クメールマガジン抜粋「砂糖椰子を植えて、国境を守る」 | カンボジア的スローライフ

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砂糖椰子を植えて、国境を守る。


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 国境に接する地域に200万本の砂糖椰子を植える計画がある、この問題は農業省のチャン・サルン大臣が言うには、今年の初めに私たち農業省はベトナムと国境を接している6州に砂糖椰子を植樹する準備をした。この地域というのは、カンダール州、タカエヴ州、カンポート州、プレイヴェイン州、スヴァイリエン州、そしてコンポン・チャム州である。この今年の私たちの植樹は、20万本で、そのうちの幾分かはすでに植樹が始まっている。今のところ、まず平坦な土地での植樹をして、そしていかに200万本を植えるかということをやってゆく。

私たちがすでに知っているとおり、砂糖椰子は、クメールのアイデンティテーを示し、目印となる唯一の植物である。去る2005年3月、国王がカンプチア王国のシンボルとする植物と動物を規定した、ひとつの勅命を出した。この勅命の中で、7つの動物と植物が国のシンボルとして銘記されており、この中で「砂糖椰子」も私たちクメールの国のシンボルである植物として選ばれている。私たちクメールの社会においては、この砂糖椰子は大変人気があり、そしてクメール王国発祥の時代のころから、私たちクメール国民に多大な利益をもたらしてくれているのである。

そして、古代から現在に到るまでの国土を示す、クメール国民のアイデンティテーでもある。砂糖椰子は、その根や花を用いて大変効用のある伝統古薬を作ることができ、住居やその他様々な建築物を作ることもできる。それだけでなく、最近は、様々な手工芸品に加工して市場で販売することができるのだ。戦後になってから、何もかもが一からやり直しで、再建されることになったが、クメール国民は、砂糖椰子のある場所はクメールの土地と常に考えてきたのだ。この私たち農業省の200万本の砂糖椰子を植樹する計画の中、官僚が国境を接する地に砂糖椰子を植え、保守していくことで承認、統一したことはすばらしいことである。


 この砂糖椰子の保存に関係することで、政府は農業省を、砂糖椰子に関することの活動全般においての管理者として、また、大量購入や、砂糖椰子とその樹木を用いて工業としての加工工場を建設すること、砂糖椰子の木材の輸出など、商用での収集目的の砂糖椰子の伐採を禁止することに関しての管理者として任命した。しかし、政府は砂糖椰子を家族とその伝統のために使用すること、彫具を使って加工した手工芸品や、地域内で加工した砂糖椰子の生産物などは許可している。


 砂糖椰子はクメールの国のアイデンティテーである、大変価値の高い自然の宝ものである。ベトナムとの国境を接しているカンダール州のクム・ブゥオ州知事は、こう話した。「我々カンダール州においては、コッ・トム郡の国境を接する大地で農業省の大臣閣下が来てくださり、すでに幾分かの植樹をしてくださいました、カンダール州にはベトナムと国境を接する二つの郡、コッ・トム郡とルーク・デーク郡があるのです。今は、私たちは順次植樹をしているところでありまして、国境を接する地域に砂糖椰子を植樹するこの計画は、大変すばらしいことです。そして、この政府の計画に対し、住民全般の強い支持があります。国境に接する地区に砂糖椰子を植樹する対策は、我々クメール民族の文化と文明を示すものであり、国境沿いに暮らし住民から歓迎され、この砂糖椰子植樹計画への積極的な参加も見られています。なぜなら、彼らは、はカンプチア国の大地は砂糖椰子の生えているところただひとつであると考えているからです。そして彼らは、砂糖椰子のあるところは、古代から我々クメールの土地であったところであると、砂糖椰子の木はクメール民族を象徴する植物であるといつも思っています。」

 政府がこの砂糖椰子の保存に関する命令を出したことにより、人々は、商人に売るための砂糖椰子の伐採を減らすことができるだろうことを望んでいる。このところ、カンプチアでもっとも砂糖椰子が多いとされている州であるコンポン・スプー州は、ベトナムに輸出するために砂糖椰子を伐採し商人に売るという多大なる被害を被ってきたので、この伐採に関する心配と恐れがこのたびの政府の砂糖椰子の保存の命令を出すことになったのだ。


