カマロからコルベットに乗り換える -3ページ目

キャリアにおいて遅ればせながら

SEとか、普段偉そうなこと言っておりますが、30を越えてデビューしてしまいますた。


PC自作と言うパンドラの箱でございます。


PC自作って・・・・。なんだろう、難しくないね。


っていっても、同僚にパーツはすべて買ってもらいましたが・・・。

(店員への注文系はすべて同僚)


最近、年取ってるくせに、MMOしたりPC自作したり、遅れて来た電脳ブームなので

あります。


ソフト開発における技術力が高いってなんだろうか?

ボクの知ってる会社は、高い技術力と言うものを売り物にしている。


しかしボクから見ると、技術力が高いとは思えない。

そもそもSierと言う業界自体が、技術力が高い業界ではないとボクは思っている。


個人を見れば優秀なエンジニアもいるだろうし、優秀な会社もあるだろう。

だがすくなくとも、ソフト開発の現場において技術力の高いエンジニアには会ったことがない。


なぜ、こんなことになるのだろうか?とボクが常々考えているのだが、

おそらく原因は、コスト削減こそが美徳と言う幻想がそうさせるのではないだろうか。


今日いろいろなサイトを覗いていたときに、面白いブログ記事を見つけた。


「ソフトウェア開発」は「モノ作り」ではない

http://blog.gcd.org/archives/50603640.html


これは、KlabのCTOである仙石浩明氏のブログ記事である。


ソフトウエア開発とは、自動車開発における研究開発も含めた「設計」にあたり、

実際のモノ作りではないと言う主張だ。

これを見たとき、ボクは結構、正鵠を射た気分になった。


誤解のない様に言っておきたいのであるが、ここで言う「設計」とは設計図を描くことであって

ソフトウエア開発における設計ではない。


コストダウンの観点が、モノ作りと同じ感覚で行われている。

例えば、開発工程の効率化と言うものである。


ボクの持論であるのであるが、ソフトウエア開発の理想は機械語で

コーディングすることだと思っている。

こういう言い方をすると、かなり誤解を招いてしまうかもしれないが、

機械による翻訳の精度なんてたかがしれている。

効率的な信号を開発者の意図に一番近い形で実装するなら機械語

での開発が一番なはずなのである。


何がいいたいかと言うと、機械語で書くこと自体がコストであるため、

プログラム言語で書いているわけである。


そこからさらに逐次翻訳(インタプリタ)はコストが実行時にかかるので、

一括翻訳(コンパイル)を実施し、コンパイル言語にはリリースコストがかかるので、

スクリプトの様なテキストによるコーディングが主流になる。


見ていただけるとわかると思うが、これは単に開発コストを下げたいだけなのだ。

若い人は、PHPの方が優れているとか、Javaの方が優れているとか言いがちなのだが、

そんなものは、実際のところクライアントには関係のないことである。


性能という観点に見た場合、「最適な」機械語を書くことが、

もっとも性能がいいことは絶対に明らかなことなのだから。


なのでモノ作りにおける工程の効率化みたいなものは、ソフト開発には存在しないのである。


いろいろな人が、この難問に取り組んできたかもしれない。

それは、ナレッジマネジメントなのかもしれないし、品質管理かもしれない。

ボクは、これらの取り組みは本質的に「マルクス主義」の様な理想でしかないと考えている。


じゃあナレッジマネジメントのコストや、工程管理のコストはどうするんだと言う部分もあるし

そもそも、工程に乗せる成果物が品質の悪いものであれば、PDCAサイクルを何周も

まわす必要が生じてくる。


これらの取り組みは、ある前提があることが忘れ去られているからである。


それは何か・・・・・。


技術力である。


じゃあそれって何なんだ!!ってことになりますが。


ソフト開発における技術力は、ズバリ「判断力」だと思っている。

組み込み系エンジニアはどうだか分からないが、コーディングにかかる時間なんてWEBシステム

を作るうえでは、たかがしれている。


処理を実施する場合AとBの方法があり、Aを選択する場合はコストが大きいが性能は高い

Bを選択する場合コストは小さいが性能は低い。

(インフラ構築の場合ではなく、あくまでソフト開発だ)


おそらくコスト幻想にとらわれている場合Bを選択する。


ここで、判断力が必要なわけである。


絶対にAを選択するべきなのだ。


さっきも言った様に、コーディングにかかる時間などたかがしれているのだ。

コーディングにも判断力が、いたるところで要求される。


この判断力を養うことは、非常に難しいと思う。

なぜなら、コスト幻想もそうだが、工数管理と時間売りにより守られたエンジニアが多いからだ。

甘えている部分が多分にないだろうか?


