ついにそう来たか。(Feb. 27, 2022) | 微睡のブログ〜八ヶ岳南麓から〜

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八ヶ岳南麓、北杜市長坂町小荒間に在住。ときどき仕事をしながら、読書、音楽鑑賞、カメラ撮影、オートバイツーリングなどの趣味を楽しんでいます。

 曇天。8時の気温3度。午前中少しの間チラチラと風花が舞った。

 

 午前中は三遊亭圓朝『真景累ヶ淵』の続きを読む。陰惨で残虐な物語だ。しかし落語なのである。落語の笑いの背後には何かどす黒いものがあるに違いない。

 先日リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』がブックオフの100円の棚にあったので、ぼくの書棚のどこかにあるはずだが探すのが面倒だし、文庫本で持っててもよいだろうということで買った。、久しぶりに、すぐ読んでみたくなったのである。

 藤本和子という人の翻訳が、出版当時も評判になったがとにかくよいのである。どこまでも軽くのびやかな日本語。『真景累ヶ淵』を読んだ後ではことさら明るさ軽やかさが際立つ。急に読みたくなったのは、ぼくがそんな日本語を求めていたからだろう。しかしブローティガンは自殺しており、その事実を知ると、明るさの中に暗いトーンが、軽さの中に重いトーンがあることに気づかされる。

 

 

 午後紅茶専門店ロプチューヘ行く。K子がフェルト作品の委託販売をお願いしており、2、3点売れたようなので集金と、陳列する製品の交換をするためである。

 

 

 夕食を食べながら「ヴェラ」と同じ原作者の「刑事マシュー・ヴェン」♯1と♯2を観る。刑事マシュー・ヴェンは閉鎖的なカルト教団のコミュニティで生まれ育ち、成長するにつれて教団に疑問を持ち棄教。教団を捨てて、あるいは裏切って外の世界に出て刑事になった。経歴も特殊だが、ゲイでもあって男と暮らしている。イギリスのドラマにホモセクシャルは当たり前だが、ついにそう来たか。登場人物たちが皆闇を抱えており表情は沈鬱だ。捜査の過程で、容疑者たちの闇の部分があばかれてゆくが、いわばそれはミスリードであり、最後にどんでん返しとなるわけだ。

 

 前日のブログで井伏鱒二の「白毛」について、小説の中で描かれた出来事が本当にあったことかどうか気になるが、読者にそう思わせるのが作家の芸で、実際にあったかどうかはもはやどうでもよいのだ、というようなことを書いた。そうしたら、井伏鱒二の「蜜蜂塚」という掌編に「森鴎外の『阿部一族』には鷹の殉死するところが書いてある。まさかと思ふが、鴎外の描写に生気があるので本当かもしれないと思はされてしまふ」とあった。鴎外の芸である。もちろん、この場合の「芸」は「技術」である。