梅雨の晴れ間の明るく過ごしやすい一日だった。朝、気持ちの良い場所を知っている猫たちは、猫又温泉と名づけた庭の一画で朝湯につかっているようにくつろいでいる。自分の居場所を心得ている、自分の居場所のある猫たちは幸せだ。
野鳥たちの来訪は少なくなったが、蝶々など昆虫が目にとまるようになった。ウッドデッキで読書をしながら、蝶々たちが舞ってるのを見るのは楽しい。木山捷平の「苦い茶」に感動する。ずっと昔の木山捷平との最初の出会いもこの短編ではなかったか。感動はどこから来るのか、いつかそれを言葉にしてみたい。ときどき哲学を読みたくなる。竹田青嗣を少し読む。
午後はズームミーティング。まだ直接会ったことのない若い人に、今日は誕生日なのだが何歳くらいに見える?と聞いたら、実年齢よりも10〜15歳若く見られた。しかし、とくに嬉しくない。お世辞でも嬉しいということもあるけれども、顔はともかく体は年相応にガタが来ていること本人が一番良く知っている。体が健康そのものだったら嬉しかったにちがいないが。
今日のミーティングは欠席者があり、通常の会議ができなくなったのでぼくの判断で音楽を楽しんだ。キンクスのリーダーであるレイ・ディヴィスの誕生日がぼくと同じ今日21日なので名曲Walterloo Sunsetを楽しんでもらう。歌詞の中に'I'm in paradise.'という一節があり、'paradise'='heaven'つながりで、トーキング・ヘッズの大好きな'Heaven'、パヒュームの'Seventh Heaven'、そしてウェンブリー・スタジアムでブライアン・アダムスが歌う'Heaven'も流す。ブライアン・アダムスが'Heaven'を歌い始める前に数万の観客が一斉に歌い始めるのは感動的だ。
人生は無常迅速だ。猫たちの一生はわれわれ人間よりも迅速だ。でも、猫又温泉で朝日を浴びてのんべんだらりとしている彼らは'They are in paradise.'なのである。'paradise'でも'heaven'でもよい、それらを天にさがしても、彼岸にさがしても意味がない。'I'm in paradise.' いま、ここにあることが'paradise'だと思うように生きなくては。トーキング・ヘッズのように'Heaven'という名の'the bar'を見つけよう。