やっぱ勝負しないと、こういった最適な判断の訓練は難しい。

この勝負とは、やはり性能と言う観点で物事を見ないと訓練できない。

品質ではなく、性能で判断していただきたい。


そうすれば最短距離で開発を終了出来るようになるはずだ。

結果的に開発スピードが速いわけだから、コストダウンにつながるはずだ。


沢山書くことが重要なのではない。


オシム流に言えば、考えながら走れ!!である。

こうすれば、2~3プロジェクトこなせば最適な判断力がつくはずである。

覚悟もなく「聞いた風な口を叩くな~」

直江兼続の言葉である。(花の慶次より)


ボクが嫌いな言葉。


コミュニケーションスキル、ホウレンソウ。


なぜ嫌いかというと、言っている人の多くが覚悟もなくこの言葉を言っている

ことである。


何の覚悟かと言うと、人を受け止める覚悟である。


ホウレンソウをしたところで 「うまくやっておいて」 と言ってみたり、聞く前から 「今忙しい」 と

言う人もいます。

これはホウレンソウでいう 「連絡」 以外は受け付けていない。


コミュニケーションと言うのもありますが、コミュニケーションとは、まず自分から相手に

信用されないといけないよね。


ボクはよくコミュニケーションをとっている振りをする。

これも一種のコミュニケーションスキルだろう。


基本的に薄っぺらだ。


しかし、我々開発チームの人間は、これでは駄目だ。

気配り、状況把握、人心掌握、これらがマネージメントに必要である。

ホウレンソウを受ける前に、状況把握により仮説をある程度立てておく。


気配りによって仮説範囲を特定しておくことも重要だ。

うまく導いてあげることにも効果があるはずである。


少ないホウレンソウを受けたタイミングで最速で、最適な指摘、コミットメントを返してやる。


そうすると、部下達の信頼を勝ち取ることが出来るはずだ。


要はホウレンソウしろとか、コミュニケーションスキル云々言う前に、覚悟をきめて人と接しろと

言うことである。


覚悟もないのに、「聞いた風な口を叩くな!!」である。

真・三国無双5買いました。

いやあ、びっくりしました。

別のゲームじゃないですか。


まったく違うキャラが無理やり関羽だの張飛だの言われた感じです。


メタルギアをプレイするために1年前に購入して、半年以上何もしていなかった

PS3クンが久しぶりの大作とあって、前日に埃をはらい、当日は日曜にもかかわらず

11時に起きて近所のキムラヤに買いにいったですよ。


□□△とかの技も一切なく、単にボタンを連打するだけになってしまうし、

無双モードってやつも、各勢力5人ずつ。


メタルギアちっくに、泳いだり、昇ったりするけど、あれPS2のときだし・・・・。

PS3だったら、もっとがんばらないと・・・・。


そもそも、三国無双シリーズを鉄拳のぱくりの格闘ゲームだった時代から

プレイしてるボクとしては、仕様変更自体に異論はないけど、

格闘ゲームから3Dアクションになったときは、三国無双→真・三国無双になったわけだし

別ゲームなら、別ゲームになったというアナウンスはいただきたかったなあと。


デビルメイクライも主人公変更らしい。


クリエイターや、プランナーの世代交代かなあ。

でも、ゲームって我々SEからすると、プランナー変更直後の虚栄心が、マスターベーション

の様に感じてしまうんだなあ。


システム開発を失注しますた

むかしの同僚が、アルバイトにとシステム開発案件を持ってきました。


そこで、ボクのパートナーと見積を作成し、見積を出したんだが。。。。

失注しました。


まあ、どうなんだろ。これから、こんなこと沢山あるんだろうなあと反省する。

反省と言うのは、見積金額の話ではない。


こんなことで、ある種がっかりすること自体が駄目だ。

次、次!!


