大寝坊の翌日は早く目覚めた。睡眠時間は足りてないと思うのだけれども。
冬の間は雨戸を閉めていたけれども、寒がりのK子がもういいよねというので閉めなかった。K子が合流する前、一人暮らしをしていたころは、閉めることがなかったのは、夜が明けたのに居間が暗いのが嫌だったからだ。雨戸を開け放ち、朝日がパーっとさしこむ瞬間もよいけれども、居間が徐々に明るくなるのを見たかったのだ。それに雨戸が閉まっていると心理的な息苦しさを感じた。
7時の気温は14度。南西の涼しい風が常緑樹である檜を大きくゆすっている。ちと冷たいが春の風だ。風がなければウッドデッキで朝食が食べられそうだ。今朝は布団がやけに重く感じられた。もう毛布は必要ないか。
春眠を破る布団の重さかな 午睡
クロッカスが一輪咲いた。
午前中はモンテーニュ『エセー』第2巻第8章「父親が子供に寄せる愛情について」を読む。
昼食は富士見町のこうしゅうかいどうぞいの洋食屋でハンバーグ定食を食べる。近くの綿半でひまわりの種を買い、富士見駅近くの小さな古本屋へ。新刊書も売っているようだ。30代と思われる女性店主は、同じ町内の書店で週3日働き、週3日古本屋を開いているという。かつては甲府の書店でも働いていたそうで、現在は北杜市に在住、最近ぼくは足が遠のいているがカフェ風草屋茶房の常連だという。そういえば見かけたような気がしないでもない。書店にもおいてくれるというので文学講座のチラシもあずけた。小堀杏奴編『中勘助集』(新潮文庫)30円と『チェコSF短編小説集』(平凡社)200円を買う。小さい書店なので物足りないが、店主のセンスで集めた本が並んでいた。
店主が道路の反対側にレコード店があるという。水曜日と土曜日しか開いていないが、今日は来ているようなので聞いてみましょうといってくれた。店はかつて薬屋さんだったという木造の奥行きのある建物で、いろいろ段差のある、つまり増築の結果だろう、ちょっと複雑な面白い構造だった。店主はやはり30代と思しき男性で住まいは白州だという。駅に近い場所を探していて借りることになったようだ。量は少ないがレコードが並んでいる。一部、英国のロックとクラシックを見ただけだが、なかなかよいものが並んでいる。レコードプレイヤーは所有しているが、レコードをかける環境にないので見学だけですませた。
蓼科自由農園で野菜を買って帰る。
家に帰りウッドデッキのチェアに座って読書していたら、いつもわが家の周辺をうろついている黒白の猫が侵入したとK子がいう。玄関の猫ドアから入ったのだろうか。猫は2階にいるが、階下にわれわれがいるので逃げられない。K子と二人で近くのゴミ集積所へゴミ出しに行き、その間に逃げてくれるように期待したがまだ2階のどこかに隠れているようだ。仕方がないので追い込み漁ではないが、K子と2人して2階へ行き大きな物音を立てて追い出すことにした。2階のぼくが寝起きしている部屋は所狭しと本や何かが山積みになっており、猫の隠れる場所はいくらでもある。なかなか出てこないのでさらにいっそう声を張り上げものを叩いたりする。と、突然本の山の中から猫が飛び出し、あっという間にいなくなった。
帰宅後早速『チェコSF短編小説集』から2編読む。チェコには『ロボット』や『山椒魚戦争』その他すぐれたSFを書いたチャペックがいたし、伝統的にすぐれたSF作家がいるはずだ。旧ユーゴスラビアのSF研究家ダルコ・スーヴィンがSFはオルタナティブなものである、つまり「「あり得るもう一つの可能性」を表現するものであると書いていた。チェコなど東欧諸国はソ連の支配圏にあり、そこでは生活の自由が限定されていたから、文学でもって別の世界の可能性を幻視していたわけだ。
NHKの「古典芸能への招待」で歌舞伎『東海道四谷怪談』を観る。片岡仁左衛門の伊右衛門、坂東玉三郎のお岩である。最近怪談ものを読んだり観たりしてきたのでよいタイミングだった。玉三郎のお岩がとりわけよかった。
タンちゃんがK子のフェルトにマーキング。最近は何かに向かって尻を向けると、尻尾をぴりぴりとふるわせるので気が気ではない。よその猫が侵入してくるし、恋の季節なのだ。しかし、フェルトにかけられたことで、K子、怒るまいことか。怒りにまかせてタンちゃんを2階まで追いかけて家から叩き出した。しばらくしてタンちゃんは恐る恐るもどってきていつもの場所で眠ったが、ぼくが立ち上がって動くと跳ね上がってまた外へ逃げてしまった。しかし、また程なくしてもどると、いつもの場所で寝る。