3月25日土曜日 曇天
今度の病院は午後10時完全消灯で、それ以降はiPadなども原則使えない。しかたなく、日赤では時間差で服用していた2錠の睡眠薬を同時に服用、幸いにもすぐに眠られた。
しかし夜中に目が覚めて、時刻を見ると午前1時過ぎである。毎夜なぜこの時刻に目覚めるのだろう。トイレに行くことにしたが、消灯後看護師の支えなく薄暗い廊下を歩いていけるかを確認したいというのでナースコールする。目覚めたばかりのときは脚の動きもにぶくふらつくが問題なくトイレに行けた。
夜中スーツを着た男性に起こされ、これから院長に会って頂きますといわれる。部屋のドアを開けると室内は煌々と灯りが灯っており、部屋の真ん中にテーブルの脚に寄りかかるようにへたりこんでいる人がいた。白髪をきれいにきっちり分けており、着ているスーツも最上級品としれた。しかし、その顔は、どこかで見たような気もするのだが、無表情で、いやどちらかといえば痴呆を示していた。何か言葉をかけて頂けませんか喜ばれますからと案内の男にいわれ、困ったがしかたなく、××です、お会いできて光栄です。今後ともよろしくお願いいたしますというと、院長だという男はあらぬ方向を見ながらニターと笑った。という夢を見て目が覚めた。時刻は4時だった。
4時から2時間半眠半覚状態で天井を見ながら横になっていた。いろいろなことが繰り返し頭を過ぎる。現実と夢の出来事が混じり合い一緒くたになる。
6時過ぎ朝食前に採血しにきた看護師がカーテンを開ける。目が覚めた。
今日は午前中80分の理学療法、午後50分の作業療法、40分の理学療法がある。理学療法と作業療法の違いがまだわからないが、言葉通りとすれば、後者は生活上の作業がスムーズに行くようにするための療法だろう。ただし、入院最初の3日間はリハビリ室ではなく病室で行うためその差異は不分明であった。しかし長時間のリハビリは、前途遼遠ではあるが、効果に希望が持てそうだ。
新たな病院にたちどころの順応できた。日赤では病人、患者にすぎなくて活動は厳しく制限されて居たが、立場は同じでも、そして立場を自覚して大人しくしているが、リハビリに前向きな姿勢を促すものがあり、読書にしても大物を紐解こうという気持ちなる。渡辺一夫訳ラブレーをようやく読むことにしたのである。最初のページに鉛筆で薄くて「1975.510」と記されてあった。48年目の再読だ。