日本からカンボジアに来た人が驚くもの上位に入るのが、

家の周りにある高い塀、窓に必ずと言っていいほどある鉄格子。

国が壊れたので、自分の身は自分で守るを肝に銘じて生きている彼ら。

日本は塀は低いし、鉄格子も殆どない。

よくカンボジア人に、「日本は泥棒がいるの?」と聞かれる。

そして僕が「あんまりいないかな。」と答えると、彼らはみんなお金持ちなんだねと納得する。

確かに一理あるが、もっと別の理由がある。

それは日本が、警察能力が非常に高い国であるということ。

大きな窓があっても、泥棒が割ってまでモノを盗まないのは、警察能力のおかでなのだ。

だがこの警察能力が行過ぎると、大変なことになる。

冤罪とか、追跡とか。

そういうのが横行していた安保闘争時代ってのが、日本にはあった。

今はどうなのかは知らないが、一考の価値があると思う。
PCを攻撃される。

こりゃ大変なことになってきた。

厄介ごとに巻き込まれ始めてる。

でも、これは裏を返せば本質をついてるってことなんだなぁ。

認めてもらえて光栄とでも挨拶しておこう。

アナログに移行する準備せんと。
日本人には当たり前となっている企業・自営業で働いて、年金納めて、老後は年金受け取って生活。

カンボジアは、国がボロボロになったから、年金なんてものはない。(現在進行中だが)

じゃどうやって老後は暮らすのか。

子どもや孫の仕送りで暮らす。

日本では年金を納めることが、半ば義務になっているけど、実はそれ以外の道もあるのだ。

NHKもそうだが、強迫まがいで強制する社会が、実は日本には沢山ある。

あるカンボジア人に年金のこと説明したら、

知らない(信頼できない)人にお金を預けていいのと返ってくる。

また預けた金額以上のモノが、老後に受け取れるというのも気持ち悪いと。

甘い話には、大抵、色々とワケがあるのだ。

以前イラクの戦争などで親を亡くした子たちと一緒に過ごす機会があった。

その時期はちょうど夏場であり、夕方になると「ドンっドンっ」と日本では当たり前の、夏の風物詩が打ち上げられた。

しかし子どもたちは、それに対して軽くパニック症状を起こしていた。

そのとき誰かが言った。

「全て花火になってしまえばいいのに。」 

何を言い返すでもなく、空に打ち上がる花火を、みんな思い思いに見つめるのであった。  
スバイリエンというカンボジアの南東にあるベトナム国境に住んでいるときに、通い詰めていたコーヒー喫茶があった。

コーヒー喫茶と言っても、車が1台通れる目の粗いアスファルト道の脇にある、ココナッツの葉を使った屋根と、どこかのエナジードリンクの横断幕と、膝の高さのテーブルを並べた、そんなところ。

そこには朝と昼過ぎに、決まって警察のおじちゃんたちが集まる。

ある日、僕と警察官たちで埋め尽くされたお店で、1人のおじさんが言い放つ。

「なぜ日本はあんなに美人が多いか知っているか」

警察官たちは、「みんなお金持ちだから」などと言っている。

おじさんが僕の顔を見たので、「褒めてくれて有難う」ととりあえず応えると、

おじさんは、「何だ、誰も知らんのか」という表情を浮かべる。

そうなることがわかっていたくせに。

おじさんは「ある中国の物語ではな・・・」と語り始める。

「昔は、日本は中国に占領されていた。」

僕は、一瞬、おいコラっと突っ込みを入れたくなったが我慢。

「しかし、あるとき、中国で権力闘争が起きてしもうたんじゃ。その争いの最中、皇帝とその后たちの命が狙われていることを皇帝は知った。そして后たちを中国大陸から遠いところに隠したんじゃ。そこが日本。だから日本には美人が多いんだ。」

警察官たちの反応は、このおじさんまたつまらぬことを語っているという表情。

さらにおじさんは続ける。

「日本は、(カンボジア語)でチャポンじゃろ。ほれ、よく考えてみろ。チャン(中国)+ポン(隠す)。ほれ、見ろ!日本は、隠された中国という意味なんじゃ。わっはっはー。チャポンは美人が多い。わっはっはー。」

警察官たちの反応が、羨望の眼差しに変わる。さすが、おじさんという空気が流れる。

しかし、まだ納得いかない僕。

「でも日本のことをチャポンっていうの、カンボジア語だけじゃん。そのストーリーは中国の物語じゃなくて、カンボジア人の学者のこじつけじゃないの。」

おじさん「わっはっはー。細かいことは気にするな。ところで、なんでカンボジアは・・・」

いつまで続くのやら。