と言うのも、その元同僚、仕事を沢山もってるんだが、どうも会社をいざこざあったらしい。


そこで、会社に対する忠誠心の低下から、案件を流す気がなくなったらしい。


とりあえず、案件は3人でなんとかさばきながら、資金にして開発会社から出発する

のも悪くないかなあと考えています。


亀田と小沢辞任に見る、メディアの傲慢

題だけみると、なんか高尚なお題目を並べる様な印象をもたれるかもしれない。


ただ、最近本当に、日本のマスコミに嫌気がさしてきている。


なんだろう。


小沢代表は、福田総理の罠にはまったと、ボクは感じている。

政界の壊し屋の異名をとる小沢氏。


しかし、ボクはそうは思わないんですよね。

櫻井良子さんが、小沢代表が辞意表明した当日の報道番組で、小沢さんの主張は一貫して変わっていないとおっしゃっていた。


いつも、その豪腕ぶりから誰かに利用され、用がなくなったら捨てられるの繰り返しをしている様に思う。

いや、センチメンタルな話ではなく、小沢氏が善人であるとも思っていないし、善人である必要もないと思っている。


しかし、今回の騒動は、福田氏による大連立構想を、さも小沢代表から持ちかけた様にリークされ、民主党内の内紛を誘発させた結果であると思われる。

要するに、誰かの思惑で世論が動かされていると言うことだ。

都市伝説的に言うとフリーメイスンの陰謀か。まあ、冗談だが。


まあ、小沢や綿貫が組んで、政界のキャスティングボードを握る勢力となり、自自公連立と同じ図式にする可能性もあるが、そこは小沢の豪腕たるゆえんであるが、民主党の節操のなさが今回も白日のもとにさらされる結果となったと思っている。村上ファンド方式ね。


いやあ、福田総理の「これで、小沢さんの立場が悪くならないか心配だ」と言う発言は、よく言うぜ、この親父って感じですけどねえ。


しかし、メディアは腐ってるなあ。


自分達が世の中動かしていると言う思い上がりの塊だ。


亀田興毅の謝罪会見の、速報がネットで流れたとき、未だ活字メディアはインタビュー内容を、あたかもタメ口だったかの如く報じていた。

興毅自身が、敬語を使うかどうかが、謝罪会見の争点であったのに、いざ敬語を使うと(敬語ではないが、丁寧な感じなので、敬語とする)それに不満なのか、敬語部分をカットする有様。


で、メキシコに出発するときも「メキシコで頑張ってきます」と言う発言があったにもかかわらず、そこはあまり取り上げず、亀田節復活と言う風に煽り立てる。

まあ、亀田も亀田語を復活させるのは、まだ時期尚早だとは思うけどね。


協栄ジムは、もう少しマーケティングした方がいい。

ベンチャー企業のパッションとは

ボクは、いろいろな場面で情熱(パッション)と言うことを口にする。


いろいろなヒトの企画に目を通すことが多いボクの立場だと、夢いっぱいに仕組みの

話を聞かされると正直なえるというか、目を白黒させることが多い。


コスト意識の低いこと低いこと。


まあ、いいんですけど、事業ってそれなりに投資と回収のスピードが物を言うわけです。


ベンチャーが成功する方法って、ボクの中では下記だと思ってます。


1.強者が参入できない市場に参入するとき

2.テクノロジーオリエンテッド

3.一気に儲けられるとき


これだけだと思っている。


じゃあ、これってどういうことか。

1.でもいろいろあると思うけど、強者がバカらしいと思うことを、パッションで解決するとき。

コストを情熱と言うコストでまかなう場合である。


この情熱と言うコストって何か。例えば、人の3倍の仕事をすること。

この3倍ってどういうことか。

1.思いもよらないコストダウンの方法を思いつく。

2.人より3倍働く。

3.自動化(2.に通じますが)する。

要するに、大企業だったら、3人月使うところを、1人月で仕事をするわけだ。


そうすれば、すくなくとも3倍のスピードで損益分岐点に到達できる。

(3.に通じるが)

