先日、オークションで発見した888のハブとフリーのセット。
かなり旧いハブとスプロケットで、どうもフリーハブ構造らしい。

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資料を調べてみると前田鉄工所(サンツアーの前身)が
昭和31年に4Sユニットハブとして売り出したモノらしい事が判った。
恐らく日本で最初のフリーハブと思われる。

噂では存在するらしいと知っていたが、実物を見るのは初めてである。
これはゼヒ落札しなくてはアカンという事で、入札する。
しかし同じように入札するライバルが居てなかなか振り切れない。
5000円突っ込んだら相手も諦めたらしくやっと落札できた。

実物は昨日ワタシの手元に届いた。
ハブの胴に入っているのは、まさしく昭和30年代の前田の888マーク。
そしてこれは間違いなくフリーハブ(ユニットハブ)だった。

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このハブのホール数は40Hで、ハブ幅は130mm!
この当時の実用車は、Rハブのホール数は英国と同じ40Hが多かったハズだが、
昭和30年代初期にRエンド幅が130mmのハブが有るなんて知らなかった。

スプロケットは15-17-21-26の4Sで、スプロケット間隔は7.2mm、歯厚が2.5mm。
ロックリングを外すとスプロケットがバラになる構造は現在のフリーハブと変わらない。

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スプロケットの掛かりは浅く、しっかり締め付けなければガタが出そうな感じ。
換歯のバリエーションは有ったのだろうか。

888前田鉄工所のハブも初めて見る。
ハブの玉当りは55年前のモノにしては意外と良い。

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31年当時、888前田鉄工所はまだ変速機の製造を始めてなかったので、
組み合わせていた変速機は、IWAIサンツアーのスライド式RD「エイト」だろう。

日本で初めてのユニットハブなら何故パテントを取らなかったのかと疑問が残るが、
昔のイラストを見るとイギリスでもフランスでもフリーハブ構造の物は存在する。

前田工業の社史を見ても昭和31年1月に4Sユニットハブを実走テストと有るだけで、
ユニットハブのパテントを取得と書いてない。
ユニットハブ構造は前田のオリジナルではないのでパテントは取られなかったようだ。
このユニットハブがどの程度発売されたのかも判らない。

その後、前田は提携していたイワイサンツアーの倒産を受けて経営が傾くが、
33年頃から変速機の製造を行っていたようだ。

フリーハブは主流にならず、ボスフリー方式が20年以上続く。
シマノがデュラエース7200系で6Sのフリーハブにしたのが80年頃で、
本格的にフリーハブ構造が主流になるのは90年代に入ってからだ。

この888フリーハブも、日本の自転車史に埋もれていたパーツだが、
ワタシの手元にやって来て初めてその存在を知る事が出来た。
サンツアーの歴史はまだまだ深い。