現在、都内御茶ノ水にて
脊椎手術を受け療養中です(^-^)
以下、健忘録として。
■手術当日
午後1時からの手術に向け、水分も9:00以降は禁止に。
手術着に着替え、両手に点滴の準備をするのですが
血管が細く、太い点滴針が、ナカナカ入らず・・・・(^^;)
結果、片方のみで点滴を開始し
術用の太い点滴は麻酔の後入れることに。
麻酔導入まで、名前など、いくつか確認されます。
この会話の途中で、点滴から麻酔薬を入れていくのですが
私の場合、意識が飛ぶより先に
肺呼吸ができなくなり、時差の30秒ほど
手をバタバタさせるほど苦しかったです(;;)
・・・・・目が覚めたら、沢山の管に囲まれてました(^^;)
家族は談話室に待機してくれていて
先生から「大変上手くいきました」と報告うけたようです。
ICU治療室がない病院なので、
そのまま病室に戻りましたが
術後に、その病室で2~3言、話す事も出来ました。
翌日、旦那ちゃんと小駱駝が
仕事も学校もあるので、蘇州に戻りましたが
実は、2日目~3日目は、体調が最悪だったので
面会者がいなくて、かえって気楽でした(^^)
■手術後1日目
術後は、とにかく「痛い」ので 眠るに尽きるww
座るとかの以前に、横向き状態から
5cmすら、動けないんですよー(^^;)
でも、同じ体勢でいると痛みが強くなるので
頻繁に体位を変えたくなるのですが、これが出来ない訳で。
もちろん、点滴や座薬
インジェクション(特別強力な痛み止め)など
いろいろな方法で痛みを抑え
眠れるように手助けしてくださいますけどね。
すぐに痛みで起きちゃうんです。
で、ナースコールして、体勢を変えてもらう。
これを30分おきに必要とします。
足には血栓が出来ないように
エアークッションで圧をかけ続ける「あしもみ」が施され
酸素マスク心電図や灰尿管、点滴などなど、
気が付けば、合計7本の管に繋がれ
身動きできないので、意識がある間ずーっと不快でした。
病室の方々も、数日差で手術された人ばかりなので
なにかゴソゴソ動きがあると、
「大丈夫ー? 困ってないー?」
って声がけして、イロイロ助けてくれました。
■手術後2日目
どんな体勢でも痛みが強すぎて、寝ることもできず
身体の向きも変えられず、身の置き所のない頃でした。
心電図の装置と、酸素マスク。
投与限界が決まっているインジェクション(強力な痛み止め)など
不要なものを外して貰えて、管は残り4本
身を起こすことも出来ないので、
写真はありませーんww
食事を一口食べてみたものの
吐き気&嘔吐、結局、絶食2日目に突入。
37度~38度の熱が、上がったり下がったり。
血圧も時間単位で、急に変化して安定せず。
術中、呼吸を確保する器具の出し入れで
でノドにキズが少々できたようで
咳が絶えず出続けて、腹筋痛にもなりました(^^;)
■手術後3日目
朝から偏頭痛と熱、めまいに翻弄されつつも
身体には点滴の管、1本にまで減りました。
この日から、医師の指示で
看護師付き添いの元、歩行チェックがありました。
パジャマのズボンのお尻の部分を鷲づかみに持ち上げられ
歩行器でヨロヨロと歩き出したものの
5m歩いただけで、グロッキー(><;)
目が回って、吐いて、ぐったり。
不調の原因は
おそらく、麻酔の影響と
髄液圧の低下による頭痛だそうです。
汗のかき過ぎで、汗でカブレる体質ゆえ
蕁麻疹も出て、身体を拭いて貰うまで
ずーっとボリボリ、やっちゃってました(^^;)
また、術直後から出ていた咳の酷さはこの日がMAX(><)
もう、咳こみ疲れで、腹筋がビキビキと痛みます。
そんな体調最悪のタイミングで、義妹の訪問が。
シドロモドロで会話もままならず。
早々に帰っていただく始末で
都内在住とわいえ、申し訳なかったっス( ̄д ̄|||)
この日の夜は、睡眠導入剤と強力な座薬を入れてもらって
なんとか寝る・・・・・。座薬切れると、痛みで起きる感じ
■手術後4日目
寝たようナー。寝てないようナー(--)
毎朝、激ホットなピンクのタオルで起こされます。
顔を拭くと、ようやく目覚めてきて、なかなか良い習慣です。
蘇州に帰ったら、寝起きの悪い
娘にやってやろうかと思いました。
ようやく不快な症状が安定してきて
おかげで、食事を完食できるように!
