以前から戦後すぐに出た萱場の変速機を追って来たが、やっとどのような変速機か分かって来た。

順を追って説明したい。

 

戦後すぐの昭和22年(1947年)の春に、大阪~東京間「ツーリスト・トロフィー・レース/TTR」が開催された。

当時、自転車競技の選手で、後年はフランス在住の画家として活躍しつつ、国際自転車競技連合/UCIの副会長を務めた加藤一氏は、萱場チームとして走ることになった。

加藤氏は「萱場にアドバイスして変速機を試作させTTRで使った」と語っている。

また具体的な話として「その変速機は2速式で、最終日にレバーが動作しなくなったが、チェーンを掛け替えて走った」と語っている。

 

そしてTTRから2年後の昭和24年(1949年)6月18日の日本輪業通信に「萱場工業が新しい変速機を発表した」とある。

発表時期はレースで使った時期より2年ほど後になる。

 

※サイクルスポーツ連載 変速機を愛した男たち 温故知新 第11回より

 

変速機の構造はシングルプーリーのスライドシャフト式で、2S(実用車用)と3S(競技用)があった。

変速機単体の販売は行わず、自社製造の自転車用に付けられたようだ。

 

 

先日、ひょんな事でハジメちゃんがカヤバ株式会社に連絡を取ってくれて、当時の資料が無いか探して欲しいと依頼したところ、なんと当時の変速機図面が出て来たのだ。

 

 

 (本図面はカヤバ株式会社の許可を得て掲載しています)

 

図面を見てみると、チェーンステーに固定されたアームの先端にシングルプーリーがあり、スライドシャフト式構造で変速していたようだ。

 

図面は昭和23年7月で、TTRの1年後、日本輪業通信発表の1年前とちょうど中間地点となる。

 

 

しかしこの図面は24年6月に日本輪業通信に載った変速機の形と違う。

 

変速機の基本構造は、シングルプーリーのスライドシャフト式変速機だが、23年7月の図面にはチェーンステー固定式で、24年6月の日本輪業通信には後輪軸固定式になっている。

おそらくこの図面の変速機はTTRで使われた変速機と同じ形状で、レース用自転車に簡単に取り付けできるような構造だったのだろう。

 

 

そして自転車工業会が海外自転車バイヤー用に発行していた「Japan’s Bicycle Guide」1951年版(昭和26年)にはシングルプーリーのスライドシャフト式変速機が付いた自転車が掲載されていた。

 

 

自転車の製造メーカーも、変速機のメーカーも記載は無いが、変速機の形状からおそらく萱場製のスライドシャフト式変速機と推測される。

 

しかし日本輪業通信の発表から2年が経過して、変速機にエンドブラケットが付き、外に出ていたテンションスプリングも内蔵されている。

変速機の形状が徐々に変化しているのが分かる。

1952年以降のジャパンバイシクルガイドには載ってないので、変速機の生産は1951年までと思われる。

 

長い間、萱場の変速機は歴史の地層の中に埋もれていたが、ここの所でやっと萱場の変速機の姿が浮かび上がって来た。

 日本初の変速機では無いが、戦後直ぐの時期に先人が苦労して開発した変速機は埋もれさせてはいけない。


実物を見てみたいけど、もう残ってないだろうな~

 

ここまでの資料の発掘に尽力されたハジメちゃん、六ジョーさん、マツさん、ありがとうございます!