まで通りの全員の料理が並んでる。

 

家族の食卓は今日も団欒は何も変わらないけど、

ふとした瞬間に一人の声がない事に気付いて

沈黙だけが流れてる。

話しかけても返事は聞こえないけど、

それでも家族はいつも通りに・・・

悲しい事がなかったように、

笑うのだけれどうまくは笑えない。

 

先日まで、「早く暖かくなればいいな、春が待ち遠しい」と

話していたのに

春は来たのに、その声はもう聞けない。

 

息を引き取る直前まで「まだ家族と生きていたい」と

痛みの中泣きながら話していた。

私には胸が張り裂けるくらいにその言葉の重さがわかってしまう。

 

五年前に私も病におかされ、私が家族で一番最初に逝くのだろうと覚悟した。

手術を控えて身の回りの荷物を整理しながら

残される悲しみより、残していく悲しみのほうが楽なのかも思ったけど

家族にさよならと言うのは、とても辛くて悲しみ明け暮れた時間があった。

手術を三度して、どうにか家に帰ってきて家族が揃う食卓に着いた時に

幸せって本当はこんな些細な事の繰り返しなんだと涙が出た。

 

だけどもう家族の食卓は、全員そろうことがなくなった。

朝の食卓には、いつも先に座ってテレビを見てた姿も今はもうない。

 

春がこれほどまでに寂しいと感じた事は初めてだ

春の日差しが日ごとに暖かくなるのが何だか恨めしい。

時間が経てば、

こんな気持ちも少しずつ忘れて楽になるかも知れないけど

私は今のままでいいから時間が止まってほしいと

思ってみたりする。

あの会話、あの姿、その声を少しずつ忘れていくのが辛くてたまらない。

 

朝がきて目覚めることをためらう日々が続いてる。これが夢ならいいのにと。

目覚めれば、まだあの日のままで、全員揃った家族の食卓があるのではないかと思ってしまう。

 

私も後何年こちらの世界に居る事が出来るのかもわからないけど、

今は楽しかった記憶を整理して心にとどめることに時間を費やすばかり。

 

そして今日も我が家の食卓は、こうやって続いていくのだろう。

私が退院して家に戻った次の日の朝のように

目覚める事が待ち遠しくなるくらい、楽しい朝がもう一度訪れたらいいのにと・・・

 

 

 

 

我が家行事では二月初旬は忙しく、節分祭もありますし、初午祭もあります。

毎年節分には、家族でイワシを食べて恵方巻を食べて豆まきをしています。

初午祭に関しては、餅つきをして紅白の鏡餅を作り、神棚にお供えして等々(笑)

本来でも忙しいのに、こんなに節分と初午が近いと大変なんですよ(笑)

 

しかも今年は明治30年以来の2日節分という、珍しい日でもあります。

これから先は2日節分はたまに巡ってきますけど。

 

前年の明治29年は三陸沖地震の津波で大きな被害がでており

第一回夏季オリンピック開催された年でもあり

米国では大統領選挙で金本位制を掲げてウィリアム・マッキンリーが勝利した年でもあるらしいです。

 

これを受けて明治30年は、日本でも貨幣法が制定されてます。

124年の前の大きなニュースは個人的これだと思うんですけどね。

 

ただの歴史のお話なんですけど、私は現在なんだかちょっと気になってます。

現在の状況と世界的な病気あって、もし世界経済が崩壊した場合はどうなるんでしょうかね

また現在風の新金本位制に戻ってやり直しなのでしょうかね

 

現在はお仕事も何でもお金を中心に動いてますね。

私は昔からもし人類がお金というものに困ることがなくて

全て事が保証された自由生活ができる世界が訪れたとして

その世界の労働は何を心の糧にしていくのでしょうか

その場合は人類の心の価値転換はどのように起きるのかなど

そんな妄想をよくしてきましたが最近とても強くそんな妄想を抱いてます(笑)