痛み止めも飲み薬のみになり
排尿管も取り外して貰えました。
あとは咳が止まれば、完璧!
・・・・とか思った矢先。
ナゾの『食あたり』症状ががががが(><)
共同トイレまで、約10mのもどかしさ。
何度も呼ばなきゃなんない、看護師さん!
ももも、当たっちゃって、ごめんですぅー( ̄д ̄|||)
■手術後5日目
体調とともに、食事と水分補給が安定。
そして、寝てる間に盛大な液盛れ起こしたみたいで
「ジャンケン・ぐー」が出来なくなってましたww
急遽、点滴を外して、終了~!
管の付いてない身体って、ブラボー!
スキップしたい気分です♪(^-^)
さらに。
すでに歩行がしっかりしてるので、
看護師なしで一人でトイレに行ってもイイよ、と
歩行器の使用を許されました。
さっそく院内をウロウロし始めたところ、廊下でバッタリ。
担当のハンサム医師が「沢山歩いてね(^-^)」と
駱駝に言ってきたのだが、答えたのは後ろに居たオバハン。
「はいっ、(❤∀❤)頑張ります!」
この方、なかなかオモロイ75歳♀で
「先生に会う為なら、3ヶ月に1回
いわきからでも通える」そうです。
なかなか良いモチベーションです❤
つか、この話を部屋に戻ってしたら
おババA「(担当医)先生、フランス行ってる間、患者の多くが
先生ヂャなきゃ、嫌だって、みんな待ってたのよぉ?」
おババB「判るー!腕もいいし、ハンサムだし、それでいて
性格もいいし、ホント気さくでいい先生なのよぉ❤」
・・・・・やばい。
駱駝が一番苦手とする、女子トークになってもたっ∑( ̄ロ ̄|||)
70代女子、ヒートアップ!
「内科の超~有名先生もハンサムなのよぉ(❤▽❤)」
・・・・・おかげで、この病院の先生に詳しくなれそうだわっw
■手術後6日目
廊下の歩行の様子から、
「もう、歩行器もなくて良くないー?」とゆわれ
あっという間に、コロコロ駱駝号は回収されちゃいました(^^;)
■手術後7日目
階段登ってみようか、と言われ。
不安げながらも、スタスタ登って、スタスタ降りて。
この動きは、術後に足首の動きとヒザの曲げられる角度が
大幅に改善されたことで、可能となりました ∩`・◇・)
これなら自主練習で大丈夫ですね、と
1段だけの昇り降り(踏み台昇降運動)を
命じられる。
「右足からー1・2・3・4」
「今度は左足からー1・2・3・4」
それぞれ5分ほど、行う。
行動半径30cmの運動に
さっそく飽きる駱駝(--)うへぇ
■手術後8日目
Myコルセットの型取りを行う。
マジで痛い、ドラエモン体型(;∀;)
大きな包帯のようなモノを、濡らして・絞って
サランラップを巻きつけた身体に、ぐるぐる巻きつけ
5分待つと、固まってました(* ̄▽ ̄)
これをお腹部分で開き、持ち帰って整形するそうです。
この日以降、たまーに
レントゲン撮ったり
血液検査したり・・・・・・・
血圧低いし血管が細いしで
左右に2回づつ刺されたり(;;)
それ以外では、同じ毎日の繰り返しで
手術後9日目~13日目を過ごしました。
経過はすこぶる、良好デース♪(* ̄▽ ̄)
■手術後14日目
抜糸しましたw(^-^)/
傷はカサブタが少々残ってますが、キレイでしたw
■手術後15日目(本日)
MYボディの特注コルセットが届き、装着!
