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世界に拓かれたまち、幕末に薩摩の若き青年たちが留学した事蹟を残そうと、薩摩藩の若き青年達19名が海外に旅立った羽島地区の海沿いに建設されています。
記念館の2階にあるデッキからは
東シナ海の海が一望できます。
↑ちょうどこの方角が南になり
いちき串木野市街地や
砂むし温泉で名高い指宿(いぶすき)温泉の
方角になります。
これは正面玄関から右手奥にある
トイレへのアプローチですが
なかなか雰囲気が出ていますね。
また記念館の入口近くに
海と縁の深い「恵比寿神社」があり
記念館入館のついでに
お参りする人も多かったですよ。
恵比寿神社の祠には
4体のユーモラスな恵比寿様が
鎮座していました。
エントランスを入ると
左手にカフェがあり
右手には関係する書籍を集めた
ライブラリーが併設されており
カフェで注文したドリンクを飲みながら
往時を偲びながら、ゆっくりと
過ぎゆく時間を楽しむことができそうです。
この記念館は昨年の
7月20日にオープンしましたが
ちょうど、いちき串木野市の
「さのさ祭」が開催されていて
オープン初日の日と重なり
入場者もお祭りついでに訪れて
ずいぶん賑わったようです。
午後3時過ぎということもあって
カフェはテーブル席がいっぱいでしたが
カウンターは空いていました。
単身で来られている方より
家族連れやカップルが多く
みなさん、テーブル席で
まったりしておられる様子でした。
入館者数は順調みたいで
4月17日には5万人を達成したけど
5月28日には6万人を達成し
8月19日には7万人だったんですが
10月11日現在で7万6千人ですと!
このペースだと、11月末までには
8万人を達成しそうですね。
そして来年の夏、早ければ
6月辺りには晴れて10万人の大台に
乗っかりそうです。
はい、あくまでも私めの予想ですが。
11月11日には
市制、施行10周年の記念式典が行なわれ
式典会場に行ってきました。
市民憲章の発表や
市民歌の制定とお披露目に
来賓の国会議員の方々の顔も
ほころんでいました。
市長さんも晴れがましい姿で
スピーチされていました。
遠く、姉妹都市のサリナス市からも
11名の方々が10週年のお祝いに
はるばる駆けつけておられました。
薩摩藩英国留学生記念館も
月を追って認知されるごとに
来館者も増えているようです。
今年の11月には国民文化祭が
鹿児島県各地で開催されますが
この「薩摩藩英国留学生記念館」でも
国民文化祭にあわせたイベントが
予定されています。
薩摩藩英国留学生記念館ですが
いちき串木野市の川内市との
境界ちかくにある羽島地区の港から
19名の若き薩摩藩の留学生たちが
遠く離れた英国を目指して旅立ったことから
この地に記念館が建設されました。
記念館の海側は
船のデッキに見立てて
大きなマストが建っています。
10月25日の日曜日に
天気が良かったから記念館まで
出かけてきました。
この羽島の地から
遥、海外の果て
イギリスを目指して
旅立った青年たちは
帰国後に日本の文明開花の
礎となって様々な分野で
立派な足跡を残してるんですよね。
記念館には
航路もわかるように
大きな地球儀も展示されてました。
この行程で2ヶ月あまり掛けて
目的地に到着したそうです。
最終目的地は
ロンドンだったそうです。
館内に展示してある模型も
日本初の紡績工場のレプリカや
日本初の麦酒醸造所で
サッポロビールの前身となった
ビール工場のレプリカなども
展示されているんです。
現在のサッポロビールの 前身となる施設
「いちき串木野市」は
「串木野市」と「市来町」という
2つの自治体が合併してできました。
今年が「いちき串木野市」の
市政施行10周年ということで
今年の「さのさ祭り」には
前夜祭に市来湊の祇園祭からも
山車(やま)が出て例年以上の
盛り上がりを見せました。
地域どうしの交流にも一役買い
一段とさのさ祭りが盛り上がりました。
ところで、この羽島の地は
地元でも景勝の地としても
知られています。
この景勝の地に
数億単位の資金を投じて
建設されたこの
「薩摩藩英国留学生記念館」は
建設に賛否両論の声が噴出し
予算の無駄遣いとの批判も
あったようなんですが
こうやって記念館ができて
来場者数も順調なら
作って良かったね、ですよね。
ってことで
薩摩藩英国留学生記念館の
記事でした。
それじゃまた。
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