「NOと言える日本人」になろう。

それと併せて「交換条件を出せる日本人」になろう。

それに加えて「交換条件を出せる状況を生み出す日本人」になろう。
仮にウィキリークスが真実をすっぱ抜いたところで、その非日常的情報を、人々が受け止め切れないのであれば、結局、ゴシップ誌と同様の存在価値でしかなくなる。

ジャーナリストだけ頑張るのにも限界がある。情報の受け手も頑張らないと。

見たくない真実と向き合う勇気を、全員が持ち合わせていて、初めてジャーナリズムってのは成り立つのではないか。

昨日、スピードの今井絵里子さんが自身と子どもとのエピソードを交えてお話しされているときに、聴覚障害者のダンスユニットを紹介した。

最初、聴覚障害のダンスユニットって何が凄いのか、なぜ敢えてこれを紹介するのか、わからなかった。

しかしダンス経験者である今井さんは、彼らに聞いた。

「どうやってリズムをとるんですか?」

ここでピンときた。

あ、今まで僕は音でリズムをとってきたんだと。

そして彼らは、どうやってリズムをとるのかというと、指揮棒のような視覚によるリズムを、体で覚えるというものであった。

これで動きを揃えるなんて本当に凄い。共通の曲を聴きながら合わせるのと訳が違う。

また彼らは、床の振動や音の波動までも感じて、踊るというのだ。

あぁ、障害者は一体どっちなんだろうと思った。



昨日図書館に貼紙があった。


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あるところに記憶が苦手なお坊さんがいた。

彼はいつまでたってもお経が読めず、寺を追い出されてしまった。

そのときお師匠さまは、こう言った。

「お前には、お前の道がある。」

それからお坊さんは、寺の掃除を一生懸命やるようになった。

次第に、人々は彼らの背中を見て、仏教の教えを学ぶようになり、

お経を唱えずとも、教えを広めるお坊さんとして、称えられるようになったとさ。

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そしてこの貼紙の作成者は、この内容を読み、

工場で一生懸命働く障害者と重ね合わせたようだ。

更に、僕はこれを見て、

カンボジアで一緒に暮らしていた、てんかんのお姉ちゃんと重ね合わせた。