 

そんな節分でした。

どうせ今の世界は、それほど長く続くまい。

ただの雑談です(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かにブログに何か書いて言われましても、別に何処に行くでもなく。
 

これといってネタもないので、この時期だからあえて
 

私が2006年頃に見た「青い花と時の川」の物語の感想を書きます。
 

実は昔々に違う所でもう少し具体的に描いたような気もするんですが。
 

掴みどころがない話なので感覚で書きますね。

 

 

日常は、いろいろ忙しい事象が起こってるんだけど
 

今起こってる困惑や混乱は、わかりやすく具現化して目の前に映し出された現実だけなのかもと思うこの頃。
 

一体何が真実で何が嘘なのかって、わからなくなってる人も多いですよね。
 

本当は今に始まった話じゃないんだけど、皆忙しくてそこまで見てなかっただけだよね。
 

それぞれの立ち位置とかで見える世界は違うだけで、どちらも真実もだよとか
 

私達は本当に心配する振りというか、そういうのが上手すぎて、それも優しさの一つなのかも思ってたり。
 

でも本当に違う世界に住んでるだけかもしれませんね。

どこかで信じてる世界であってほしいなって願望も働いて、ますますわからなくなる人も多いよね。
 

例えば、世界が一つだって思ってて欲しい人が居て(笑)、一つであってほしいと願う人もいるから。
 

だから、うまく回ってきたんでしょうね。

別に二つのものがくっついてて、ひとつに見えててもいいんだけどね。
 

逆にどっちでもいいやって思う人も増えてきたんじゃないかと思うんですよ。
 

そうすると三つ目の世界が見えてくるみたいな感じだよね(笑)

でも、あまり考えすぎるとね、人は自分で降りたい駅で降りれなくなるみたいなんだよ。
 

今は流れるまま、転がるままでもいいんじゃないかと。
 

そのうちにね、転がっているうちにスポっとぴったりの穴に落ちるから、それがその人の降りるべき駅なはずだよ。
 

川は上流から水が流れて枝分かれしながら下流へと大きく流れてるよね。
 

時間というものがあるのなら、それも同じで未来から溢れて過去へと流れているよね。
 

下流の時代なら選択次第でまだ枝分かれできるくらいゆったりとした流れだったんだけど
 

私達はもう上流にまで無意識の自作自演を繰り返して遡ってきたよね。

 

もうどんなに足掻こうがどんな選択しようが行く先はその上流の源にしかないんだよ。
 

どんどん流れを遡ってもう選択肢はそれほど多くないよ。

ただね、これが一番大切で、別に自分らしさとか人間らしさとか探さなくてもいいですよ。
 

実際に全てどうでもよくて、気にしなくてもよいのですよ。
 

若い人なら感受性だけは、よく磨いておけばいいかなと。
 

最初は些細な風景の変化に気付いたり、風の匂いを感じるだけでもいいんですよ。

 

全て飲み込んでよくよく目を凝らしていたら、突然、三つ目の事が見えてきたりするんですよ。

 

「幸せの青い鳥」ね、あれはとってもいい物語ですよ。
 

この文章が何を言ってるかわからなくてもいいですよ。
 

ただ世界はそのように構成されてるって話で、それが変化するのが15年先で
 

そこで皆さんそれぞれに分かれていくんだよね・・・
 

そんな話でした(笑)

・・・わからなくてもいいですよ。掴みどころのない物語のただの感想です(笑)

 

当たり前の事なんだけど、物語などの創作物全般は、その時代の情景や意識なども映し出します。

 

皆が無意識に感じてる事などが無意識に著されて、表向き何故かわからないけどヒット作品になったりします。

 

ただ無意識に映し出されたものは創作物だけじゃなく、ふいに気になったり、何気に目に入った光景などもです。

 

日常を見てる視点そのものが創作物なのかもしれないですね。貴方が創作物の一端だから。