偶然目にしたものによって答えがもたらされるとはよく聞きますが、人の脳の仕組みから考えると、
引き寄せと言われる現象はごくごく自然な仕組みだと思います。

無理矢理な意味付けではなく、そこに答えとなるものが書いてある経験です。

その経験を奇跡とか言うより、人間の脳はそれを見つける行動を促すという仕組みが組み込まれていることに畏敬に似た奇跡を感じます。

ある記事を読んでいて、まさかその文章がそんな展開になるとは夢にも思わず読んでいたのですが、
それは最終的に私のたった一つの苦しみ(未解決の感情)と言えるものへと繋がっていた内容でした。

静かに驚きました。

長い年月どんなに探しても見つからなかった問いに対する答え

どうしてそんなことが起きるのか?

それは私が「問い」を発していたからです。

私以外の人は、同じ文章を読んでも多分記憶にも残らない人もいるでしょう。

「問い」がちがうからです。

悩み=未解決の感情(と私は勝手に考えています)は
言い換えれば「問い」だと思うのです。

学校の先生も教えてくれない、正解のないもの。
それはどこへ向かって問うのでしょうか?

一度問いを発すると、それは自分の表層意識に上がってこなくても、絶対に消えてはいないようです。

私の「問い」は多分、20年ほど前に発せられたもの。

そして、私の問いは願いでもあり、それを一度も叶えたことはなく過ごしてきました。

何故だったのか?
ないところを探していたからです。

やはり、その願いに対して条件のようなものを設定していたようで、条件のなかに答えがあるとすると、それは存在するものの中に答えが在るものだと思ってしまっている事になります。

どこにもそんなものはないとわかった瞬間に..

私の問い=願いは、
私の作り出せるもの、私の中に力があるということをはっきり認識しました。

言い換えれば、私の認識の中にしか存在しないものだったのです。

この30年くらいの間に、
誰が教えているのか?
何の意味なのか?
わからないまま決して忘れることのない夢を6回見てきました。

今もはっきり思い出せますし、ビジョンもはっきり浮かびます。
それは、臨場感があまりにも強くて現実を超えたリアリティをもっていたため、一つの体験と同化して記憶に残っているのだと思います。

最初の夢は、小学四年生位の頃。
それさえ、実は私の「問い」に繋がっていたことに驚きと深い安堵感を覚えています。

安堵は、一つの生が「乱雑で混沌で不確かなものではない」ようだという光を得たからです。

最初の夢のお話は、明日
させていただきますね。

DRAGON FLOWERより愛を込めて(energy by shinji)

ある時夢の中で、この世の仕組みを全て教えてもらい、感動にうち震えたあとゆるゆると記憶を消されて泣いた経験があります。

私の人生は、それを追いかける旅でもありました。

沢山の体験を必要とされた後、最近全てが統合性をもって繋がっていってるのを感じています。

(ここまで来たね)と言う微笑みに似た存在を感じているこの頃です。

(photo by shinji  &
     message by miwa)