フィット感が半端ナイので、気持ちよいです。
凹凸がないので、剛性あるのにジャストフィットw
というような流れで、現在に至っておりますw
日本の病院は・・・・・・・
デリバリーNGですし
21時30分で消灯(中国の20時30分)ですし
面会時間も決まってるしで
いろいろ制約もありますが(^^;)
患者が唯一使えるコンセントに
タコ足配線して、タブレットも携帯もWifi器もPCも
けっこう自由に使わせてもらっています。
あと、S字フックがあれば、大活躍!
外部から持ち込まれるモノへの
食事制限もないので
1階のローソンでも買い物できるしww
なかなか快適です ( ̄∇+ ̄)
最後に。
今回の手術で、回復した症状は
まず「脳から足先までの電気信号」が正常に戻りましたw
そのおかげで『腰の痛み』も自覚できるようになり
ある意味「泣きっ面に蜂」w
そして「背骨の中の神経への除圧」により
若干ですが、感覚が回復し、動きの制御が戻りました。
しかし、痺れが、ほぼマルっと残ってしましました。
これは「患者の8割が、痺れが残る」と訴えることなので
特に、珍しいことではありません。
まだ、狭窄症に対し、無知だった頃。
圧迫を取り除けば、元に戻ると勝手に思っていて
大誤算だった部分です(^^;)
なので「痺れが出たら、手術も視野に。」
これが意味するところは
痺れてスグなら、戻るかもですが
半年も痺れてたら、戻らないよ、ぐらいの意味でしょうかねぇ?
あと、背骨の事は、背骨医に聞け!!(`・ω・´)b
駱駝は、接骨院や整形外科も
骨の専門家だ思ってたのですけどね。
「検査標準マニュアル」では
背骨の病気は、発見が遅れる事がある。
この経験を毛沢東の言葉から
『反面教師』として残します (中国語だったのか・・・・)。
もし、ドラエモンが居たら
二年前の自分に電話して
「背骨専門医にイケー(`・ω・´)」と言ってやりたいぐらいです。
『痛み』のうちはイイけれど
『痺れ』ちゃったら専門医!!
シビレは残りましたし
進行性の病気ゆえ、再手術も必要ですが。
小駱駝さんが成人して
ある程度自立するまでの、残り10年。
歩いていられそうで、良かったデス o(*゚▽゚*)o
いま居る病院は。
他府県や、有名大学病院からも紹介転院して
患者が続々と集まってくる、三楽病院さんデス。
脊椎インストゥルメンテーション手術という分野では
国内トップクラス、とのことです。
■三楽病院HP
http://www.sanraku.or.jp/pickup/index2.html
ちなみに、駱駝のチタンボルトはたったの4本。
同じ部屋の方々は14本(施術7時間)の方を筆頭に
2桁ボルトは珍しくないのー(´・ω・`)
そんな2桁ボルトの方々も
内視鏡手術と同じレベルの回復スピードで
術後3日か4日目で歩行訓練に入ってます
なんだか、スゲーっす(* ̄▽ ̄)
おかげで、自分がすっごく軽症だって
気持ちを切り替えて、動けてるっスーww
病は気から。
人生前のめりでガンバろっと(´∀`)
でわでわw
-----------お礼--------------
中国で頑張ってる
旦那ちゃんと小駱駝さんとシマシマさん。
国籍を超えて。
国境も越えて。
たくさんの助け手に支えられ、なんとかヤッてるようです。
本当にありがとうございます。ヾ(´▽`)ノ
@3週間で戻ります。
引き続き、よろしくお願い致しますー
----------追記-----------
前回の記事
の最後の方で、難病申請について触れたところ
たま☆彡さんから情報をいただきました。
9月に帰任し、現在日本にて
闘病の様子をブログに綴っているそうです。
まだ中国にお知り合いも多いと思います。
ぜひ「いいね!」クリック応援を!o(*゚▽゚*)o