三連勝で造ったスペシャライズドの初代スタンプジャンパー(以下スタンピー)の試作MTBについてもう一度おさらいを。
カラー写真はサイクルスポーツ82年8月号からで、白黒写真はニューサイクリング82年6月号より載せている。
スペシャライズド代表のマイク・シンヤード氏は1980年にリッチーのハンドメイドMTBを2台購入し、1980年秋に行われたアメリカのバイシクルショーで三連勝の今野義さんに市販を前提としたMTBの試作を依頼したと言う。
三連勝ではスペシャライズドのハイエンドロードバイクをOEM製作していた繋がりがあった。
今野義さんはリッチーMTBを持ち帰り、こんな自転車の試作をすると三連勝のスタッフに話したという。
三連勝のスタッフはMTBに初めて触れて、乗ってみて、ずいぶんと重い乗り味の自転車だなと思ったという。
試作は1980年後半から1981年初頭で行なっている。
・スケルトンはサンプルMTB(リッチー)をコピーした。
・パイプは国産で極力丈夫なパイプを選び、ダウンチューブはタンデム用のオーバルパイプを使用。
・フォーククラウンは丈夫な一輪車のフォーククラウンを使った。
・チェーンステーは長いチェーンステーがなかったのでモノステー構造にした。
・シート〜トップチューブ間の肩当はアマンダのパスハンターを参考にした。
当時三連勝でフレーム製作を担当していたタカハシさんは初めて造る車種なので色々苦労があったそうだ。
フレームが完成し、パーツはリッチーMTBから移設されてスタンピー試作車は組まれた。
ブルムース型のハンドルは1982年からなので、普通のロードステムとアップしたフラットハンドル。
チェーンリングはTA 45×36×26で、フリーは14~30Tの5S、クランク長は180mmだった。
ブレーキレバーはドイツのマグラ製で、シフトレバーはアマンダの「カニレバー」を使っている。
ブレーキはサイドに大きく張り出すMAFAC タンデムを使う。
完成した車体はマイク・シンヤード氏が日本に来て確認したと言う事だが、当時、今野義さんとどんなやり取りがあったのかは不明で、三連勝で造られた試作車は採用されなかった。
当時の三連勝ではMTBフレームをOEM製作を行う余裕がなかったのも要因の一つと思われる。
ファーストロットの市販スタンピーは東洋フレームがOEM製造を担当したと言うので、東洋フレームでも同時期に試作MTBを作ったのではと考える。
そして1981年9月にファーストロットのスペシャライズド・スタンプジャンパーが市販MTBとして初めてデビューした。
その後、MTBブームは世界中に広がり、スペシャライズドの躍進もご存知の通りだ。
試作した試作スタンピー実車は雑誌でのMTB試乗などに使われ、しばらくして三連勝の塗装に塗り替えられたそうだが、現在は行方不明である。
以上、三連勝におけるスタンピー試作車にまつわる話をまとめてみた。
これについては「mtb-lover」さんから頂いたコメントを受けて、もう一度元三連勝のタカハシさんからお話をまとめておきたいと考えたからだ。
>cambiokoubou様の今回の情報は・・・ご自分で認識されておられるかもしれませんが・・・本場USを含むMTBの歴史の検証に激震を与えるレベルと言っても過言では無いと私は思います。
USの関係者において、初代スタンプジャンパーはリッチーのバイクをコピーしたというのは、誰もに事実と信じられているのですが、実は、その確たる証拠は今のところ挙げられておらず、以下の状況証拠だけが根拠なのです。
・スペシャライズド社長マイク・シンヤードは、ゲーリー・フィッシャーからリッチー製MTBを2台購入した。
・その後まもなくスペシャからよく似た量産バイクが世に出てきた。
・これはもう日本でコピーを作らせたに違いない・・・
マイク・シンヤード氏は未来永劫、この件に関しては口を割らないでしょう。当時の日本の関係者は真実を知っているのでしょうが、先に述べました通り、日本の業界人は口が重いのです。USの関係者には、日本語という言葉の壁も大きいでしょう。
cambiokoubou様の情報は、まさにUSの関係者が待ち望んでいた当時の日本の関係者の情報・・・コピーの証拠なわけなんです。
ワタシもMTBの歴史を正しく認識したいと思う一人で、自分ができる掘り起こしを当時を知るタカハシさんに伺った。
MTBの歴史の流れはmtb-loverさんのHP「泥まみれのキツネ」が一番詳しい。
今回の内容が「泥まみれのキツネ」に追加アップされると言うのでとても楽しみだ。
これがMTBの正しい歴史認識になれば幸いで有る。