 この砂糖椰子の保存と国境を接する地区の植樹に関し、プレアビヒア州知事のプリアップ・タン閣下は個人的な興味を持ってこう述べられた。「私個人の意見ではありますが、以前から砂糖椰子の減少を残念に思っていました。私は、昔から私たちのクメールの大地を奪っていく者が証拠を消し去りたい場合に、砂糖椰子の木を切って捨て去ってしまわなければならないのだろうと考えてきました。だからこそ、私たちは砂糖椰子を保存してゆかねばなりません。そして砂糖椰子の利用が家族単位のものとするならば、問題はないだろうと考えますが、私たちはさらに植え足しをしていく必要があるだろうと思います。私は砂糖椰子の木に深い愛着があります。私たちの州では、人々が集まるところにはどこにでも砂糖椰子が存在します。そしてこの私たちのプレアビヒア州の土地の砂糖椰子は大変よいんです。ですから、この砂糖椰子の保存と植樹は、すぐにでも私たちの州の国境を接する地区でも行われる予定です。なぜ、私たちクメール民族は砂糖椰子を民族の象徴にしたのでしょうか?私たちクメール民族がすでにわかっているように、砂糖椰子がもたらす利益以外に、砂糖椰子は、その木のようにまっすぐなクメール民族の思考と性質を示しているのです。そして砂糖椰子は私たちのカンプチアの大地にだけたくさん存在しているんです。ですから、クメール国民は皆、少しの収入を得る目的で売るだけのために砂糖椰子を伐採するべきではありません、なぜなら、砂糖椰子は我々民族にとって大変重要であるからです。」


 クメール社会における砂糖椰子の重要性は、二つの価値ある点をあげることが出来る。一つ目の価値は、長い年月を経てきた文化という点である。アンコールワットの壁画にでさえ砂糖椰子の姿が彫刻されているのである。二つ目の価値は、経済という点であり、昔から現在に到るまで、砂糖椰子は、重要なものとしてクメール国民の日々の生活の営みのなかで利用されている。農業省の官僚が「プロチエプライ誌」の取材陣に「砂糖椰子の伐採破壊は民族のアイデンティテイーの破壊でもある」と言っていた、そして、砂糖椰子は、誰かが「砂糖椰子が行き着くところには、クメール民族も行き着く」と云うまでに、昔の偉大なる繁栄を示しているのである。しかし、昨今、いくつかの州においては、砂糖椰子が次々に倒れていき、残念なことに砂糖椰子の数をどんどん減少させており、その荒廃を示す数値もないのである。


 農業省の資料によれば、カンプチア全土で砂糖椰子は300万本あるとされている。コンポン・スプー州は特別に砂糖椰子の木が一番多い州でその数は80万本にもなるとされ、コンポン・スプー州のいたるところで砂糖椰子を見ることが出来る。しかし、砂糖椰子がもっとも多く伐採されているのが、国道沿いの地域である。なぜなら、住民が砂糖椰子を切って商人に売っているウドン郡やコンピセイ郡のように、運搬が容易であるからである。


 クメールマガジン「プロチエプライ誌」369号(2006年12月11日-20日)より抜粋。


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以下に、クメールの詩人であるコン・ブンチューン氏の作品を翻訳し掲載したいと思う。


「菩提樹と砂糖椰子」


菩提樹の根っ子が曲がって巻きついて

砂糖椰子の木に這い上がってぶら下がり

恐れも敬意もなく汗と血を吸い

砂糖椰子を痩せ衰えさせ、その生命を朽ちさせる。


時に石を割り押しわけて生え

すばらしい芸術の遺跡にそびえる塔

菩提樹の根が容赦なく巻きついて

石はひび割れ閉じることはない


菩提樹はただ日陰をつくるだけ

いくつもの苦悩をもたらすばかり

なぜ、人々は誘い合って崇めるのか

線香を焚き、蝋燭の灯をともし拝むのか?


さて、すばらしい砂糖椰子

蜜のなんて甘いこと、実はお菓子になり

葉は立派な家の屋根となり

大小の幹は船板となる。


砂糖椰子はクメールの田舎の象徴

祖先の残したこの田園に生き育つ

ケマラの旗、いかなるときもただまっすぐに立ち

なのに、誰もひれ伏して拝む人なんていやしない。