これがなんとボランティアレポート10通目になるわけなんです。なんていったらいいんでしょう、一言でいったら書きすぎ。レポートしすぎです。そんなに書くことがこのNGOにはあるのでしょうか……?答えはイエス ウィーハヴです。いや、ありすぎで困ります。この毎日の感動と怒りと悲しみといろいろと、大きな声でぶちまけてやりたいです。それがある種、私のストレス発散なのかもしれないと思う今日この頃ですが・・・さて、私は正直この授業紹介シリーズを早いところ終わらせたかったのです。本当はもっと書きたいことがあるのについ出来心でPart1なんてタイトルをつけたからさぁ大変です。これを終わらせないでほかの事を書いてしまったら、こんな中途半端者はいません。町中から後ろ指を指されて暮らすのはまっぴらですし、うちの親だってそんなことは望んでもいませんし。
まぁまぁ、無駄話はこれくらいにして私が開講した18:30のクラスを紹介しましょう。
この授業は私が入校してから毎日、練りに練って編み出しているオリジナルの授業です。この時間のテーマは「発音」です。言語のなかでこの発音というのは相当なウエイトを占めていると思います。またこの発音というのは私が外国語を勉強する上で非常に重要視しているものでもあります。「まず、発音ありき」とニーチェあたりが言っていたように、どれだけ多くの語彙と正しい文法を身につけても発音が滅茶苦茶だったら伝わるものも伝わらないというオチです。3ヶ月前にこの学校に来てまず思ったことは生徒の発音が悪いということです。原因は明らかです。クメール人の先生の中には日本人が聞き取り不可能と思えるような発音をする人がいるのです。こりゃあまいった。しかし、しょうがなかったりもします。このカンボジアで一体どのくらい正しい日本語を身につけられる場所があるのでしょう。どのくらい生の日本語に触れる機会があるのでしょう。はっきり言ってありません。それに,生の英語を聞く機会がある日本であっても日本の英語教師(英語教師の皆様ごめんなさい!!)の発音だって………。まぁまぁ、ネガティブに考えていても道は開きません。正しい発音を身につけられる場所はここNGO学校にあると信じています。
まず、私の授業の進め方は、発音カードというのを作ることからです。そこにすべての拗音(しゃ、しゅ、しょ、ちゃ、ちゅ、ちょ等)と難しい五十音(つ、し)を書きます。そして、私の名前(良)のハンコを作ります。
要領は小学校のプールの授業で「25メートル自由形ができたら赤三本」みたいな感じです。(これ、台場小学校だけじゃないですよね?)発音が正しくできた生徒にはその発音の横に「良スタンプ」をバシバシ押していきます。ハンコをもらった生徒はその時から先生にもなります。そしてできない生徒にできる生徒が教えていく。クラスの中でも外でもハンコをもらった人は(私が個人的に認める)発音の先生となり、なるべくたくさんの人に正しい発音を伝えていってもらいます。タモさんもよく言っていたように「友達の友達は友達の……世界に広げよう正しい発音の輪!」というわけです。
この授業、私にとっても勉強になります。普段意識していない日本語の発音を、舌や唇、歯の形を意識しながら発音します。そして口の形を絵にして表すことで生徒にも発音の仕組みを理解させることができます。そうすると本当に本当に驚くべき発見の連続です。「わかった」の「た」と、「たべます」の「た」の音は実は違うとか、「ぎょ」が発音できない生徒でも「にんぎょ」が発音できるとか、子音との組み合わせで欠落する母音があったり、母音が重なり合って一つの音になってしまったり……。実はすべてに理論的な裏づけがあるようなのですが。ずいぶん前、生徒が「先生!“ちょ”と“ちょ”はどちらが正しいですか?」と聞いてきました。今では以前より少し多くの発音が聞き分けられるようになりましたが、その時は「え?同じ音だと思いますが…」と。生徒は大爆笑です。「この日本人は“ちょ”と“ちょ”が同じに聞こえるとさ!」言われた私は少しムカっとして「クメール人は“つ”と“す”が同じに聞こえるよ」と反撃をしましたが、多勢に無勢でした。生徒たちは皆、口をそろえて「だって同じだもん」と(笑)他にもクメール語で2という意味の“ピー”は日本語の“ピー”とは違う音を出しますし、行きますという意味の“タウ”はカタカナのまま読むと通じません。
言語が違えば認識する音の区切り方が違い、それぞれの言語が独自のラインを持っています。そしてたくさんの言語を身につけることで耳に入ってくる発音数というのがどんどん増えていきます。もし100ヶ国語を身につけられたら私は発音ノイローゼになってしまうかもしれませんが、そんな世界も見てみたいです。
ちょっと違うかもしれませんが、絶対音感を身につけている人の気持ちに似ているのでしょうか?また言語が違えば一つの単語の持つ意味の範囲も違ってきます。意味の範囲が違えば、単語の翻訳など恐ろしくて軽はずみにはできなくなります。単語や文法を一つ一つシステマティックに母国語に訳して覚えていく人はなんとも奇妙な外国語を話すようになります。
ところで、この「発音クラス」には影の目的があります。この時間は正しい発音を身につけることだけが目的ではありません。外国語とは母国語のものさしでは切り取ることができないまったく違うもので、時として母国語では表せない“何か”をそっくりそのまま吸収しなければならないという“感覚”を身に付けることです。日本語にはあるけれど、英語にはない言葉もたくさんありますし、その逆もまた然りです。クメール語にだってそうです。私が授業で英語を連発したくない理由としては翻訳をすることでおきるニュアンスの“ズレ”を恐れているからです。そして私は生徒たちに、「この単語は日本語にはありません」と言ったときに「どうして?」と首を傾げないようになってほしいのです。どうしてもこうしてもありません。「ないんですよ」と。もしこれを「あ、そうなんだ。ないんだ。」と受け止められたらしめたものですね。それはきっと言葉だけでなく文化や習慣にも言えることなのでしょう。外国には、自国のものさしだけで測りきれないものもあるでしょう。時として、「どうして?」の答えに納得が行かないこともあるでしょう。でもしょうがありません。違うんですもの。もしこれを「あ、そう。違うんだ」と思えたらこれまた閉めた門ですよ。ちょっと相手の世界に入り込んで、相手が見ている窓から外の景色を覘いてみれば、今まで見ていたものが、少しだけ違って見えたりするのです。この作業もまた、きっと何かと同じなのかもしれません。
私の授業紹介シリーズはとりあえずこれで以上です。たいぶ偉そうなことばかり書いてしまいましたね。次回こそはクメールの三大七不思議Part2「砂埃に響くクラクションとランバダ」をお送りします。来週もまた見てくださいね。んがっぐぐ(サザエさん)