少なくとも、大企業が感じるコスト感は、3倍あるわけであり、ビジネスチャンスがある。

大企業も踏み込んでこない。

コストが0のマンパワー(経営者であれば望ましい)および

テクノロジー(技術者の脳漿のみのコスト)でこのコストダウンが出来ればいいわけだ。

これをボクは、情熱と呼んでいる。


2.は参入障壁が、立ち上げた時点でかなり余裕をもてるので、あるに越したことはない。

3.はまさにパチンコの攻略法みたいなもので、儲けてドロン。

万人にビジネスチャンスがあるのは、やはり1.のパターンである。


企画者 「これができたら、すごくユーザの為になると思うんだけどなあ」

ボク   「そうだね。でもこれをビジネスにするなら、情熱必要ですよね」

企画者 「情熱ならありますよ」


通じてません。そんな青臭い話をしていません。

逆説の日本史2巻読了

逆説の日本史は、目から鱗がポロポロ落ちる。


ただ、週刊誌の連載だから仕方がないのだが、繰り返し繰り返し展開される

史学界への猛烈な批判はどうにかしたい。

日本史学界の3大欠陥として、「従来の歴史学会の権威主義」「資料至上主義」「呪術的要素の無視」

という話が主張1つづつに必ず出てくる。


関祐二氏に関しても、井沢元彦氏に関しても、結局のところ梅沢猛氏の流れをくんでいるのだから

こういった主張をするのは仕方がないのだが、井沢氏はいかんせん史学界への批判が多い。


これは読者に対するマインドコントロールと取られても仕方がない。


例えば、井沢元彦氏が繰り返し例に出すものは、グローバルスタンダードと、日本人の宗教観の

違いであり、「呪術的要素の無視」を証明するために、いちいち儒教とキリスト教を引き合いに出す。

史学界に対して、お前らは神学と言うものをわかっていないといちいち批判するわけだ。


ボク的にはそれは当たり前だったりする。史学界が歴史研究は俺らの主張こそすべてと言う

のは甚だおごり以外の何物でもないのだが、学問はある種独立したものである必要もある

と思うわけです。


たとえば、日本語解析は、言語学者ではなく数学者の方が現在進んだ研究をしているし、

なぜそういう話になるかと言うと、言語学者は助詞の活用ひとつにも学術的なこだわりが

あるからだ。

学術的なこだわりを捨てるという作業自体が、進歩であり、発見である。

しかし、学術的なこだわりと言う元が決まるからこそ、ベクトルは存在する。

ベクトルが、正か負かは元があるから決まるわけで、井沢氏の立ち位置も元からの距離で決まるわけである。

独立していない学問は、それ自体がひとつの学問となると思うわけです。

しかし、製品化と言うことを考えるのは、一般人なわけで、使う側も学者ではなく一般人。

その数学者が研究している言語解析も、一般人からするとかなりマスターベーションである。

これはものすごく難しい数式を解いた結果なんだぜ!!みたいにいわれても、精度が出てないと

意味がないわけだ。

ここには、常識と言うもうひとつのベクトルがあり、素人と言う最強のフィルターがあるわけである。


関祐二氏も「壬申の乱の謎」の中で、史学界に対して、頭ごなしに批判してはいけないと主張している。

彼らの積み上げてきた膨大な資料研究はそうそう覆せるものではないということだ。


その証拠に、井沢氏は呪術的要素の無視を主張していながら、神社伝承を軽視している感がある。

ミッション系の神学や、儒教を引き合いには出すが、神社伝承や、神社の配置に配慮が足りない。

あとは、考古学に関する主張がまったくと言って言うほどない。


素人と言う最強のフィルターを武器に、史学界に殴りこむなら、もう少し神社伝承や考古学の結果を

もっと盛り込んで主張するべきだと思う。

考古学ベースの関祐二氏の日本書紀研究の本ばかり読んでいる私には、かなりものたりないものだった。


しかし、20世紀にこの本が出されたと言う事実はすごいと思う。ホケノ山古墳が発見される前の主張である。

なので、これはこれで進歩的であると言うことは言うまでもない。


所詮、関祐二氏が言っていることも、ボクが言っていることも、井沢氏にとっては後だしじゃんけんである。

井沢氏もあとがきに、古代黎明編は書き直したいとおっしゃっているわけで、現在の考古学をふまえた

井沢氏の鋭い筆がいつの日かうなる日が来ることを期待したい。

亀田君負けましたな

内藤選手おめでとうございます。


いやあ、すごい反響だねえ。


最終回のタックル(ボクにはただ、ヘロヘロでしがみついてるだけに見えるが)

投げ(これは、内藤選手がガブッた為、イライラして持ち上げたんだろうね)

