矯正医によってその治療結果は雲泥の差となる | とりす歯科矯正(大人のための矯正歯科専門医のブログ)

矯正医によってその治療結果は雲泥の差となる


 今日は、久々に私の専門である矯正歯科について少し書きたいと思います。いつも感じていた事ですが、患者さんは、矯正歯科という看板を掲げている歯科医院は全てその臨床能力は大差なく、どこも同じような治療結果になると考えている方が大半ではないかと疑ってしまいます。

なぜそのように思われるか判りませんが、結論から言いますと、各矯正歯科医によってその治療結果には、雲泥の差があるということです。この差は文字通り雲泥の差なのですが、そこには、矯正歯科医の持っている技術、経験、知識、そして治療に対するフィロソフィーによってこのような差が生じるのです。

この4つの要素の中で技術的なことはこの中ではもっとも習得しやすいもので、誰でも真面目に一生懸命研鑽すればある一定のレベルには比較的簡単に到達できます。しかし、これに経験を積み重ねて得た知識が無ければ、臨床レベルは絶対に上がる事はありません。すなわち決して満足出来る治療結果が得られないということになります。

その経験は単に時間的経過を指すものではなく、一症例一症例ごとに必ずその資料(術前、術後、保定後の資料)を通じ評価をすることで初めて経験し、それらの症例から知識を得る事ができます。このようにして積み重ねた知識があって初めて臨床レベルを高めてくれるのです。

そして此の中で最も大切な事がフィロソフィーと云えます。矯正治療の最終ゴールを明確に、そして、その結果は機能的にも審美的にも合致したものである。かつその機能を長く維持出来る口腔環境を構築することである。このように矯正歯科治療はどうあるべきかというフィロソフィーを背景した不変の考え方を基盤とした上で診断を行い、具体的な方針と計画を立てて、粛々と治療を進める訳です。

そこには取りあえずとか、まずはこういった装置でといった不明確な要素は一切ありません。こういった不明確な要素を診断に組み込むことは、逆に矯正治療に対するフィロソフィーが無い事を意味します。

こういったフィロソフィーを明確に持って治療に当たることは、その治療結果として、患者さんに自然と品性としても現れるものです。

現実的に顔には品格と云う物があります。その品格や品性に特に大きな影響を与えるのが、口元の調和です。その次に歯並びなのですが、口元の調和が崩れた歯並び(たとえ綺麗に並んでいても)は残念ながら品性を欠く結果となりやすいものです。事実口がいつもぽかんと開いている人に品があるといった認識は一般的に薄いと思われます。

このように矯正治療には単に歯並びを治すという事だけでなく、健康の入り口であり、健康を維持するための口腔機能の回復、そして、その機能を長く持続出来る環境の構築、そして顔の品格を高めるための口元の調和を改善するという極めて重要な治療となります。

このようにそれぞれの矯正歯科医の持つ技術、経験、知識、フィロソフィーによって治療結果は当然のごとく雲泥の差が生じるのです。