5月5日(月)
朝早くから地震で起こされる。
震源地は近かったが、揺れはそれほどでもなかった。
コレくらいの地震なら大丈夫。
地震エネルギーをすこしでも分散させてでかい地震は来ないで欲しい。
朝早くから地震で起こされる。
震源地は近かったが、揺れはそれほどでもなかった。
コレくらいの地震なら大丈夫。
地震エネルギーをすこしでも分散させてでかい地震は来ないで欲しい。
午前中は会社の先輩にロードバイクの納車。
午前中にバイクの納車説明をして先輩も気に入ってくれた。
さっそく家の近所を走りに行くという。
売上の半分は震災遺児育英基金に寄付させて頂いた。
午前中にバイクの納車説明をして先輩も気に入ってくれた。
さっそく家の近所を走りに行くという。
売上の半分は震災遺児育英基金に寄付させて頂いた。
昼から都内の某所にある梶原製作所を伺う。
梶原さんは日本のレース用フレームの基礎を造った職人であるが、
自転車の歴史研究の大家でもある。
梶原さんは日本のレース用フレームの基礎を造った職人であるが、
自転車の歴史研究の大家でもある。
梶原さんなら日本の変速機の歴史にも精通しているのでは無いかと思った。
前の晩にアポを取ったら「待ってます」と言われたのでいそいそ出掛ける。
前の晩にアポを取ったら「待ってます」と言われたのでいそいそ出掛ける。
13時頃、梶原製作所に到着すると家の前に出て待っていてくれた。
家の裏手に有る梶原製作所に通されると一瞬めまいが。
家の裏手に有る梶原製作所に通されると一瞬めまいが。
いきなり梶原さん製作のフレームや、歴史的フレームがぶら下がり、
貴重なパーツや製作中のフレーム小物がそこらかしこに置いてある。
現在、フレームは造らないが、修復やフレーム材料造り等は現役でやっている。
色々な物がありすぎて紹介しきれないので見せて頂いたフレームの写真を。
このフレームは梶原さんがエバレスト時代に自分用に造ったロードフレーム。
パイプはレイノルズ531だが、かなり重い。
ラグはアグラッティに自作のヒゲを追加してしのぎが削られた独特のカット。
シート部のフタに何故か手書きの「梶原」マーク。
残念ながら事故でトップチューブとダウンチューブが逝ってしまっている。
見せて頂いている間にも色々な質問に答えて頂いたが、
おそらく普通の自転車乗りの人にとってはあまり興味が無い分野だと思う。
しかしワタシにとって全てが勉強になり、そんな事実があったのかと感心する。
梶原さんの記憶力は膨大で説明してくれるのをただ聞くだけ。
これはエバレストのヘッドマークなど。
17時を過ぎてそろそろ帰ろうとするとまたスゴい資料が出てくるので、
なかなか帰るタイミングを逸し、ずるずると20時近くまでお邪魔してしまった。
帰り際にニューサイ刻印が入ったシートステイのフタをお土産に戴く。
梶原さんはまた来なさいと言ってくれたが、ええ、もうそのつもりですから(笑)
梶原さんの向学心はまだまだ衰えを知らない。
梶原さんの前ではまだまだワタシはヒヨッコで有る。
梶原さんの前ではまだまだワタシはヒヨッコで有る。
なぜか工房内にたいやきの鉄板が転がっていたりして(笑)
いやー、勉強になった一日だった。