サミング、ローブローとか反則のオンパレードといわれているけど、これって

ニュースで見るのと、映像を見るのとでは大分印象が違うなあ。


負け行く選手は、ああいう姿になることが多いしね。ボクシングと言うメジャー格闘技の場合は

あまりないけど、K-1なんてしょっちゅうある。


要するに実力差があったってこと。


大毅クンのパンチあたってないし、内藤選手は大降りのフックにわざと左フックあわせてる感じがした。

体は元気なのに、パンチはあたらないし、パンチうつと顔にパンチあてられるし、

両手ガードで頭から突っ込むと、上からがぶられるしで何もできないからイライラしたんじゃないかと。


興毅クンもそうだけど、ローブローをすることに何にも罪悪感ないのね。

これって、親父さんの指導力不足なんじゃないかな。

反則を教えるとか、正当化するとかそういうのって、結局テクニック上の裏技みたいなもの

を知らないので、そういうことになる。

内藤選手はあきらかに、わざと馬鹿にしてましたよ。しかも、ルールにのっとってね。

クラウチングに構えている両ガードの間に、手をかざして目隠しし、アッパーやフックを

死角から打つ。


正直綺麗なボクシングがいいとは言わないけど、チャンピオンだからこそ、心技体そろってないと

パーフェクトじゃないでしょ。チャンピオンとして。


心の部分で足りないアメリカのボクサーは数多くいるけど、やっぱりユーリ・アルバチャコフとか見ると

日本人としてうらやましいなあと思うもの。

ユーリは、心技体そろって図抜けてたので、パウンドフォーパウンドと呼ばれたわけだからね。


なべやかんが、TBS批判、亀田批判したらしいが、TBSが亀田寄りなのも、他紙が反亀田なのも

メディアが恣意的に操作しているだけだから、あまりやいやい言ってもしょうがない。


例えば、とっても卑怯なボクサーが世界チャンプになっても、普段礼儀ただしければ、こんなにも

話題にはならないだろう。


これが日本人の和の心なんだろうな。


ボクシングファンは、いきり立つだろうが、こんなにも一般紙がとりあげることはないだろう。

渡嘉敷や、鬼塚だって協栄のボクサーはこの程度の八百長まがいな判定当たり前だ。

試合後、「ボクは一生懸命練習して、ここまできました。周りのヒトに感謝したい。」といえば、

拍手喝采だ。


まあ、礼儀正しいボクサーなんて、TBS的には商品価値ないんだろうけどね。


倭は和で環か

逆説の日本史を読んでるのだが、倭人の倭と言うのは和なのだと言うことを

いまさらながら気づいてしまった。


和風の和。そうか、和を卑しい文字をあてて倭にしたんだと。

いやあ、今まで気づかなかった。恥ずかしい限りです。

※井沢元彦氏は逆に、「わ」が倭になって和になったと言うお話をされています。音を大事にしていた

古代日本人ではすでに「わ」は意味をもっていただろう。


しかし、この字が違うのに、実は同じ意味なんじゃないかと言う話は古代史において重要で、

例えば、卑弥呼は日巫女であると言うことや、台与が豊であると言う話は、色々な歴史作家

の方が主張している。しかし、現代人が見るとたんなる駄洒落じゃん!!って思う。


ただ、踏まえなきゃいけないのは、古代日本人はおそらく同音異義語が極端にすくない

言語を使っていたんじゃないかと言うこと。

今同音異義語が多いのは、中国の影響だと思われること。


と言うのも、中国には4声と言うものがあり、「あー」という発音に4種類あるからである。

これを文字にして、1声の日本語で読むと同音異義語がたくさん生まれるわけだ。


この倭が和であると言う話は、卑弥呼の話と同じである。

まず、ひみこがあって、卑弥呼という文字があてられて、日巫女のようになってきたのだと。

まず音ありきである。


和と言う言葉の意味は、日本の中で独特かもしてない。

和はニギでもある。和むと言う意味、輪や環の意味も含まれている。


これが日本人のアイデンティティーなのかとつくづく思った。


関祐二氏も、緩やかな合議制によりヤマトは建国されたといっている。

古来より日本人は、和を乱す行為は嫌いだ。


日本人がそもそも緩やかな輪がすきだから、ヤマトは合議制になったのか、その逆か・・・。