はじめに | 五十路は人生半ばなり

五十路は人生半ばなり

2014年7月に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(アレルギー性肉芽腫性血管炎、チャーグ・ストラウス症候群)という難病を発症。
退院後4カ月でプレドニンの処方も0mgになり、現在はほぼ健康人と同じ生活。あたふたと再起のための仕事の準備を進めている。

当たり前に歩いて好きなものを食べて、好きなものを飲んでという普通の生活がいかに贅沢なものであったかを実感した入院生活。延び延びになって先が見えない「退院」という言葉にひたすら憧れて、いざ本当に「退院」の言葉を聞くと現実のことと納得するまでに様々な猜疑が心をよぎるほど・・本当に退院できるんだ!という喜びは、同時に「もしかすると駄目かも知れない」という不安と表裏一体でした。

退院の日に迎えに来てくれた妻の運転する車の中から見たまぶしい町の風景と、家に帰ってから妻が作ってくれたインスタントラーメンの味、早々に入らせてもらった風呂の落ち着いた温かさは何にも勝る宝に思えて「これを一生忘れまい」と心に誓ったのです。今回の入院では最初は原因が解らず消化器から始まって脳、循環器と言わば入念な人間ドックを受けたのに等しい綿密な検査が行われたため、回復が見え始めたころ妻に「人生半ばにして修理とメンテナンスが強制的に行われたようなもの」「あと半分頑張れっていうことかな」と語った。反応に困ったような妻を見て「そういえばそうか」と・・50代後半にして人生半ばと言われてもピンと来ないのだ。ごもっとも。しかし素直な実感として、私にとっては人生半ばと思えたことは事実だ。

病院で、中学生になったばかりの息子からもらった小さなノートとボールペン。最初の1冊は退院後の仕事の事業計画書として、表紙までびっしりと書き込むこととなり、その後に病院のコンビニで買ったノートは退院後の生活環境改善スケジュールで一杯になった。実のところ私の病気によってマイホーム購入を諦めることにした事情があったため、退院後の生活には画期的な改善案が欲しかったのだ。家族みんなが一緒に楽しく暮らせて、かつそれぞれにプライバシーが保てる・・そんな家庭になるように。家庭でも妻に我慢を強いていた部分が多かったことは、私の入院中に一人で頑張る妻の姿を見ていてつくづく実感した。聞き漏らしの多い妻・・母親のために傍らで一生懸命メモを取っている息子共々、この病気になったときにこの家族で本当に幸せだったなと・・。これからの人生は、この家族のために頑張ろうと心に誓ったのです。