他の人のために役立っているか?
3年前の今頃は、毎日の生活や仕事が翻弄されていました。その根本的原因は勿論大震災なのは判っていますが、その震災による津波が原因で福島原発事故が生じました。この原発爆発事故のため、関東への電力供給が不足するという理由から、あの計画停電なるものが実地されました。
今では不要だったと云われる計画停電で、どれだけの人が、仕事や商売にマイナスの影響を受けたことか当時の政権与党や、東電は理解しているのだろうか?絶対理解してないだろうと思いますが、今思い出しても、あれだけ不公平な対応は、私の人生でも極稀な経験でした。
現地の被災者の事を考えれば、こんなこと程度は当然我慢して当たり前という気持ちはありましたが、計画停電の実施がなされる度に、なぜあの地域は、同じグループに属しているのに、停電になっていないの?といった疑問が生じる中で、そんな地域のパチンコ屋は節電とは無関係に震災前同様に電気を消費しまくっていました。
特に腹立たしいのは、当時の管総理の選挙区は最初から計画停電予定地域だったのですが、この計画停電から外されていました。管総理の元秘書を通じての要請があったようだといった記事がでていましたが、普通なら自らの選挙区は率先して計画停電に参加するべきであり、こんなときこそ、住民に頭を下げて協力を依頼するのが一国の総理としてというより人間としての言動だと思いますがね。
それに比べ天皇陛下は、計画停電の中で一番厳しい私の地域と同様に、皇居の中の電源を切って我々と全く同じ環境で生活を自らされていたという報道が後日伝わってきました。この差こそ人間の品格というか品性の差なのでしょうね。
原発廃止を阻止するために、原発無くして電力の供給は不可能といった印象を国民に植え付けるための計画だった訳ですが、そのことに同意してこの計画を推進した当時の管総理は、後日原発廃止論を声高に訴えていますが、あまりにも説得力がありませんね。
それにしても、こういった追いつめられて判断や決断が迫られた場面では、その人の人間性がモロに出るもののようですね。
計画停電を立案した者は、少なくても会社の存続を一番に考えた結果の決断だったように思います。そしてこの計画にOKを出した人間は、自分の選挙区の票のためだけのことを考えたようですね。つまりは自分のためにだけを考えたのではないでしょうか。
基本的に人間は誰かのために役に立てることをしたいと願って生まれてくるそうです。ふと我が身を振り返りますと、自分は他人に役に立てることをしているだろうか?と
有り難いことに矯正治療後には、患者さんから喜びの声を聞きます。これが私の天職だと思える一瞬でもありますし、自分にとっても大きな喜びでもあります。政治家と違い対象は患者さんという少数かも知れませんが、改めて喜ばれる仕事をしていることに誇りを感じます。