五十路は人生半ばなり -36ページ目

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

退院して3ヶ月。退院当初6錠だったプレドニンも先日の診察の結果0.5錠にまで減り、一応順調に回復への道をたどっているように見える。しかし他の同じ病気の方々のブログなどを見ていると、数年越しという方も少なくない‥と言うか、ほぼ全員が数年越しの通院生活を送っているようなので、このままプレドニンが0になって完治という夢は、なるべく見ないようにしている。実際、ジワジワと好酸球は出てきているし、いつまた爆発的に増えないとも限らないのだから。今度また入院ということになると、せっかく明るくなってきた息子が可哀想だなあ、妻が疲れちゃうだろうなあと・・そればかりが心配だ。幸いにして東京都の難病指定で補助金が出るので、入院費用は最初の時と比べたらずっと楽になりそうだけど。

最近は「よいしょ、よいしょ」という感じではあるが、杖なしでも階段を上がれるようになってきた。あまり遠くない店までなら、これも杖無しで買物に行ける。杖を持って歩いていると足が悪いということが明白だから機敏に動けなくても周囲の理解が得やすいが、杖なしだとその理解を得ることが期待できないから少々迷いどころではあるのだが、杖なしでも一生懸命に歩いている高齢者を見たりすると「頑張らねば」と勇気が湧いてくる。歩行器を卒業した赤ちゃんのようなものだ。ただの「変な人」で済むなら、それはそれで良いだろう。

1日外出しないと覿面に脚力が衰えるので、毎日できるだけ外出するようにしている。実際のところ家のことや新しい仕事の準備、食事の材料調達などで買物の必要が多いのだ。息子が使わなくなった小振りのリュックを背負って買物に行くようにしているが、時には買い過ぎて帰路が重労働になることもある。急ぐわけではないから休み休み歩くことになるが、冷凍食品などがある時は気が気ではない。背中でジワジワと溶けているであろう食品を想像しながら、額に汗してせかせかと・・傍から見ればヨタヨタかも知れないが・・家路を急ぐ。まずこの寒くなった最近の気候でも、帰宅して汗を拭わない日はないといって良いだろう。

お酒をやめたためだろうか、高かった血圧が安定の兆しを見せている。もちろん入院している時に血圧の高さを指摘されて薬を処方されているのだが、安定してきたために2錠が1錠に、そして先日の診察で5mgだった錠剤が2.5mgの錠剤に減量された。診察からまだ3日しか経っていないので解らないが、今のところ血圧は安定している。一時は家庭用の血圧計では計れないほど高かったことを考えると、実に健康になったものだと実感する。この歳になってせっかく手に入った健康だから、これを維持していきたいものだ。
当たり前に歩いて好きなものを食べて、好きなものを飲んでという普通の生活がいかに贅沢なものであったかを実感した入院生活。延び延びになって先が見えない「退院」という言葉にひたすら憧れて、いざ本当に「退院」の言葉を聞くと現実のことと納得するまでに様々な猜疑が心をよぎるほど・・本当に退院できるんだ!という喜びは、同時に「もしかすると駄目かも知れない」という不安と表裏一体でした。

退院の日に迎えに来てくれた妻の運転する車の中から見たまぶしい町の風景と、家に帰ってから妻が作ってくれたインスタントラーメンの味、早々に入らせてもらった風呂の落ち着いた温かさは何にも勝る宝に思えて「これを一生忘れまい」と心に誓ったのです。今回の入院では最初は原因が解らず消化器から始まって脳、循環器と言わば入念な人間ドックを受けたのに等しい綿密な検査が行われたため、回復が見え始めたころ妻に「人生半ばにして修理とメンテナンスが強制的に行われたようなもの」「あと半分頑張れっていうことかな」と語った。反応に困ったような妻を見て「そういえばそうか」と・・50代後半にして人生半ばと言われてもピンと来ないのだ。ごもっとも。しかし素直な実感として、私にとっては人生半ばと思えたことは事実だ。

病院で、中学生になったばかりの息子からもらった小さなノートとボールペン。最初の1冊は退院後の仕事の事業計画書として、表紙までびっしりと書き込むこととなり、その後に病院のコンビニで買ったノートは退院後の生活環境改善スケジュールで一杯になった。実のところ私の病気によってマイホーム購入を諦めることにした事情があったため、退院後の生活には画期的な改善案が欲しかったのだ。家族みんなが一緒に楽しく暮らせて、かつそれぞれにプライバシーが保てる・・そんな家庭になるように。家庭でも妻に我慢を強いていた部分が多かったことは、私の入院中に一人で頑張る妻の姿を見ていてつくづく実感した。聞き漏らしの多い妻・・母親のために傍らで一生懸命メモを取っている息子共々、この病気になったときにこの家族で本当に幸せだったなと・・。これからの人生は、この家族のために頑張ろうと心に誓ったのです。