2006年7月25日「あれこれ、まとまらず、雑感」 | カンボジア的スローライフ

カンボジア的スローライフ

スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

大学のこの夏休みにと学生に日本語を教えていたが、今週は仕事が立て込み、申し訳なくキャンセルしてもらう日が続く。いつも自宅に来る学生たち、私よりよいデジタルカメラ付き最新携帯電話をもっている。ちなみに私の携帯電話は、もう4年も使っている最古?タイプ。次々に新機種に変える人も多いという。でも、私はそういうことに子供のころから無頓着だ。「話せれば充分」なのだ。まったく人間の種類も最古かもしれない(笑)。


ウェブサイトをお願いしている、クメール人若社長、スタッフが急に退職してしまい、もうてんてこまい。お願いしている作業もままならない、私も今週中に仕上げなければならない、「何とかしてください。」お互いの口からでるのが同じ言葉だから、苦笑いだ。事情はわかるけれども、それでも、やってもらわねば困る。こちらも引けない。がんばれ、若社長。


カンボジアでスタッフが急に辞めるのは、日常茶飯事だ。引継ぎをしてから・・・なんて、しっかりと去るものは数少ない。だから雇うほうも、人の使い方に心がない。使い捨てのようなもの。お互いの薄い信頼感が、あちこちにはびこっている。悲しき、いたちごっこだ。


最近、新聞、マガジンに気になる記事が続々と出現。クメール語の読めない方のために、翻訳してお知らせしたいなーと思う記事がいっぱい。翻訳のスピードは、この2年でだいぶアップした。新聞を読んでも新しい単語はだいぶ少なくなった。読むのが早くなると、億劫でなくなるので、楽しくてどんどん読んでいく。


 book1  book2

実は、私のクメール語は、現在の大学にはいる前、それも10年以上も昔に、日本で先生について勉強したのは、ほんのわずかな内容である。初級クラスのの小学校の1年生の教科書(上の写真)を勉強したぐらいだ。それ以外に公式に勉強した期間はない。あとは全部独学になる。そんな私がカンボジアの大学に行っているのだから、笑えるものもある。授業は80%は理解できるようになった昨今、おばちゃん学生、ひそかに喜びもひとしお。


「あなたたちはね、生まれてから20年もクメール語を使ってきたんでしょ、私はね、これしか学んでないの。私は一番成績が低くても、恥じる気持ちはない。でも一人でも私より成績が悪い人がいたら、本当に恥ずかしいと思ったほうがいいよ。怠け者だよ。」

いやなことを言うおばちゃん学生、いつも、教室の最前列に席をとり、引け目もなく、遠慮することもなく、静かに一人ひそかに喜びにあふれて学んでいる。