田舎で暮らし始めて、不便さから
最初に購入した電化製品が洗濯機でした。
それも昨秋、壊れてしまいました。
まだ2年ちょっとなのに。
地元に修理できる人材がいなくて、
唯一の頼みの綱となる人物は、
いつもはプノンペンで仕事をしているので、
次はカンボジア正月まで帰省しない予定。
それまでの間は以前のように、タライで手洗い。
でも嫁ちゃんもすでに、楽することを知った身体。
自分ではやらずに、近所の「洗濯請負女」に
1回7,000リエル(1.75USD)で依頼しています。
その彼女はまだ30代なのに、可哀そうに
精神を病んでいます。妄想が激しいのです。
私が日本から戻って、最初に彼女を見たとき、
会話どころか目も合わせなかったのですが、
ウチでの仕事が終わったあとに彼女、
「あの日本人が、私を好きだって言ってる。
私は夫のいる身だから、困っている。
恥ずかしくてもう、あの家には仕事に行けない」
と近所に触れ回っていたそう。
もちろん、誰も信じませんけど。
障害者に仕事を、という意味では
洗濯を依頼することも
ある種の社会保障みたいなものでしょうか。